第一章:目は口ほどに物を言う②
街の住人や冒険者らしき人々とすれ違いながら、ルイネが衛兵の男に言われた通りに歩いていると、屋根に小さな赤い旗の立った建物があった。金糸で縫い取られた剣と盾の意匠は間違いなく冒険者ギルドのものだ。
「――ここか」
役場の前を通り過ぎ、目的の建物の前で足を止めるとルイネは呟いた。さすがはこの辺りでも指折りの大都市のギルドだけあって、焼け焦げの跡がある外壁や無理やり塞がれた割れた窓からは腕に覚えのある猛者――もとい、荒くれ者が多いのだろうということがひしひしと伝わってくる。
ルイネは自然と自分の頬が強張るのを感じた。何十年も必死で修練を重ねた自分の技は一流とまでは言わなくても、それなりのものだとは自負している。森を出てからの道中で遭遇した通常のモンスター程度であれば、難なく倒すことができたという事実がそれを裏打ちしている。
しかし、それでもこの冒険者ギルドの門戸を叩くのは怖かった。一流の冒険者と呼ばれる人々は今の自分よりも遥かに高い次元の戦いに日々身を置いているはずだ。自分はそんなふうになれるのだろうか。それだけのものを相手にする覚悟があるのだろうか。
(冒険者になるって決めて森を出てきたんだから。今更、何を怯んでいるの。――しっかりしろ、あたし)
ルイネは己の弱気を叱咤するようにぱしぱしと帽子の耳当ての上から頬を叩く。よし、と気合を入れ直すと、武器によるものと思しき大きな傷跡が刻まれた入り口の扉を押し開けた。
からんからん、とドアベルが乾いた音を奏で、ルイネの訪いを知らせた。カウンターでビールのジャッキを傾けていた斧使いの男や、壁側の掲示板の前で次に受ける依頼を選別していた細剣使いの女がルイネへとちらりと視線を向けた。
何で子供がこんなところに。そう言いたげな胡乱で不躾な視線に一瞬ルイネはたじろいだ。
冒険者たちはすぐに興味を失ったのか、ルイネから視線を外した。カウンターの内側に立った冒険者上がりとわかる右目を黒い眼帯で覆った禿頭の男は、不機嫌そうな険しい眼差しをルイネへと浴びせかける。
「なんだ、お嬢ちゃん。旅人か?」
低く凄みのある声でそう問いかけられ、ええまあ、とルイネは頷いた。
「泊まるところを探しているなら、目抜き通りを挟んで向こう側の歓楽地区だ。ここはお嬢ちゃんみたいな子が来るところじゃねえよ」
わかったらとっとと帰った、と虫でも追い払うかのようにルイネを追い出そうとする男に、彼女は待ってくださいと食い下がった。
「ここ、冒険者ギルドですよね。あたし、冒険者になるためにヴォルテックスに来たんです」
冒険者に? と、男は訝しむように眉根を寄せた。男は片方しかない目で値踏みするようにルイネを頭のてっぺんから爪先まで見やった。ふん、と男は馬鹿にするように鼻を鳴らすと、
「笑わせんな。お嬢ちゃんのその細っこい体で何ができる?」
ルイネは月桂樹の花の意匠が施されたメイスを抜いた。それはルイネが生まれたときにエルフの長によって作られ、与えられたものだった。ルイネの故郷では、森の中央に聳える霊樹ユグドラシルの枝から作った杖を生まれたばかりの赤子へ与える風習がある。
男はルイネのメイスを見ると、意外そうに片眉を上げた。何十年もルイネと共に修練を積んできたメイスは、使い込まれて独特の艶を放っている。見てください、とルイネは月桂樹の皮で作られた背嚢を下ろすと、中身をカウンターの上にぶちまけた。
モンスターのものと思われる、ツノや牙、毛皮。それはルイネが一人である程度のモンスターを倒す実力があることの証左に他ならなかった。
「これは、あたしがヴォルテックスに来るまでに倒したモンスターから得た戦利品です。これでもまだ、あたしが何もできないただの小娘だと言い張りますか?」
ずいとルイネがカウンターから身を乗り出すと、わかったわかったと男は降参したように肩をすくめた。
「こっちはオークで、そっちはアルミラージか? その辺りの雑魚が倒せるってんなら、見た目よりは見込みがありそうだな。少なくともあいつよりは……」
男はぶつぶつと呟きながら、カウンターの下から羊皮紙と羽ペンを取り出した。ルイネが道中で得た戦果を男は古傷の残る太い前腕で押し退けると、それらをカウンターの上に置く。ぶっきらぼうに男はルイネを顎でしゃくると、
「いいだろう、それを書きな。お嬢ちゃんをヴォルテックス支部所属の銅級冒険者として仮登録してやる。最初の依頼を無事にこなすことができれば、本登録って形になる。そうすれば冒険者ライセンスが発行されて、ここだけじゃなくよそのギルドでも依頼を受けることができるようになる。
まあ、お嬢ちゃんには多少は戦う力があるみてえだから、まずはお手並み拝見ってことだ。最初の依頼で躓くようじゃ、どのみち冒険者としてやっていくのは無理だ。実際の依頼をこなしてみて、現実ってやつを思い知るといい」
男の言葉は冒険者という稼業は甘くないということを暗に告げていた。しかし、ルイネだってそんなことは承知の上だし、森を出奔してきてしまった以上、もう後には引けなかった。彼女はありがとうございます、と男に礼を述べると、羽ペンを手に取り、羊皮紙の上に走らせる。
「十五歳、ね」
ルイネが必要事項を羊皮紙に記入している様子を腕組みをして眺めていた男は、彼女の虚偽の年齢に目を留めて嘆息した。ルイネは自分の年齢詐称がバレたのかと焦りを覚えたが、男は苦々しげに独りごちる。
