第五章:『蒼天の一つ星』③
シュレンに手を引かれてルイネが姿を現したことで、ミューラは安堵で息を吐いた。彼女は、剥き出しになったルイネの長く尖った耳が見えていないわけではなかったが、それについて何も言うことはなかった。その代わりに彼女はお腹は減っていない? とルイネを気遣う言葉をかけた。
「ミューラさん、ルイネ、シチューが食べたいって言ってました」
「わかったわ。フェンネル、厨房に伝えてきてちょうだい」
「ええー、なんでオレがー」
フェンネルはぶうたれながらも席を立つとカウンターのほうへと向かっていく。彼はカウンター越しに厨房の中の料理人に声をかけ、シチューを注文した。ついでに自分用の酒を注文しているあたりにちゃっかりとした彼の性格が窺えた。
フェンネルが先に戻ってくると、程なくして、宿の女主人によってシチューと酒、ミルクが運ばれてきた。女主人はシチューをルイネの前に、酒のボトルとグラス二つをフェンネルの前に置いた。そして、ホットミルクの注がれたカップをミューラの前に置くと、女主人は一礼して厨房の奥へと引っ込んでいった。
「あら、気が利くのね」
「それはほら、オレってフェミニストだし?」
「フェンネルさんが言うとものすごく嘘くさく聞こえるんですけど」
「シュレンは辛辣だなあ」
少なくとも表面上はいつも通りの仲間たちのわちゃわちゃとしたやりとりに安心を覚えながら、ルイネは匙を手に取った。「ただの事実です」「私もシュレンに同意だわ」「二人ともオレの扱いひどすぎない?」三人の会話を聴覚の表面で心地よく捉えながら、ルイネは食事を進めていく。
何種類も入り混じった濃厚なチーズとミルクの風味と野菜や塩漬け肉から出た旨味に食欲が刺激され、あっという間にシチューはルイネの胃の中に消えていった。部屋に篭って泣き続けていたことで疲弊した心と体に優しい味が沁みた。
「……あの」
ルイネは食事を終え、匙を置くと、飲み物を傾けながら雑談に興じていた三人へと声をかけた。
「あたし……みんなに謝らなきゃいけないことがあるんです」
ルイネは自分の声が震えるのを感じた。彼女はそれを堪えるように自分の手の甲に爪を立てる。
「この耳を見てわかるでしょうけど、あたしはエルフです。だけど、あたしは生まれつき魔力を持っていない――魔力の匂いはわかるけれど、魔法が使えないんです。このせいで、あたしは生まれ育ったシウィスーヤの森では、他のエルフたちに気味悪がられ、蔑まれてきました。
あたしが冒険者になったのは、自分の腕を試したかったからなんて前向きな理由なんかじゃない。ただ、エルフであるという事実から逃れて、森の外で自分らしく生きたかっただけなんです。
だからあたしは自分がエルフだということをみんなに隠してたんです。エルフのくせに魔法の使えない出来損ないだと知られて幻滅されたくなくて……そんな疾しい気持ちで嘘をついていたんです。本当に……ごめんなさい」
ルイネの告白に、シュレンとミューラは顔を見合わせた。二人にはルイネを責めるつもりは毛頭なかった。ただ、事実を喉の奥から苦しげに搾り出すルイネがあまりに痛々しくて、かけるべき言葉を見つけられなかった。あ、だとか、えっと、だとか、何かを言いかけては後に続ける言葉を紡ぎ出せずに、意味のない音だけが客が引いた後の夜の食堂の静寂に溶けていく。
ねえあのさ、とフェンネルは酒で口の中を湿らせると、話を切り出した。
「ルイネだけじゃなく、ここにいる全員、オレも含めて何かしらの嘘を抱えている。白状しちゃうにはいい機会なんじゃないのかな。どうせもうシュレンとミューラはオレの素性を知っているし、オレも具体的な内容までは知らないにしてもこの二人が何かを隠していることを知っている。
まあ、互いに事情を抱えていることを知りながらも、詮索せずに清濁併せ呑んで今のままの関係を続けるっていう手もある。きみたちはどうしたい?」
