第六章:氷竜グランディネ⑥
右の枝道の先にぽっかりと少し大きく開けた空間があった。その空間では水色の鱗の巨大な蛇状の生き物がとぐろを巻いていた。その生き物の周りからはひりひりとした冷気が白く立ち上っていて、目の前のモンスターこそが氷竜グランディネであると容易に推して知れた。
「シュレン、ちょっと」
ルイネは後ろを振り返り、シュレンの名を呼んだ。
「ルイネ、どうしたの?」
「ちょっとお願いがあって。さっき、グルゴスであたしたちにくれた薬ってまだある?」
「あるけど、どうするの?」
「それ、あるだけちょうだい。この寒さだもん、すぐ鉱夫の人たちの体温を上げてあげないと命に関わる」
わかった、とシュレンはからからと音の鳴る缶を背嚢から取り出してルイネへと渡した。ありがと、とルイネはそれを受け取ると、落とさないようにケープの内側へと仕舞い込む。
「フェンネルさん、行けますか?」
「もちろん。任せて」
ルイネの問いにフェンネルは藍色の目を片方閉じてみせる。そして、彼は手元のリュートでルイネを鼓舞するような軽やかなメロディを奏で始める。
「奔る風よ翼となれ 湧き起こる焔を力に変えて――」
明るいフェンネルのファルセットを聴きながら、ルイネは枝道の曲がり角から飛び出した。フェンネルのおかげでいつもより足が軽い。
ルイネが近づくより早く、氷竜が頭をもたげてこちらを見た。氷竜は鋭い牙の生えた口を開くと、こちらへと呼気を浴びせかけてくる。
「ルイネ、避けて!」
ミューラは氷竜のブレスを阻むように、盾を手に前へと躍り出る。ルイネはミューラの声に反応し、地面を蹴って氷竜のブレスの軌道から外れる。
氷竜のブレスがミューラを襲った。彼女は咄嗟に盾の表面に魔法攻撃無力化の魔法を施し、氷竜の攻撃を防ごうとする。盾の範囲から外れた氷竜の吐息が自分を氷漬けにしようとしてくるのを察知して、ミューラは咄嗟に後ろへ下がる。一瞬前までミューラがいた場所には白く巨大な霜柱が光っている。
ルイネは上段にメイスを構え、思いっきり氷竜の脳天目掛けて振り下ろした。いつもより力の乗りがいい。体の奥から闘気が溢れてくる。ルイネはその一撃にすべての力を乗せる。
「――グギャアアッ!!」
ツノにうっすらと罅が入り、氷竜は苦悶の声を上げてのたうち回った。「シュレン!!」合図を送るべく叫びながら、ルイネは空中で一回転すると氷竜の体を挟んで向こう側に降り立った。辺りにはぐったりとした様子の鉱夫たちが座り込んでいたり、意識を無くして倒れ伏していたりする。
シュレンは淡黄色の液体の入った試験管を腰のベルトから抜くと、のたうち回る氷竜へとむかって投擲した。ガシャン、とガラスが割れる音が上がったかと思うと、氷竜の薄青い鱗が溶け、剥き出しになった肉が急速に糜爛していく。シュレンは続けざまに氷竜の爛れた肉目掛けて紫電がちらつく試験管を投げつけた。
「――ギャウウウン!!」
試験管が弾けると同時に、幾つもの稲妻が氷竜の体を貫いた。びく、びく、と体を震わせ、氷竜は動けなくなっている。
「ミューラさん! 最後、お願いします!」
「了解よ!」
ミューラは氷竜へと向かって手のひらを向けると、風の魔法を詠唱し始める。
「天を巡る神々の怒りよ、烈風となりて、彼の者の身を引き裂け! ――セレスティアル・ジャッジメント!」
一切の容赦のないミューラの全力の一撃――常人が使用したとしてもとんでもない威力を発揮する一撃が氷竜の体を襲った。竜巻のような暴風が大岩のように重い氷竜の体を宙に舞い上がらせる。そして、風の魔法は氷竜の体を千々に切り裂き、轟音を立てて坑道の上壁を吹き飛ばした。辺りに地震のような衝撃が走る。近くで、遠くで、ひっきりなしに落石の音が響く。ルイネたちの視界に入る場所でも坑道の壁が崩れ、頭上から降ってきた大岩の数々が来た道を塞いでいく。音からして、この鉱山のいたるところで崩落が起こっている。
揺れがおさまったころにはミューラの魔法によって切り裂かれた氷竜の姿はなかった。その場に残る冷気だけが、たった今までこの場所に氷竜が存在したことを知らしめていた。
ルイネは、ケープの中からシュレンにもらった缶を取り出す。意識のない、症状が重篤な者から順に、ルイネは赤い丸薬を与えていった。喉に詰まらせないように背中を持ち上げ、鉱夫が薬を飲み下したのを確認すると、ルイネは次の男へと移っていく。
低体温症に陥ってしまっている鉱夫たちにルイネが処置をしていると、手伝うよ、とシュレンが近づいてきた。ミューラとフェンネルもやってきて、鉱夫たちの様子を診る。
「状態が悪いわね。体温が低いのももちろんだけれど、衰弱が酷いわ。何日も閉じ込められていたのだから仕方ないけれど……」
「自力で動ける奴は少なそうだね。さっさとグルゴスまで連れて帰りたいけれど、オレたちだけだと少し時間がかかりそうだ」
ルイネは意識のない鉱夫に丸薬を飲ませてやりながら、聴覚がかすかに人の声を捉えたのを感じた。幻聴かと思うほどに本当に小さな小さな声だった。
