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第一章:目は口ほどに物を言う③

 雑貨屋で今回運ばなければならない染料の壺を受け取り、ヴォルテックスを出発した二人はコバールへと向かう西の街道を歩いていた。ぽこぽこと白い綿が浮かぶ空は穏やかに晴れ、凪いだ涼風が心地よかった。

 今は周りにモンスターの気配もない。ルイネは疑問に思っていたことを聞くべく、隣を歩くシュレンへと話しかけた。

「シュレンはどうして、冒険者になろうと思ったの?」

「僕?」

 本来、魔法種族(マジックユーザー)であり近接戦闘向けには見えないルイネがどうこう言えた義理はない。しかし、ジャレットにはああは言ったものの、ルイネにはどう見てもシュレンが戦えるようには見えない。そんな彼がどうして冒険者を志したのかがわからなかった。

「僕は、錬金術師(アルケミスト)として、土塊を金に変える方法を探しているんだ」

「土塊を金に? 何で?」

 ルイネは首を傾げると、突拍子もないことを言い出したシュレンへと話の続きを促した。シュレンは茶色の目を右上へと向けると、

「僕が生まれ育ったのはすごく貧しい村だったんだ。だけど、東のリンシュ大陸で盛んに研究が行なわれているっていう錬金術(アルケミー)の話を聞いて、もしかしたらって思ったんだ。――錬金術(アルケミー)で土塊を金に変えられるようになったら、きっと僕の村は豊かになる」

 うん、とルイネは相槌を打つ。シュレンの崇高な目的に対して、シウィスーヤの森での暮らしから逃れるために冒険者を志した自分は一体なんなんだろうか。そう思うと少しげんなりする。そんなルイネの心境をよそに、シュレンは話を続けていく。

「僕は、冒険者になって、村に仕送りをしながらお金を稼いで、いつかリンシュ大陸に渡ろうと思ってる。リンシュ大陸に行けば、きっと僕が探し求めている、土塊を金に変える方法だって見つかるはずだから」

「そうなんだ。シュレンはすごいね」

 シュレンのことが眩しくて、ルイネは彼のことを直視できなかった。それよりも、とシュレンはルイネへと水を向けた。

「僕のことよりルイネは? ルイネは何で冒険者になろうと思ったの?」

「そうだなあ……あたしは自分の実力を示したくて飛び出してきちゃった、みたいな」

 ルイネは自分の素性に触れないように気をつけながら、やんわりと言葉を濁す。ふうんとシュレンが頷こうとしたとき、がさりと背後の草むらが揺れた。ルイネが振り向くと、草の間から何か半透明の粘性のある生き物の姿が覗いているのが見てとれた。ルイネは腰から吊るした愛用のメイスを抜くと、シュレンを背後に庇う。

(スライムか……やだな、こいつら物理攻撃通りづらいんだよね)

 いざとなれば、ぐちゃぐちゃになって動かなくなるまで叩きのめすしかない。が、できればここはシュレンに期待したいところだった。彼が持ち歩いている謎の薬品の数々でこいつらをいい感じにぱぱっと処理してくれるとありがたい。ルイネはちらりと背後のシュレンに目配せをすると、

「早速だけど援護してくれる? 錬金術(アルケミー)とやらのお手並み拝見、ってね」

「わ、わかった……」

 シュレンは顔を引き攣らせる。目の前にいるぷよぷよとしたモンスターが恐ろしくて仕方なかった。恐怖で手が動かない。腰の周りに吊るした試験管同士がかちかちとぶつかり合い、中に入った謎の液体がちゃぽちゃぽと揺れているが、指が動かなかった。

「――はあっ!」

 スライムと対峙したルイネは気合いと共にメイスを振り下ろした。それは華奢な体躯からは想像もできないくらい、重く疾い一撃だった。

 振り下ろしたメイスの先端が沈む。ぽよんとしたスライムの体表が、攻撃の衝撃を吸収して跳ね返す。「っと」戻ってきた反動にルイネは軽くたたらを踏み、スライムと距離を取り直す。

 ルイネの攻撃を食らった部分から、粘性のある体液を垂れ流しており、スライムとて無傷なわけではない。とはいえ、このままルイネが一人でこのスライムを倒しきるには少し時間がかかりそうだった。その間に他のモンスターが寄ってこようものなら目も当てられない。

