第三章:道化と波紋⑤
目を覚ますと、ミューラは宿屋のベッドの中にいた。体温を吸収したシーツと毛布の感触が心地よい。
(あ、れ……私、酒場でレーヴと話をしていて……それで、どうしたんだったかしら……?)
どうやって昨晩宿屋に帰ってきたかの記憶がない。ミューラは顔を引き攣らせた。
(……え?)
ミューラは自分が今、一糸纏わぬ姿であることに気づいた。床に脱ぎ散らかされた二人分の衣服。裸の胸元に刻まれた赤い痕の数々。横で眠る亜麻色の髪の全裸の男。彼女は、昨夜、自分の身に何が起こったのか理解すると声にならない悲鳴を上げる。
「――ッ!?」
起きてたの、と隣で寝ていた男――レーヴが瞼を開いた。まだ少しとろんとしている緑の目はやたらと蠱惑的だ。
「昨夜はごちそうさま。情熱的で激しい夜をありがとう。覚えてないだろうけど、おねーさんのかわいい声、いっぱい聞かせてもらっちゃった」
「なっ……」
ミューラは顔を真っ赤にすると唇を戦慄かせた。自分は全く覚えていないが、昨晩はレーヴのいいように弄ばれ、あられもない痴態を晒してしまったということだろうか。ミューラは頭が痛くなる思いだった。
「後学のために教えておいてあげるよ。おねーさんが昨夜飲んだあれ、お酒だから。世の中にはお酒に弱い人でも飲みやすい口当たりのいいお酒っていうのがいろいろあるんだよ」
お酒弱いなら気をつけないとまたこうやって誰かにお持ち帰りされちゃうよ。レーヴは口元を歪めると軽薄そうに笑う。そういえば昨夜、レーヴはにお酒が飲めなくても楽しめるものを選んでくれると言っていたが、それが酒ではないとは彼は一言も口にしていなかった。ミューラは自分が嵌められたのだということを遅まきながら理解する。
「娼婦でもないのに未婚の女性が伴侶以外の男と一晩を共にしたなんて誰にも知られたくないよね? 女性にとってこんなに恥ずかしいことってないもんねえ?」
ねちっこくまとわりつくようなレーヴの口調に、ミューラはきっと彼を睨みつけた。
「……何が目的よ」
ミューラの視線など意に介したふうもなく、レーヴはミューラの鎖骨に唇を付ける。
「んっ……ちょっ、嫌っ、やめてっ」
さすがは結婚詐欺師と言いたくなるような慣れた所作に、ミューラは動転して声を裏返らせた。意図せずに漏らしてしまった、感じているかのような甘い声が屈辱的だ。ミューラの反応を見、レーヴは楽しげに喉の奥でくっと笑いを漏らすと、
「オレはただちょーっと、おねーさんにお願いを聞いて欲しいだけ」
今しがたのような真似をこれ以上許すわけにはいかないと、ミューラは腕で上半身を守るように覆うと、ベッドの中でレーヴから可能な限り距離を取った。
「何よ、お願いって」
「今はまだ秘密。そのときが来たらわかるから。ああ、言っておくけど拒否権はないからね」
わかったわよ、とミューラは渋々ながらも了承する。こんな弱みを握られてしまってはいよいよ首を縦に振ることしかできなかった。
「オレ、物分かりのいい女の人って好きだなあ。おねーさんが約束守ってくれるなら、あの二人には昨夜のことは言わないでおいてあげるよ」
ところで、とレーヴは上半身を起こすとミューラのほうへと距離を詰める。流れるような動きでレーヴは彼女の上に覆いかぶさると、にやりと軽薄そうに口元を歪める。
「ねえ、おねーさん、上も下もがら空き。一体それで何から身を守ってるの? そんなにガードゆるゆるだと、オレみたいなのにまたいいようにされちゃうよ? それとも、もしかしてそれがご希望?」
レーヴは顔をミューラの耳元へ近づけると、耳孔に舌を這わせた。ぐちゅりという湿った音が聴覚にダイレクトに響き、彼女は背筋を粟立たせる。
「ねえ、もう一戦しよ?」
煽情的な甘ったるい声でレーヴはミューラへとそう囁いた。彼女は紫の双眸に怒りの炎を滾らせ、レーヴの頬へとぱあんと渾身の平手打ちを食らわせる。そして、彼女は部屋の外にぎりぎり聞こえないくらいの声量で叫んだ。
「お断りよ!!」




