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第三章:道化と波紋④

 噎せ返るほどのアルコールの匂いが満ちた薄暗い店の中で、一組の男女が顔を寄せ合っていた。

「……来てくれたこと、一応感謝しておくわ」

「女性のお誘いを断るなんて失礼な真似、オレにはできないからね」

 そんなふうに嘯くと、レーヴはカウンターの中でグラスを磨いていたマスターにワインを一杯注文した。何にする、とレーヴに促されたミューラは同じものを頼みかけたが思い留まる。昨夜晒してしまった醜態はまだ記憶に新しい。ルイネとシュレンには内緒でレーヴを呼び出した以上、昨夜のように酔い潰れるわけにはいかない。

「私にはミルクをいただける?」

「あれ、おねーさんお酒飲めないの?」

「下戸なのよ、悪いかしら?」

 揶揄するような調子でそう聞いてきたレーヴにミューラはむすっとして答えた。レーヴに弱みを見せるのは業腹だが、こいつの前で昨夜のような醜態を晒すよりはマシだ。

「ふうん」

 レーヴは魅惑的に微笑むと、やけに甘ったるい声でこう言った。

「せっかくだから、お酒が飲めなくても楽しめるヤツをオレが選んであげるよ」

「何よそれ」

「所謂裏メニューってやつだよ。大抵の酒場には、メニューに載ってないだけで、お酒が飲めない人でも楽しめる飲み物が用意されてる。せっかくだからご馳走させてよ」

 レーヴは手慣れたふうにマスターへ顔を寄せると何事か囁いた。承知しました、と頷くとマスターは飲み物の用意を始める。

「お待たせいたしました」

 しばらくの後、ミューラの前には淡いベージュの飲み物が置かれた。隣で赤い液体の注がれたグラスを受け取ると、レーヴは本題へと切り込んできた。

「ところで、おねーさんはオレに何の用だったのかな? ルイネとシュレンに内緒で二人きりでなんて、もしかしてオレに惚れちゃった?」

「馬鹿なこと言わないでくれるかしら? レーヴ・ハルシオン――あなた、《幻惑》のハルシオンでしょう? 王都で指名手配中の結婚詐欺師」

「嫌だなあ、何を言い出すんだい?」

 レーヴは柔らかく微笑んでみせる。しかし、その緑の目は微塵も笑っていなかった。

「以前に依頼(クエスト)で王都に行ったときに、ギルドであなたの姿絵を見たわ。ずっとどこかで見た気がして引っかかっていたのだけれど、さっきの襲撃者が口にした通り名でようやく思い出したの。妙齢のご令嬢を口説き落として巧妙に結婚の約束を交わしては金を巻き上げる、王都では名の知れた悪党――それがあなただって」

「それでどうするつもりだい? ルイネとシュレンにこのことを話して、オレをギルドに突き出すつもりかな?」

 そう言うとレーヴはミューラの顔に手を伸ばし、引き寄せた。唇と唇が触れ合いそうな距離でレーヴが口にした言葉は氷のように冷たかった。

「おねーさん、それで優位に立ったつもり? おねーさんさあ、あの二人に嘘ついてるでしょう?」

 職業柄、嘘を吐いてる人ってわかっちゃうんだよねえ、とレーヴは口元を歪める。

「唇を舐めるのは、嘘を吐いている人が無意識にやりがちな行動。オレ、あの二人におねーさんの秘密を暴露してやってもいいんだよ? ねえ、どうする?」

「……だから、あなただけをこうして呼び出したのよ」

 ミューラはレーヴの手を振り払い、距離を取る。昼間、自分たちの身の上についての話を聞いたレーヴは、自分たちが歪んでいると言った。その言葉でミューラは、少なくとも自分が抱えている秘密をレーヴに悟られていると判断した。そのため、ミューラはレーヴの正体を黙っておくことを条件に取引を持ちかけるべく、こうして秘密裏に彼を呼び出したのだった。紫の目で横に座る優男を睨みつけながら、ミューラはは低い声でこう切り出した。

「――交換条件よ。私はあの二人に何も言わずに、予定通りあなたの依頼を完遂させるわ。そうね、さっきあなたを狙った襲撃があったのは、さる貴族であるあなたの実家の跡目騒動によるものとでもあの子たちには説明しておきましょうか。――その代わり、あなたはあの子たちに何も言わないで」

「ふうん、そんなにあの二人に知られたくないんだ。ソロ同士で暫定的につるんでいるだけの仲なのに。ま、そんなのオレからしたらどーでもいいんだけど」

 オレには関係ない話だし、とレーヴはグラスの中のワインを一息に煽った。おねーさんも飲めば、と勧められ、ミューラは目の前の淡いベージュの液体へと口をつける。口の中の液体は、コーヒーに大量のミルクと砂糖を入れたような甘ったるい味がした。

「あ、れ……」

 ミューラは意識がぼんやりとしていくのを感じた。何だか頭と体がふわふわとして、思考が鈍化していく。

 次の瞬間、ミューラはグラスを握りしめたまま、カウンターに突っ伏していた。顔を真っ赤にした彼女に意識はなく、規則的に背中が上下動を繰り返している。

「うわ、よっわ……」

 レーヴは引き気味に独りごちる。女性を酔わせて持ち帰るのはレーヴの常套手段だが、ここまでの下戸を見るのは初めてだった。

 ちょろいな、とレーヴは目元をにやつかせる。そして、彼はミューラの手からグラスをもぎ取ると、淡いベージュの液体――()()()()()()()を一息に飲み干した。


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