 スライムの口らしき空洞部分から謎の液体が吐き出された。ルイネは飛び退ってなんなくそれを回避したが、液体が直撃した草むらには茶色い焼け焦げができ、紫色の煙が上がっている。

「げ」

 ルイネの口から思わず声が漏れた。所詮は雑魚モンスターの攻撃だ。食らっても大したことはないとわかっていても、あれを積極的に食らいたくはない。

「シュレン、気をつけて。あれ食らうと、火傷したり爛れたりするかもだから……ってシュレン?」

 シュレンの反応がない。訝しげにちらりとルイネが背後に視線をやると、シュレンはがたがた震えながらその場に座り込んでいた。

(……仕方ない。あたしがやるしかないか)

 もしかして、冒険者になりたいとは言っているものの、モンスターとの戦闘経験がないのだろうか。そんなことを思いながら、ルイネは目の前の敵に向き直る。シュレンにいくつか聞きたいことはあったが、今はこいつの対処が先だ。

 ルイネはメイスを構え直すと、右から左からと間髪を容れずにスライムを叩きのめす。ダメージを受けたスライムは怒りのあまり、再び謎の液体を吐き出そうとする。しかし、ルイネが食らわせたダメージのためか、先ほどまでの勢いはない。

 ルイネはスライムの攻撃を避けるために、地面を蹴って大きく飛び上がる。そして、メイスを大上段に振り上げると、勢いと体重を乗せた一撃をスライムへと見舞う。

 メイスが大きくスライムの体内にめり込む感触があり、ぱき、と何かが割れるような軽い音が響いた。スライムの体の内奥にあるコアが壊れた音だった。ジュウウと小さな音を立てながら、スライムはただの粘り気のある透明な液体へと変わっていく。

 ルイネはスライムからメイスを引き抜くと、深紅のケープの裾で汚れた先端をぞんざいに拭った。メイスを腰のベルトに吊るし直すと、ルイネは地面に座り込んだままのシュレンを振り返る。

「大丈夫? 終わったよ」

「う、うん……」

 シュレンは泣きそうな顔で俯いている。彼は懸命に立ちあがろうとしているが、両足は生まれたての子鹿のように震えている。

「シュレン」

 ルイネは彼の名を呼ぶと、彼のそばに膝をついた。ルイネは赤色の目をシュレンに合わせると、ほら、と今しがたの戦闘で汗ばんだ手を差し出した。

 シュレンは俯いたまま震え続けている。ルイネがもう一度彼の名を呼ぶと、遠慮がちに右手を伸ばしてきてそっとルイネの手に触れた。震えの止まらない骨ばった少年の手をルイネはきゅっと握り返した。

「もしかして……モンスターと戦うの、初めてだったりした?」

 ルイネが優しく落ち着いた声音でゆっくりとシュレンに問いかけると、彼は小さく頷いた。

「そっか。故郷の村からは、どうやってヴォルテックスまで来たの?」

 シュレンの茶の虹彩が視界の右上へと動く。彼は今しがたの恐怖で唇を戦慄かせながら、

「ヴォルテックスに向かうっていう隊商の人にお願いして、馬車に同乗させてもらったんだ。ヴォルテックスに着くまでの間、雑用を手伝うっていう条件で」

 そういうことか、とルイネはシュレンが無事にヴォルテックスにたどり着けた理由を理解した。

「まともな隊商なら護衛のひとりふたり雇ってるのが普通らしいって聞くもんね。だから、モンスターに道中で出くわしてもシュレンは戦わずにすんでたってことか」

 うん、とシュレンの顎が小さく下に動く。なるほどね、とルイネは得心した。

「モンスターは怖かったけれど、隊商の護衛の人たちは軽々と倒してたから、ひょっとしたら僕でもどうにかなるんじゃないかと思ってた。だけど、実際にモンスターを目の前にしたら、体が動かなかった。スライムなんて雑魚もいいところだって、頭ではわかってるのに、それでも怖くてしょうがなかった。体力も力もない弱い僕じゃ、絶対に敵わないって思った」

