第435話 イノセント・コア
「理解しましたか? あなたは私を庇うべきではなかったのですよ。あの瞬間、あなたは判断を誤ったのです。私を見捨てていればこのような事態にはならなかった。もしくはあなたがそのまま命を落としていれば悪い結果にはならなかったのですよ!」
その一言はある意味死刑宣告だった。私が愛する人を守る為にとった行動は最悪の結果をもたらした。なんという残酷な運命。善かれと思って取った行動が相手から疎まれる事になるなんて……。私が今まで信じてきた物全てがたった今、この場で全て崩れ去った。
「しかも、あなたはわざわざ自分の足で異端審問会にやって来た。そのまま捕えられ、処刑されるということを知らずに。」
「待ってください! 私の体が闇に汚染されていれば浄化すればいいじゃないですか? そうすれば私は普通の人間に戻れるはず……、」
「いいえ、無理でしょうね。腕のいい神聖魔法の使い手といえども完全には浄化できないのです。どうしても微量に残り続ける物なのです。普通の人はね。でもあなたは特別だ。特別だからこそ、少し事情が違ってくるのですよ。」
闇の力というのは非常に質の悪い物だということは、私も文献を読んだり、学院で学んだりしたからよく知っている。一度汚染されてしまうと生涯体を蝕み続け、体が弱らせ寿命を縮めたり、死後にアンデッド化してこの世を彷徨う事になったりすることがあるのだという。
特に強い魔力を持つ人は体内に残った暗黒物質が活性化して、体質的に魔族へと変貌してしまう例もあったという。いずれも、魔王戦役の時代や流行病が蔓延した時期の記録には多く残っている。一度蝕まれると一生逃れられないのである。
「私がいずれ魔族に変貌してしまうと……考えておいでなんですね?」
「その通り。可能性としては十分あり得る話ですよ。しかも、あなたの体内に残された欠片は誰の者であったか忘れた訳ではありませんよね?」
「魔王……ゴズ・バアル……。」
「そう、魔王なんですよ。しかも彼は死んだ。通常なら魔族化すれば平凡な眷族となるんでしょうけど、あなたの場合は下手をすれば魔王復活の温床と化してしまいかねませんね。」
「私が……魔王に……。」
魔王は歴史上何度か討伐されているけれど、数百年も経てば同じ魔王が歴史上に現れていることが確認されている。早いケースでは数十年後に甦っている事もあったという。彼らの心臓、デーモン・コアが有る限り、何度でも再生し復活するのだという。
例えコアを破壊できたとしても、粉々に砕け散った欠片からでさえ復活するのだという。だからこそ魔族との戦いが延々と続いている。彼らの存在自体不死身であるから、終わることなく人類を脅かし続けているのだ。
「魔王になる可能性があるのです。あなたも知っているでしょう? 犬の魔王の逸話を。犬の魔王は眷族であるコボルトの体を拠り所として何度でも甦っているのです。”ゲウォルダンの獣”事件が有名ですよね? あなたもいずれあの逸話の様に狂暴な魔王へと変わってしまうのでしょう。」
「い、いや……。」
「もう逃れられない。あなたの犯した過ちは自らを恐るべき人類の敵を生んでしまう温床となる結果になったのですよ。その証拠にあの日よりも闇の魔力が色濃くなっているのですよ。コアの欠片があなたの魔力を吸ってどんどん再生を続けているのです。」
「お可愛そうに。せめて、親しい間柄の私達が貴女を介錯して差し上げましょう。」
私は死ななければならないの? 事実を知ってしまった以上は早いうちに手を打たないと、大きな災いに成りかねない。自ら死を選び、私の肉体ごと魔王のコアの欠片を浄化し封印してしまわないといけない……。
「今すぐ浄化をと言いたいところですが、あなたは私たちの親友でもあります。なんとかして、その命をお救いしたいという気持ちはあるのです。一応、苦肉の策という形で回避策を考えてはいます。」
「回避? その様な事が可能なのですか?」
「コアの欠片の肥大化を抑える働きのある秘宝が存在するのです。それが……これです。」
オードリーは私の前にうっすらと透けた大きめの卵の様なものを差し出した。一見すると、魔力の結晶体の様にも思えたけれど、魔力は一切感じられない。むしろ、魔力が吸い込まれてしまいそうな錯覚さえ覚える。これはまさか……。
「これは異端審問会が所有する秘宝、清浄なる卵核と呼ばれる物です。これは闇の力を絶えず抑える力を持っていますわ。あまりにも強すぎるため、通常の魔力すら吸われてしまいますの。」
「これを持っていればある程度はコアの肥大化を抑える事は出来るでしょう。でも、本人の魔力をも吸収してしまいますので、命を縮める結果にもなるでしょう。」
「これを私に……?」
「ええ。異端審問官筆頭からも特別に許可はもらってありますの。勇者アバンテ様と私、不可視の鎌の一員、鉄の処女オードリーの二人が懸命に説得したからこそ、実現したのです。」
「私達はあなたを処刑するわけにはいけません。親友であったのも事実ですから。せめて、残り短い生涯をひっそりと過ごす事を保証しましょう。これを持って生まれ故郷にでもお帰りなさい。」
事態はどうなるものかと心配したけれど、二人は私の命までを奪おうとはしなかった。せめて、ひっそりと暮らしておいて欲しいと彼らは言う。でも、何か腑に落ちない。
これは体よく厄介払いされただけなのでは、という疑いが頭のなかに過った。特に今の彼ら二人の姿を見ていると、そう思う。彼らはまるで恋人同士のようでもあったからだ。私は命を奪われはしなかったけれど、この瞬間、魂を殺されてしまったのだと実感した……。それにオードリーの目が一瞬、蛇の目のように見えたのは何だったんだろう?




