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第六章:氷竜グランディネ⑤

 しばらく奥へと向かって歩いていくと、鉱夫たちの足跡が途切れていた。しかし、何やら代わりに何かのレールが幾重にも地面に敷かれている。

「おそらくトロッコね。トロッコが使えれば一気に奥に進めるかもしれないし、近くに操車場がないか探してみましょうか」

 枝道は左、右、直進の三つに分かれている。ルイネは岩壁をメイスの先端で叩き、反響の具合を確認する。

「たぶん、ここ左の道の先が行き止まりになってる」

「それじゃあ、左の道の奥がトロッコの操車場になっているかもしれないね」

 ルイネの言葉を受け、シュレンはそう推論立てる。そして、行ってみよう、とルイネたちは頷き合うと、左の枝道を奥へと進み始めた。

 突き当たりの操車場まで行くと、積まれた鉄鉱石や石炭に紛れるようにして、トロッコの操作に使うと思われるレバーがあった。シュレンがレバーに触れるとひどく冷たく、手のひらの皮膚がレバーへと貼り付いた。

「だめだ、凍ってる。少し温めないと動かせなさそうだ」

「私の火の魔法でどうにかできるかしら?」

「うーん、それはやめといたほうがいい気がします。ミューラさんがやると、たぶんレバーごとどろどろに溶けちゃうので。それにこのくらいなら、僕でもすぐに溶かせますから」

 そう言うとシュレンは自分の背嚢から紅の布を取り出した。彼は紅の布でトロッコを操作するためのレバーを包んだ。ルイネは不思議そうな顔で、

「シュレン、それは何?」

「これはサラマンダーの繭で織った布だよ。これで包んだものを温めることができるんだ。さっきの薬じゃ太刀打ちできなくなったら、マント代わりに使おうと思って持ってきたんだけど、こんな形で役に立つとはね」

 布の下でキィ、と金属が軋む音がした。どうやら凍ってしまっていたレバーが自由を取り戻したようだった。

「とりあえず動かしてみようか。運が良ければトロッコで一気にもっと奥まで行けるかもしれないし」

 フェンネルにしては真っ当な意見に、そうねとミューラは頷いた。ミューラは手元のレバーに施された刻印を確認すると、慣れたふうにレバーを操作する。

「ミューラさんって、トロッコまで動かせるんですね」

 すごい、と素直に感激するルイネに、ミューラは照れ臭げに指先で頬を掻く。

「この稼業を長くやっていると、こういう仕掛けに出会うことも多いのよ。慣れよ、慣れ。そのうちルイネもこのくらいのギミックぐらいどうとでもできるようになるわよ」

 がこん、と坑道の奥の方で何かが動いた音がした。しかし、どこかでつっかえているのかトロッコは待てど暮らせど操車場へ戻ってくる様子はない。ごん、ごん、と何かが固いものにぶつかっているような音がかすかに聞こえてくる。

 ルイネは長い耳に神経を集中させ、音の出どころを探る。いくつかの枝道の分岐の奥で、トロッコが何らかの障害に隔てられ、進めなくなっているのが聞き取れた。おそらく音の響き方からして、トロッコがつっかえているのは、入り口にあったのと同じ分厚い氷の壁だ。

「奥の方にまたさっきみたいな氷の壁があるみたい。そこでトロッコがつっかえてる。たぶん場所わかるからついてきて」

 ルイネは仲間たちを先導し、左の枝道から出ると、右の枝道へと入っていった。元々この坑道に棲みついているブラッディバッドやロックワーム、ベノムスパイダーなどといった取るに足らないモンスターを前衛(アタツカー)の二人で払い除けながら、枝道を奥へと進む。次の分かれ道を左、その次の三叉路を直進、更に次の三叉路を左と、ルイネはシュレンの作った白い石を手に澱みない足取りで進んでいく。ごん、ごん、と何かが固いものにぶつかる音がだんだんと大きくなり、トロッコがつっかえている場所に間違いなく近づいているのだという確信を一行は強めた。