 そう、と相槌を打つと、ルイネは躊躇いがちにこう尋ねた。

「……失礼だけど、弱いってどのくらい弱いの?」

「……さっきのスライム相手で一撃で気絶するくらいには。隊商の人にも、街道沿いでスライムにやられて気を失ってたところを助けてもらったんだ」

 それはいくらなんでも弱すぎる。今日が冒険者初日であるルイネにも、シュレンには冒険者は不向きだとはっきりとわかった。

「ねえ、シュレン。冒険者じゃなく、ヴォルテックスで普通に働いてお金を貯めるんじゃだめなの? ヴォルテックスなら働き口ぐらいいくらでもあるだろうし、普通に働いてても、いつかはちゃんとリンシュ大陸に渡る費用くらい貯まるはずだよ」

 諭すようなルイネの言葉に、シュレンはそれじゃだめなんだ、と首を横に振った。シュレンの目が再び右上を見る。

「それじゃだめなんだ。そんな悠長なことしてたら、貧困で村が滅びちゃうよ。だから、僕は危険でも手っ取り早く稼げるこの仕事でお金を貯めて、早くリンシュ大陸に渡りたいんだ。――土塊から金を作る方法を知るために」

「どうして、そんなにシュレンは村を守ることに必死なの?」

「だって、僕が生まれ育った村だもん。それに……僕が旅に出る少し前に、可愛がってた隣の家の子が死んだんだ。栄養失調だった。僕は……あの子みたいに小さな子供がこれ以上死ぬのを見たくない。そのために、僕の村は豊かにならないといけないんだ」

 自分のように生まれ育った森を忌む者もいれば、シュレンのように故郷を愛し、その行く末を憂う者もいる。自分はまだ右も左もわからない、ギルドの本登録すら済んでいない駆け出しの銅級(ブロンズ)冒険者だけれど、それでもシュレンの力になりたいと思った。

「シュレンの気持ちはわかったよ。シュレンがリンシュ大陸に渡る日まで、あたしがシュレンのことを手伝ってあげる。たった二人じゃパーティも何もないから、ソロ同士でしばらく一緒に仕事をするって感じになるけど、それもこの依頼(クエスト)をちゃんとやり遂げてからの話。まずは目の前のこの依頼(クエスト)を無事にこなして、ジャレットさんに目にもの見せてやろうよ」

 冒険者になるならヴォルテックスに帰るまでに少しでもモンスターに慣れないとね、とルイネはいたずらっぽく付け加えた。ルイネの厚意にシュレンは、いいの? と戸惑った顔をした。

「ルイネの気持ちは嬉しいけれど、僕なんかに協力してもらって。そりゃ僕だってルイネがいてくれたらすごく心強いけど、ルイネだって冒険者としてやりたいこととかあるんじゃないの?」

「別にいいよ。いつかは白金級(プラチナ)冒険者として名を馳せたいって気持ちはあるけど、別にそれは急ぐ話じゃないもん。それにシュレンのことを手伝う過程でだって、冒険者としてのキャリアは積めるし、何よりちょっとそんなふうに寄り道をしたところで、あたしの人生の時間はまだまだたっぷり残っているんだから」

「……? ありがとう」

 ルイネの言い回しに一瞬不思議そうな色がシュレンの茶の双眸を過ったが、彼はそれ以上追及することはなかった。彼自身にも違和感の正体を計りかねたのだろう。

 シュレンは握ったままのルイネの手をとっかかりにして立ち上がった。彼の顔にはまだ微かに恐怖の色が残っていたが、もう震えてはいなかった。

「それじゃあ行こうか。いつまでもこんなところにいるとまたモンスターに絡まれるかもしれないし、今日中にコバールにつけなくなっちゃうから」

「そうだね」

 言葉を交わし合いながら、二人は再び街道を西へと向かって歩き始める。シュレンが来た道を振り返ると、東の空の端がほんのりと薄い朱色に染まり始めていた。行く先では白い綿雲が幾重にも重なり合って戦ぎ、淡い灰色を帯び始めていた。もしかしたら、夜には天気が崩れるかもしれない。

(十五だっけ。ルイネは同い年なのに随分逞しいな。これが冒険者として初めての依頼(クエスト)なのに、すごく落ち着いてて格好いい)

 先を行くルイネの足取りはしっかりとしていて頼もしい。

 これまで彼女はきっと途轍もない努力をしてきたのだろう。シュレンを導くように引いてくれる繋いだままの手は肉刺や胼胝に覆われてごつごつしていた。同年代の少女らしからぬ手の感触に、羨望と憧憬を覚えながら、シュレンは前を歩くルイネの深紅のケープの背を追った。


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