第六章:氷竜グランディネ④
鉱山の中はいくつもの枝道に分かたれていた。ルイネはシュレンから光る石を借り、地面に目を凝らしていた。
「ここはたぶん右の道かな。大きさ的に男性の足跡が複数向こうに続いてるでしょ?」
「ルイネ、そんなことがよくぱっとわかるわね」
感心したようなミューラの口ぶりにルイネは苦笑する。
「伊達に森の中で百五十年も生きてきてませんから。こういう痕跡を読み取れないでうっかり森の奥に足を踏み入れたりすると、フォレストベアやらグリズリーやらに襲われたりしかねないですし」
「エルフの森暮らしっていうのもなかなか大変なんだねえ……何かエルフってもっと浮世離れした暮らししてるものかと思っていたんだけど」
フェンネルの言葉に、ルイネは偏見ーと頬を膨らませる。一体この人はエルフに何を期待してるんだ。
「火や金属を使わないだとか、肉を食べないだとかって話を聞いたことがあったけど、ルイネ見てると全然そんなことないし」
「フェンネルさん……何百世紀前の話をしてるんですか? 火や金属がなければあたしたちだって生活していけないし、お肉だって食べないと栄養偏っちゃいますよ」
「じゃああれは本当? エルフは耳が敏感らしいってやつ」
ニタァ、とフェンネルは好色そうに口元を歪めた。ルイネは耳に触れようとしてくるフェンネルの手を引っ叩くと、
「それは本当なんでやめてください。エルフの耳は伴侶以外に触らせちゃいけないんです。フェンネルさんだって、たとえば下半身を伴侶以外の女性に触られたら嫌でしょう?」
「いや、オレ全然そういうのイケる口だし、そんなチャンスがあったらすかさず一発しけこむけど?」
「……」
へらへらとしながらそんなことを宣うフェンネルをルイネはじっとりとした目で見やった。一体何を言っているのか完全には理解できないが、例によっていかがわしい話を嬉々としてしていることだけは理解できる。
「ところでさあ、ルイネ。エルフって後ろからグボァッ!?」
いい加減にしなさい、とミューラが鞘のついたままの剣でフェンネルの頭を殴った。「いってえ……」彼は藍色の目に涙を溜め、ミューラに殴られた頭を押さえている。そんな彼にシュレンは茶色の目に軽蔑の色を湛え、追い打ちをかける。
「フェンネルさん……それ、セクハラですよ、わかります? セクシュアル・ハラスメント」
「あと、たぶんエルフ・ハラスメントでもあるわね。エルハラ」
「……は、ハイ」
フェンネルはたじたじになりながら、詰め寄ってくる二人から涙の浮いた目を泳がせる。
「フェンネルさんのしてることはセクハラでエルハラなんです。それ以上続けるなら僕にも考えがあります」
すっとシュレンは腰のベルトから淡黄色の液体が入った試験管を抜く。
「フェンネルさん、これ頭から浴びます? これ、何でも溶かしちゃう強酸性の薬品なんですけど。こんなの浴びたら、髪どころか頭皮も頭蓋骨も貫通して脳味噌どろっどろになりますよ」
「何それ怖っ!? なんてもの作ってるのシュレン!? 完全に殺しにかかってんじゃん!」
シュレンの手にした薬品の恐ろしい効能にフェンネルはひぃっと顔を引き攣らせる。
「いやあ、氷竜の鱗を想定して薬を調合してきたもので。僕としては、氷竜に使う前にフェンネルさんで試してみるのも吝かではないんですけど、フェンネルさんはどうです?」
シュレンは試験管の蓋を外すと、中の液体を一滴、すぐ隣の岩壁へと滴らせた。じゅっという音を立てて分厚い岩に一瞬にして穴があく。その威力にぎょっとしてフェンネルは身を引いた。
「謹んで遠慮させていただきますオレが悪かったです!! っていうかシュレンのそれはアルハラじゃないわけ!? アルケミー・ハラスメント」
ちょっとよくわからないですね、と嘯きながらシュレンは試験管を腰のベルトに戻した。フェンネル相手に鬱憤を晴らしたシュレンはとても悪い顔をしていた。ところで、と世俗のことに疎いルイネは小首をかしげながら、
「さっきからみんなが言っている”ハラスメント”って何?」
「平たく言えば嫌がらせのことよ。ほら、そんなことより、まだまだ奥があるみたいだし、フェンネルは放っておいて早くいきましょう。ルイネ、先頭に立って鉱夫たちの痕跡を追ってもらっていい?」
はーい、と返事をするとルイネは先陣を切って歩き出した。彼女の手の上では真昼の太陽のように眩く輝く白い石が強い光を放っていた。