「ミューラさん、フェンネルさん。もしかしたらなんですけど……近隣のギルドの応援が鉱山のすぐ外にまで来ているかもしれません」
「それは本当なの?」
「ほんのかすかにですけど、遠いところから人の声が聞こえました。こんなときにこんなところに来るのなんて応援の冒険者以外そういないでしょうから」
それも道理だね、とフェンネルは頷く。
「そうしたら、オレたちがやることは一つってわけだ。ミューラ、たった今どぎついの一発お見舞いしたばっかだけど行ける?」
「ええ。まだ魔力も半分くらいは残っているし、私は大丈夫よ」
ええ……と、シュレンはミューラの化け物っぷりに顔を引き攣らせる。これで専門職の魔法使いでなく、魔法剣士だというのだから恐ろしい。
「ミューラさん……今のでまだ半分魔力残ってるってどんだけなんですか……。何はともあれ、ミューラさんとフェンネルさんは外への道を切り開いて、外にいる冒険者の人たちにここにいる人たちの救出を手伝ってもらえるようにお願いしてきてもらえます?」
「あたしとシュレンはここに残って、なるべく鉱夫の人たちの処置を進めておきます。あ、できれば操車場に寄って、こっちにトロッコを向かわせてください。鉱夫の人たちもなるべく歩く距離が少ない方がいいだろうから」
「りょーかい。それじゃミューラ、行こっか」
さりげなさを装って、フェンネルはミューラの腰に手を回そうとする。ミューラは足捌きひとつでそれを躱すと、フェンネルの向こう脛に蹴りを食らわせた。こんなときでも騒がしい大人たちだなあとシュレンはげんなりする。いちゃつくなら時と場合を弁えて、なおかつ合意の上でやってくれ。
リュートの音に合わせてフェンネルが能力低下魔法を歌う声と、輪唱のようなミューラのつむじ風の魔法の詠唱が遠くから聞こえてくる。坑道の中に新しい道が切り開かれているのか、ひっきりなしに地面が揺れ、轟音が響いている。
ミューラが開けた上壁の大穴から紺碧の夜空が覗いていた。坑道内の気温と相対的に、本来ならまだ少しひんやりしているはずの夜風が生ぬるく感じられた。
ルイネとシュレンは鉱夫たちに一通り薬を飲ませ終えると、背嚢を地面に下ろし、荷を解いた。そして、二人は意識のあるものたちに食糧を分けてやりながら、トロッコがこの場に戻ってくるのを待った。
ルイネとシュレンはトロッコがやってくると、次々と容体の悪い順に鉱夫たちを操車場へと送っていった。そして、二人は比較的元気な若い鉱夫二人を最後にトロッコに乗せて送り出すと、荷物をまとめてその場を後にした。
来たときよりもだいぶ軽くなった背嚢を背負って、二人はミューラがつむじ風の魔法で作り直した道を戻っていく。時折、上壁から小石がパラパラと降ってはくるものの、これだけのものをミューラがごくごく初歩的な魔法で作り直してしまったことは驚きに値した。手加減のない一撃だったとはいえ、ミューラが氷竜の体を引き裂き、上壁と一緒に吹き飛ばしてしまったのも道理である。
左、右、直進。右、左。来たときとは枝道を逆に曲がりながら、ルイネとシュレンは外へと向かっていく。操車場近くの三叉路のところでミューラとフェンネルが待っていて、二人は彼らと合流を果たした。お疲れさま、と四人は互いを労い合った。
四人が鉱山から出ると、東の空が夜明け前の薄青に染まっていた。月は頭上を通り越し、西へと大きく傾き、来たころに月があったあたりには一際明るい星が輝いている。
ルイネは今しがた出てきた鉱山を振り仰ぐと、血赤の双眸に複雑そうな色を浮かべた。シュレンはルイネのそんな様子に気づくと、声をかける。
「ルイネ……気にしてる?」
うん、とルイネは苦笑混じりに頷くと、
「鉱夫の人たちは無事に全員救出したし、氷竜も討伐したとはいえ、結果的に鉱山をめちゃくちゃにしちゃったわけだし。自分が選んだ結果だってわかってても、もうちょっと何かなかったのかなって思っちゃう。うまく……割り切れないんだ」
「ルイネ、鉱山をめちゃくちゃにしたのはミューラだよ。ルイネじゃない」
「ちょっと、フェンネル、こんなときにまで茶々いれないでくれないかしら? でもフェンネルの言う通り、選んだのはルイネでも、実際に鉱山を魔法でめちゃくちゃにしたのは私よ。そして、この案を考えたのはフェンネルだし、ルイネだけじゃなく、私もシュレンもこうすることに同意したわ。
この結果がよかったにしろ、悪かったにしろ、ルイネ一人の責任じゃないわ。これは私たち全員で背負うべき結果なの」
「ミューラさんの言う通りだよ。僕たちはパーティなんだから」
「そーいうこと。オレたち『蒼天の一つ星』は報酬も責任も四分割だ」
「うん……」
ルイネは仲間たちへと向き直った。そして、彼女はそうだね、と泣き笑いのような表情で言った。
「さて、とりあえずグルゴスに戻りましょうか。ヴォルテックスに帰って報告するにしても、一旦体を休めた方がいいわ」
「そうですね。みんな、行こう」
ルイネは軽く目元を指で拭うとそう言った。
「うん」「ええ」「そーだね」
四人は頷き合うと、グルゴスの裏門に続く山道を降り始める。東の空の端は一日の始まりを告げる淡い朱色に包まれ始めていた。