「最近の冒険者志願者はガキばっかで嫌になるな。冒険者ってのは世の中を知らねえガキに務まるほどお気楽な商売じゃねえっての」
ルイネは羊皮紙に必要事項を記入し終えると、首を傾げた。
「他にもあたしくらいの年の冒険者がいるんですか?」
「ああ。つい最近、お嬢ちゃんと同い年で、錬金術とかいう訳分からんものを使う小僧が冒険者になりたいとか抜かして押しかけてきてな。いくら断っても、毎日押しかけてくるもんだから難儀で……」
男がそう言いかけたとき、ドアベルが鳴った。ドアが開き、中へと入ってきたのは茶色の髪と目の小柄な少年だった。腰のベルトにはじゃらじゃらと見慣れない薬品の入った試験管を大量にぶら下げている。少年はつかつかとカウンターに近寄ってくると、男の前で深々と頭を下げた。
「ジャレットさん! 僕を冒険者にしてください!」
「あの……この子が、今言っていた、例の?」
ルイネは少年と男――ジャレットを見比べながら小声で聞く。そうだとジャレットは重々しく頷いた。
「錬金術とかいうそのわけのわかんねえもんで一体何ができる? 冒険者ってのは切った張ったの商売だ。何もできねえガキにうろつかれても迷惑だ、帰れ」
「錬金術師には錬金術師なりの戦い方があるんです。それをろくに知ろうともせずに毎日帰れ帰れって……」
少年は鼻白んだようにジャレットへと向かって言い募る。
ルイネ自身、錬金術というものについて明るくはない。魔法とはまったく別体系の、魔力を使わずにありとあらゆる現象を起こすことができる技術が存在しているらしいと小耳に挟んだことがあるくらいだ。
たった今、ルイネ自身も戦える身に見えないという理由でジャレットに門前払いされかけた。ルイネは道中の戦果をもって、ジャレットに己の実力を示してみせることで、仮とはいえ銅級冒険者となることを認めさせることができた。
(なら、この子に戦う力があることを示すことができれば……!)
ルイネがこの少年に肩入れする義理はない。けれど、錬金術などわけがわからないという理由で冒険者になることをジャレットに毎日拒まれ続けているという彼が我が身のことのように不憫だった。あの、とルイネは二人の会話に割って入った。
「要はこの子が一人前の冒険者として戦えるってことを証明できればいいんですよね?」
「あ、ああ、まあ、それはそうなんだが……」
一体いきなり何を言い出すんだとばかりにジャレットはなったばかりの新米冒険者の少女を見た。
「最初の依頼、あたしとこの子で行かせてください。依頼はジャレットさんが相応の難易度のものを選んでくださって結構です。ただ、代わりに無事に依頼を達成することができたら、この子が冒険者としてここのギルドに所属することを認めてください」
ルイネは一気にそう畳み掛ける。ジャレットは真摯な光を湛えたルイネの双眸を片方しかない目で睨み返すと、
「いいだろう。ただ、俺からももう一つ条件をつけさせてもらう。お嬢ちゃんたちが依頼を達成できなかったら、この小僧だけじゃなくお嬢ちゃんの冒険者登録の話もなしだ。二人揃ってこのギルドを永久追放してやるからそのつもりでいろ」
「……わかりました」
自分のためにも、この少年のためにも、最初の依頼は必ず達成しないといけない。その重圧で頭と胃が痛くなりそうだったが、ルイネはジャレットの提示した条件を呑んだ。
「あの……いいんですか? 見ず知らずの僕のためにそんな……」
ルイネとジャレットの間で話が進んでいってしまっていることに慌てたように少年は口を挟んだ。しかし、ルイネはいいの、と口の端を釣り上げると、
「だってあなた、冒険者になりたいんでしょ? それにあたしだって、最初の依頼で躓くようならどのみち冒険者としてやっていけない。これはあなたにとっても、あたしにとっても、自分の力を示すためのいい機会だよ。これを逃す手はないでしょ」
違う? とルイネが問うと、少年は首を横に振った。
「巻き込んじゃってすみません。だけど、どうかお願いします。ええと……」
「ルイネだよ。ルイネ・フェリシタル」
「シュレン・ルーセントです。――よろしく、ルイネ」
シュレンの言葉が一気に砕けたものになる。そしてルイネはよろしくと、差し出されたシュレンの右手を握り返した。
その様子を眺めていたジャレットはやれやれと肩をすくめながらカウンターを出る。そして、彼は依頼の紙が所狭しと貼られた掲示板から、一枚の紙を剥がして持ってくると、ルイネへと渡した。
「隣町のコバールへの荷物運びの依頼だ。初めての依頼には丁度いいだろう」
ルイネは依頼書の内容へと目を落とす。西のコバール方面には街道が通っており、大きく街道を逸れない限り、強力なモンスターが襲いかかってくることもそうないだろう。これが最初の依頼になる自分たちでも――おそらくルイネ一人であっても片付く内容だ。
「よし、シュレン。急ぐみたいだし、まずは荷物を受け取りに行こっか」
「うん」
ルイネはシュレンを促して、出入り口の扉を押し開けた。薄暗いギルドの建物の中に眩い昼の日差しが入り込んでくる。
「それじゃあお手並み拝見といくか。戻ってくるまでにはお前らのライセンスカードを用意しておいてやる。せいぜい頑張ってくるんだな」
カードが無駄にならねえように一応祈っとくぜ、と背中をジャレットの声が追いかけてくる。ルイネは依頼書にあった商業地区の雑貨店を目指して、シュレンとともに不慣れな街の中を歩き始めた。