「これをさっきの操車場でルイネは完璧に聴き取ってたのか……エルフの耳が敏感っていうのは本当なんだなあ」

 フェンネルがそう呟くと、シュレンがさりげなさを装いながら、彼の膝の裏に膝蹴りを叩き込んだ。うお、とフェンネルはたたらを踏む。

「ちょっとシュレン何すんの!?」

「すみません、ちょっと足が長いもんで当たっちゃったみたいです」

「成長途上のガキのくせに、足の長さはオレくらいの長さになってから主張してくれないかなあ!?」

「今だって大して変わりませんよ。どんぐりの背比べってやつです。――それで、ルイネがどうかしました?」

 シュレンはフェンネルへと笑顔で圧をかけた。フェンネルはようやく、膝蹴りを食らわされた理由に合点がいった。

「耳が敏感って別に変な意味じゃないよ。エルフの耳って人間のものとは段違いに聴力がいいんだなって感心してただけ。それにしても、そんなふうに勘違いしちゃうなんて、シュレンもお年頃だねえ。シュレンのスケベぐぼあっ」

 拾い集めたブラッディバッドの翼の束でシュレンに後頭部を殴られ、フェンネルは悶絶する。ミューラは背後を振り返ると呆れたようにため息をついた。彼女の目の前には先ほどと同じような分厚い氷の壁があり、その向こうにうっすらとトロッコらしきもののシルエットがかろうじて見て取れた。

「ちょっと後衛(サポーター)二人、騒いでるくらいならこの壁どうにかするの手伝ってちょうだい」

 ミューラが腰に手を当てて、騒ぐ男二人を咎める。シュレンははあいと返事をすると、背嚢の中から塩の袋を出しながら、フェンネルへと毒を吐く。

「フェンネルさんのせいで僕まで怒られたじゃないですか」

「オレのせい!?」

 ぶつくさと言いながらもミューラの援護をするべく、フェンネルはリュートを構える。彼は弦に指を這わせながら、連携を図るべく、おっかない黒髪の女魔法剣士の背へと声をかける。

「ミューラ、行ける?」

「私はいつでもいいわ。シュレンもいいかしら?」

「僕も大丈夫です。いつでもどうぞ」

 氷の表面に塩を塗り終えたシュレンはぱんぱんと手に残った塩粒を払い落としながら頷いた。フェンネルはリュートの弦の具合を確かめると、ミューラに能力低下の魔法(デバフ)を掛けるべく、悲しげな暗い詩を奏で始める。フェンネルの歌を追いかけるように、ミューラの魔法の詠唱が重なり、切なくも力強い響きが坑道の中を満たした。

 ぽう、とミューラのほどいた髪の先に小さな炎が灯り始める。彼女の毛先から迸った熱線は先ほどと同様に目の前の氷の壁を蜂の巣にした。

 シュレンが塩の入った袋をしまい、背嚢を背負い直していると、みしっ、と氷の壁の内側から音がした。

「――ッ! みんな、レールから離れて!」

 ルイネは警告を発すると、トロッコのレールから飛び退る。ルイネの声に反応して、他の三人もそれぞれレールから距離を取った。

 みしみしという音と共に細かい氷の粒がぱらぱらと地面に落ちる。ごん、ごん、とトロッコが向こう側から氷の壁にぶつかり続けている。

 少しずつ氷の壁が崩壊していく。ぼごっという音を立ててトロッコが通れるくらいの穴が氷の壁に開いた。大きな氷の塊がレールの上に転がる。氷の壁の向こうから姿を現したトロッコは氷の塊を押しながら、ゆっくりと操車場のほうへと走っていった。

 ルイネは身を屈めると氷の壁の穴を潜った。壁の向こうのレールに沿うように真新しいタイヤの跡が残っている。

「あっちからトロッコは来たみたい。行ってみよう。あ、その壁、さっきのミューラさんの魔法で耐久度落ちてるからぶつからないように気をつけて。倒れてきて下敷きになるかも」