「僕は構わないですよ。どうせ僕の隠し事はさっき、ルイネに話しちゃいましたから。ミューラさんはどうですか?」
「……いいわ。ルイネがエルフなら、どのみちもう隠しておくのは難しいもの」
満場一致だね、とフェンネルは笑った。そして、彼は厨房に聞こえないように声を潜めると、
「閉鎖的な森で暮らしていたルイネは知らないだろうけれど、オレは一時期王都で名を馳せた結婚詐欺師だ。金持ちのご令嬢を狙って口説き落とし、結婚の約束を取り付けては金を巻き上げてた」
うわあ、とルイネは顔を歪めた。ミューラからはフェンネルはさる貴族の子息で跡目争いに巻き込まれているらしいと説明されていたが、そういうことであれば王都の冒険者に追われていたことも腑に落ちる。
「私はガペリアにいたころに依頼で王都に行ったことがあるから、フェンネルの顔を知っていたのよ。結婚詐欺師《幻惑》のハルシオンとして指名手配されているのを王都の冒険者ギルドで見ていたから。駆け出しの銅級冒険者に過ぎないシュレンがどうしてフェンネルの素性を知っていたのかはわからないけれど」
「裏の世界には裏の世界の情報網っていうものがあるんですよ。裏の稼業に携わっている人間の間では、《幻惑》のハルシオンはそれなりに有名人ですから」
裏の稼業? とミューラは困惑したように聞き返した。ええ、とシュレンは苦い笑みを浮かべる。
「《アルヴェリ盗賊団》というのが僕の古巣です。僕の両親はこの盗賊団の団員で、僕はここで生まれ育ちました」
「アルヴェリか……なかなかの有名どころだね。君がオレを同じ穴のムジナだと言ったのも納得だな」
フェンネルは両腕を組み、独りごちた。シュレンは話を続けていく。
「僕は鈍臭いし体力もないしで、盗賊としての適性はなかったんですよね。なので、他の団員が仕事をしている間は、僕は荷物番をしながら独学で錬金術の勉強をしていました。金が手に入るなら、盗むんじゃなくて、生み出すのでもいいんじゃないかと思って。
あるとき、両親が仕事でしくじって王国兵に捕まった。そしたら、役立たずに食わせるメシはないって僕は団を追い出されたんです。頭領には、少し待ってくれれば必ず土塊から金を生み出してみせる――団の役に立ってみせるって訴えたけど、鼻で笑ってまるで取り合ってくれませんでした。
土塊を金に変える方法を探すためにリンシュ大陸に行きたいっていうのは紛うことなき僕の本心です。だけど、その動機は生まれ育った貧しい村を豊かにしたいなんてご立派なものじゃない。ただ、僕を捨てた団の連中を見返したいだけなんです。――これが、僕の嘘です」
そう、とミューラは複雑そうな表情を浮かべた。犯罪の片棒を担いでいたとはいえ、境遇を思えば、彼を今更王国兵に突き出す気にはなれなかった。
「それで、ミューラは? 次、ミューラが自分のこと白状する流れだよ?」
フェンネルに促され、ミューラは溜息をついた。少し見ていて、と彼女は告げると右手の人差し指を立て、意識を集中させる。
「闇夜に宿る星の光よ、行く手を照らす小さき灯となれ。――トゥインクル・レイ」
ミューラが呟くように呪文を詠唱すると、人差し指を白い光が迸り、真夏の太陽のような鋭さで食堂中に閃いた。光は窓を突き抜け、目抜き通りを挟んだ行政地区の裏路地まで鮮明に浮かび上がらせた。
「一体何事なの!?」
今しがたの光を見た女主人が厨房から顔を出し、声を荒らげた。
「ごめんなさい、気にしないで。何でもないのよ」
「アタシの店で妙なことをするんじゃないよ。いいね?」
ミューラが女主人を宥めると、彼女はぶつくさ言いながらも再び厨房の中に顔を引っ込めた。
「もしかして、とは思っていましたけど……ミューラさん、魔法使えたんですね」
「やっぱりルイネにはバレていたのね」
