役作り8
目の前にバスタオルを巻いた水瀬がいる。湯船の中は狭く、俺も水瀬も膝を折り立てていた。
「さ、台本の読み合わせを続けましょう」
ジップロックに入れたスマホを操作しながら、水瀬が言う。
「よくこんな状況で、平然としてられるな」
「別に、バスオル巻いてるんだから水着みたいなものでしょ」
「全然違う」
「鈍感力って言葉を知らない? 平井君はバカだから、聞いたこともないでしょうけど」
「お前はもっと俺の痛みに対して敏感になれよ」
それから、台本の読み合わせがはじまった。いつもどこでも、水瀬といるときはこれだ。俺たちの関係の基本であり、全てだった。
水瀬の膝の上にジップロックのスマホがあり、俺もそれを共有した。
「俺のスマホにも台本のデータを送ればよかっただろ」
「だって台本を流出させられないでしょ」
水瀬のスマホを覗き込むせいで、顔が近い。それに、肌の色も目立つ。
雑念を払い、台本のセリフを口にしはじめる。
『私は王女のことが好きです』
『でも、私は本当はこの世界の人間じゃないの……』
『それでも構いません』
読み合わせが数十分続き、佳境に差し掛かったところで、水瀬が剣呑な顔をした。
「棒読みね。重要な告白のシーンなのに。もっと感情込めて読めないの?」
「悪かったな」
「頭に好きな人を思い浮かべて読んで」
「いない」
「じゃあ……」
水瀬がまっすぐ俺の瞳を見る。顔が紅潮していた。なんて言おうとしたのかはわからない。ただ、何となく、自身の存在を強調しているように見えた。
「ごめん。ここまで」
すると水瀬が立ち上がり、逃げ去るように風呂を出ていった。彼女の着替えの時間も考慮して、遅れて出た俺がリビングに着くと、床に倒れる水瀬を発見した。
「のぼせた」
「風呂で読み合わせなんてやるからだ」
団扇をタンスの中から探してきて、水瀬を仰ぐ。こいつは不器用というか、そういう一面がある。
「文句が多いわね。それとも私たちの主従関係のことを忘れたのかしら。平井君のあのことを言いふらしてもいいけど」
「それは勘弁してくれ」
「じゃあ文句言わないで」
弱っているように見えても、相変わらず悪魔みたいな女だった。
「ねぇ、平井君はどうしてあんなことしたの?」
「話すと長い」
「じゃあいつか聞かせて」
いつか、と言うくらい、俺たちの関係は続くのだろうか。
それからしばらくして、クールダウンした水瀬が起き上がった。もう夜も遅いので、ベッドに移動して寝るはずだ。
「そういえば、私のせいで腰が痛いって前に言ってたでしょ。あれって私が泊まるとき、いつも平井君が床で寝るからだったのね」
「ああ」
「そういうことなら、今日は同じベッドで一緒に寝ればいいわ」
「そんなシーンは劇にない」
俺が言うと、水瀬は複雑な表情を浮かべた。さっきと同じだ。彼女が何を言おうとしているのか、俺にはわからない。
役のセリフとは違って。