 ミューラとシュレンはルイネに倣って氷の壁の穴の中を通り抜ける。怖いこと言うなあ、とぼやきながらフェンネルも後に続いた。

 四人は地面に残る真新しいトロッコのタイヤの後を遡るようにして坑道の中を進んだ。

「……あれ? 何これ」

 トロッコや鉱夫たちが残した痕跡を追って、先頭を歩いていたルイネは大きな足跡のようなものを見つけて足を止めた。その足跡はグリズリーのものよりもはるかに大きい。

「もしかして……氷竜が近くにいる?」

 そう言った声が白い息とともに吐き出された。いつの間にか一段と冷たさを増した空気が喉に痛い。

 気がつけば、メイスを握る手が寒さで強張っている。最早、グルゴスでシュレンにもらった丸薬だけでは耐えられそうにない。

 そうかもしれないね、とシュレンはルイネの言葉に同意を示しながら、その場で荷物を解く。先ほど、操車場のレバーを温めるのに使った布を四枚取り出すと、シュレンはそれを一人一枚渡していく。

 ケープの上から赤い布をマントのように羽織るとルイネは体が湯に浸かったときのように心地よく綻んでいくのを感じた。マントから出た手指の先までぽかぽかと暖かさが広がっていく。ルイネはいつの間にか、ユグドラシルのメイスがいつも通り手の中で自在に動くようになっていることに気づいた。

「ここから先は気を抜けないわ。早く氷竜を討伐するなり、追い払うなりして鉱夫の人たちを助け出さないと」

「この寒さだと低体温症を起こしている人もいるかもしれないですしね。早く行かないと」

 ミューラの言葉にシュレンは背嚢を背負い直しながら同意する。

「それにしても、氷竜か。いくらミューラが銀級(シルバー)でも、オレたちがこの人数で真正面からどうこうできる相手じゃない」

 どうしたものかな、とフェンネルはひとりごちる。

「どうするもこうするも、あたしたち、そのつもりで来たはずでしょ?」

 それはそうなんだけどもうちょっとどうにかならないかと思って、とフェンネルは顎を擦る。彼はしばらく坑道の上壁を見つめながら、何事か考えを巡らせていたが、やがていつもとは打って変わった神妙な顔で口を開いた。

「オレに策がある、っていったら乗る気はある?」

「「「策?」」」

 ルイネたちは訝しげにフェンネルを見やった。終始ふざけた態度しか見せないこの男がこの状況を打開する策を持っているとはとても思えなかった。しかし、いつもはにやけている藍の双眸はいつになく真剣だった。

「まず、オレがルイネに身体能力上昇の魔法(バフ)をかけるから、全力でルイネが先手を打ちにいく。オレたちの中で一番機敏に動けるのも、物理的な攻撃力に優れているのもルイネだ。特大の一発をお見舞いしてやるといい。一瞬でいい、奴を行動不能に(スタン)させるんだ」