「今の魔法、前にミューラさんの盾が纏っていた魔力と同じ匂いがしますから。だけど、何でミューラさんは魔法が使えることを隠していたんですか?」
「私……魔法は使えても魔力の制御ができないのよ。今使ってみせたのも、本来なら指先に小さな光を灯す程度の魔法よ」
え、とルイネは絶句した。呆れたでしょう、と苦笑しながら、ミューラは自分の冒険者ライセンスを取り出すと、三人に見えるようにした。
ライセンスカードの裏面には賞罰の履歴を記すための欄がある。ミューラのライセンスカードの裏面には、以前に依頼を失敗した旨が綴られていた。
「私、ガペリアにいたころは魔法剣士だったのよ。ただ、とあるお屋敷の警備の依頼を受けたときに、襲ってきた賊相手に咄嗟に火の魔法を放ったらお屋敷が全焼する大火事になっちゃって。
依頼主が結構な好事家で、お屋敷に貴重なものがたくさんあったものだから、とんでもない額の弁償金を負う羽目になっちゃって。白金貨数百枚レベルの負債を今は地道に返しているところよ」
「だから、ミューラさん、多少怪しかったり条件きつくても、報酬のいい依頼ばかり受けたがっていたんですね……」
シュレンは納得したように頷く。あれ、とルイネは首を傾げると、
「それじゃあ、故郷に病気の弟さんがいるっていうのは……?」
「ごめんなさい、嘘よ。さすがにそんな莫大な借金を抱えているなんて誰にも言えないもの。
ルイネとシュレンにはもう一つ謝らないといけないわね。こんな訳ありの冒険者と組みたがる人なんていないから、まだ駆け出しで何も知らなさそうなあなたたちに声をかけたのよ。本当にごめんなさいね」
「いえ……訳ありだったのはお互い様ですし……あたしこそ、仲間なのに今まで大事なことを黙っていてすみませんでした」
ルイネはミューラの謝罪を謝罪で返した。隠しごとをしていたという点では同罪であるシュレンも居心地の悪そうな顔をしている。
そのとき、あのさあ、とフェンネルが口を挟み、再び沈みかけた空気を打破した。
「ミューラの借金はさすがにどうにもしてあげられないけど、魔力の制御についてはオレがどうにかしてあげられると思うよ」
どういうこと、とミューラは聞き返した。いいかい、とフェンネルはもったいぶるように顔の前で人差し指を振ってみせると、
「オレの音楽の魔法には、敵の能力を低下させ、攻撃を阻害する力があるのは知っているよね? 普通は味方にこれを使うことはないんだけれど、この魔法を応用すればミューラの魔力の出力を抑えることができる。そうやってミューラの魔法が解禁できれば、戦術の幅も広がるし、悪い話じゃないと思うけど?」
フェンネルの提案は思った以上に有用なものだった。普通は仲間に能力低下の魔法をかけるようなとち狂った真似はしないものだが、あまりに大味な魔力を持つミューラの場合においてはメリットとなり得た。しかし、妙に協力的なフェンネルの申し出をミューラは怪しんで、
「フェンネル……力を貸してくれるのはありがたいけれど、一体対価に何を要求するつもり?」
「いやだなあ、オレそんなに信用ない? たまには仲間の厚意を素直に受け取ってくれてもいいんじゃない?」
「あなた油断ならないのよ……だって……」
うっかりギフリムでの夜のことを口に仕掛けてミューラは口を噤んだ。あんな恥ずかしい話をルイネとシュレンに知られたくはない。
いいこと教えてあげるよ、とフェンネルはミューラの耳元に口を寄せる。
「実はオレ、未遂なんだよね。酔ってて暑そうだったから服を脱がせはしたし、そのついでにちょっと揉んだり舐めたり吸ったりはしたけど最後まではしてない」
まったく面白いくらい騙されてくれたよねえとフェンネルは目元をにやつかせた。安心したやら腹立たしいやらで顔が熱くなるのをミューラは感じた。暑そうだからという理由で下着まで全部脱がせる奴がどこにいるんだ。
「騙したわね!」
「それがオレの本職なんで。ご不満なら、これからオレの部屋来て既成事実作っちゃう?」
「お断りよ!!」
ミューラの怒声がフェンネルの耳を劈いた。そんなに怒らなくても、とフェンネルはへらへらした態度を崩すことなく肩をすくめている。
揉むとか舐めるとか吸うとか聞こえた気がするが、一体何の話だ。その辺りの知識に疎いルイネはねえねえ、とシュレンをつつく。
「フェンネルさんはミューラさんに一体何を言ったの? 既成事実って何の話? ミューラさんめちゃくちゃ怒ってるけど」
「聞くに耐えない下品な話だよ。フェンネルさんの冗談に品がないのは今に始まった話じゃないし、ルイネは気にしなくていいよ」
「あー……フェンネルさん、結婚詐欺師だもんね」
「そういうこと」
シュレンがいて、ミューラがいて、フェンネルがいる。フェンネルが品のない冗談を言って、ミューラが顔を真っ赤にして怒って、シュレンがそれをげんなりした顔で説明してくれる。このどうしようもなくて、優しい人たちとこれからも一緒にいたい。自分たちがこれからも一緒にいるために、自分たちを繋ぎ止めるための名前が欲しい。
「あの、さ。これからもあたしと一緒にいてくれる? 魔法の使えない、出来損ないのエルフだけど、みんなと一緒にいていいかな?」
当たり前でしょう、とミューラは微笑んだ。
「ルイネが攻撃の多くを担ってくれるから、私はその分盾役としての役目に集中できるの。勝手にいなくなられたら困るわ。私だけじゃ前衛をカバーしきれないもの」
そうだよ、とシュレンもうんうん頷きながら、
「僕がリンシュ大陸に渡る日まで、僕に協力してくれるって約束、反故にされたら困るんだけど?」
「そういうことらしいけど、ルイネ、君はどうしたいんだい? 他の連中がどうかはともかく、オレたちは君がエルフだからじゃなく、君が君だからここにいて欲しいと思っているんだよ」
フェンネルにそう問われて、ルイネは仲間たちの顔を順に見渡した。ルイネは声が上擦るのを感じながらも、心からの答えを口にする。
「あたしは、みんなと一緒にいたい。あたし……みんなとパーティ組みたい」
「いいよ」「いいわよ」「構わないよ」
三人は異口同音に快諾した。
「そうしたら、パーティ名をどうするか考える必要があるわね」
ミューラの言葉を受け、そうだなあ、とフェンネルは考え込む。青、蒼、と彼はしばらく口の中で言葉を転がしていたが、
「『蒼天の一つ星』はどうだろう? 一つ星はオレたちをここに繋ぎ止めるルイネのことだよ。因みに蒼天はルイネの髪の色に準えている」
「フェンネルさんにしてはいいセンスですね。いっつも品のない冗談ばっかり言ってるのに」
シュレンは遠回しにフェンネルが口にしたパーティ名を褒めた。
「言葉選びのセンスがないと女の子は口説けないからねえ」
「シュレン、下手に褒めないほうがいいわよ。こいつすぐつけ上がるもの」
「まったく、ひどい言いようだなあ。それで、ルイネ。これでどうかな?」
フェンネルから水を向けられたルイネは頬を上気させて大きく頷いた。
「いい。すごくいい。すごく素敵な名前だと思う」
ほらね、とフェンネルは得意げに藍色の目を片方閉じてみせる。
ルイネは首にかけた革紐を解くと、以前にシュレンからもらったイアリングを外した。そして、彼女はイアリングを自分の耳朶に挟む。それはルイネにとって、魔法の使えないエルフであるにもかかわらず、自分を受け入れてくれた仲間たちの隣にあるがままの姿で立つという意志の表明だった。
『蒼天の一つ星』。自分たちを関係づける新しい名前をルイネは心の中で反芻する。まだ慣れないこの名前が少しくすぐったかった。
自分はこの先も彼らと一緒に行く。その実感に頬を綻ばせると、ルイネは花のように笑った。
いつもお読みいただきありがとうございます。
元々長いエピソードの多い本作ですが、本日分はどうやっても切るに切れず、非常に長い話となってしまいました……