 なるほど、とルイネは頷く。そして、それで、と彼女は続きを促した。

「シュレンは氷竜の動きをどうにかして制限してほしい。どうせ何かしら持ってるんだろう? その手の薬品」

「何で僕だけ、大事なところ完全に丸投げなんですか。あるっちゃありますけどね、トリカブトのエキスとカミナリナマズの体液で作ったとびっきりのやつが」

 強酸性の薬品で鱗を溶かしてからそいつを叩きつけてやりましょう、とシュレンは腰のベルトに下げた試験管に手を伸ばす。そして、フェンネルはミューラへと向き直ると、

「で、ミューラは動かなくなった氷竜を魔法で全力でぶっ飛ばして。上壁をぶっ壊すくらい思いっきり」

 フェンネルの提案をミューラは待って、と制止した。

「そんなことをしたら坑道が崩落しちゃうわ」

「崩落したら、出口を作るためにまた、ミューラの魔法で道をこじ開ければいい。簡単な話だろう?」

 でも、とルイネは二人の話に口を割り込ませた。

「鉱夫の人たちを連れてここを脱出する分にはそれでいいかもしれない。だけど、そんなことをしたら、きっとグルゴスの人たちはこの鉱山をもう使えなくなっちゃう……」

 崩落だらけの鉱山は危険すぎる。いくら資源がまだ残っていようとも、グルゴスの人々はこの鉱山を手放さざるを得なくなるだろう。

「別に構わないだろう? オレたちが受けた依頼(クエスト)はこの鉱山の調査と鉱夫たちの救出だ。後がどうなろうとオレには関係がない。それとも何、ルイネはこの鉱山を守るために、鉱夫たちの命を危険に晒して、近隣ギルドの応援を待つつもりかい?」

「そういうつもりじゃ……」

「じゃあ、どういうつもりだい? まさか何も犠牲にせずに実力でこの場を切り抜けるとでも? ルイネ、現実はそんなに甘くないよ」

「……」

 ルイネは口籠った。フェンネルの言うことは一理ある。今の自分がもし力ある白金級(プラチナ)冒険者だったなら、こんなふうに何かを天秤にかけずに済んだのだろうか。ルイネが目の前の現実と葛藤していると、わかる気がする、とシュレンが口を開いた。

「言ったのがフェンネルさんだってのが業腹だけど。ルイネ、世の中は綺麗事だけじゃ回らないんだよ。何かを守るためには何かを切り捨てないといけないときだってある。一部の限られた人以外は、全部を選ぶことなんてできないんだ。ねえ、ルイネ。ルイネはどうしたい?」

 シュレンの茶色の眼差しがルイネへと向けられる。ルイネはミューラの紫の目が、フェンネルの藍色の視線が自分へと向けられているのを感じた。

「あたし、は……」

 自分にはこの鉱山の今後をフェンネルのように割り切ってしまうことはできない。けれど、今自分たちが動けば救えるかもしれない命を見捨ててしまうことはもっとできなかった。

「……っ……、わかった。あたしは、フェンネルさんの策に乗る」

 苦虫を噛み潰したように、ルイネは喉の奥から答えを絞り出した。何かを決断することがこんなにも苦しくて辛いことだとは思わなかった。選ばれなかった方の重みが胃に痛い。

「ルイネ、人はそうやって大人になっていくんだよ。ルイネはエルフだから、他の人よりも幾分ゆっくりかもしれないけど。それにしてもその顔いいね。いかにも苦渋の選択を下したって感じの。何かそそるうおあっ」

 ミューラに盾で殴られ、フェンネルの喉の奥から変な声が飛び出した。

「黙りなさい、変態。でもそうね、私もフェンネルの案には乗る価値があると思うわ」

 それはこのオレが考えた案だからね、とフェンネルは殴られた頭をさすりながらドヤ顔をする。シュレンは心底嫌そうな顔をしながら、

「その知能が王都でご令嬢方を落とすために悪用されていたと思うと反吐が出ますけど。だけど、フェンネルさんの策が上手くいけば、僕たちは迅速に鉱夫の人たちの救助に当たれる。本当に業腹ですけど、僕も乗りますよ」

「なーんでそうやってシュレンとミューラはいちいちオレをちくちく刺してくるかなあ。――でも、決まったね」

 ルイネたちは頷き合い、これからの方針が固まったことを確かめ合う。

「それじゃあフェンネルさん。氷竜を見つけ次第、あたしの援護をお願いします。シュレンとミューラさんはフェンネルさんが言ってたみたいに、あたしの後に続いて」

「「「了解」」」

 ルイネたちは近くにいるはずの氷竜を探して歩き出した。さく、さく、と地面で音が鳴る。彼らの足元では白い霜が透明な煌めきを放っていた。

いつもお読みいただきありがとうございます。

本日もまた、途中で切るに切れず、いつもより殊更に長いエピソードとなっています。

本作もそろそろ終りが近づいてきておりますが、最後までお付き合いいただけますと幸いです。

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