静かなる波紋…天界と…魔界の門
「聴いた?…ねぇ…聴いた?」
大神殿【ラーマ】…その内部の深奥…。
マナシスの白い小部屋『祈りの間』より、程なく中央に抜けた中庭。
月面のように光輝く泉の畔。
白い大理石の天井が、ゆらゆらと青白い光に揺れる。夜…。
草木も眠りにつく微睡みの時…。
天使たちが、【神王デウス】の目を盗んで、ヒソヒソと、水辺の蝶のように舞う。
羽根を揺らしながら、光輝く鱗粉を残して、真夜中の秘密の蕾を開かせようとしていた…。
それは──
文字どおり…【デウスの目】と、呼ばれる神器。
異界と繋がる八芒星の陣形を象った虹色に光輝く花形の宝石。
誰もいない、この真夜中に、妖しく光る魔力をこめて天使たちが【想いの泉】にその宝石を浮かばせていた…。
「朝までに返せば良い。そうよ…。返せば良いの…。借りるだけ……」
天使たちが、微笑む。
それぞれが、それぞれの『想い』を口にする…。
「私の勇者様を、連れて来てください…。私の勇者様に会えますように……」
口々に天使たちが泉に祈りを捧げ、光輝く鏡面世界へと飛び込んでゆく。
シュンタロのいた世界。
その白い羽根を闇夜に浮かべ、艶やかな裸の曲線が、一枚の衣をまとうようにして溶けてゆく。
まばゆい光と悦びに満ちて…。
──……。
時を同じくして、とある魔城。
ギガナの魔大陸。地底湖の奥深く。
深淵と呼ばれた暗黒の洞窟。そのさらに最奥。闇のみが蠢く禍々しい世界。
【虚無世界】
【アースラッド】の緩やかな時の崩壊。
漏れ出る魔瘴気の濃い影響を受け、魔界門が、時折ゆらいでは黒い炎を吐き、時をも呑み込んでいた。
一柱の少女。魔神が、神界の天使たちの骸で造られた玉座に、頬杖をついて佇んでいる。
「ほぉ……。現れたか? 【全界の救世主】が……」
物憂げな表情は、すべての者を虜にする。見る者を惑わす可憐な溜め息が、ピンクの小さな口唇から漏れ出る。
『スキル』【天使たちの吐息】。
魔城は、少女──魔神の吐く濃い深い霧で守られている。
まるで、誰しもが恋に落ちるように深く。
玉座。
一柱の魔神として君臨する少女の目の前で、執事──一体の吸血鬼が、ひざまずく。
少女の、ヘテロクロミアの瞳。
左右で瞳の色彩が、違う。
見下ろした金と銀の色彩が、吸血鬼の心臓──その奥深くを射抜く。
「【ヴェガ】は…。何処に、いる?」
「ハッ。申し訳ございません。まだ足跡が、つかめておりません……」
吸血鬼の震える足もとが、悦びに満ちている。
報告よりも何よりも、ここに呼び出された理由──
それは、食事。
目の前の魔神である少女──空腹の女王に捧げる下僕である我が身。
眼前に迫り来る至福の時を待てず、吸血鬼の心中は、魔城の主──目の前の少女で溢れんばかりだった。
「見えているぞ。忠誠心よりも至福か? 今の貴様の中から溢れんばかりではないか。理性の無い奴め。我が下僕、失格だな? お前は、2度と喰わん……」
冷たい金と銀のヘテロクロミアの瞳が、突き放す。
もはや、執事──下僕ですら無くなった吸血鬼の表情が、絶望へと変わる。
「ふふ……。良い表情をする……。我が忠誠の下僕よ。近う寄れ……」
スラリとした美しい長身の女性。吸血鬼。
その美しい金髪が、悦びで打ち震える胸へと流れ落ちる。
そのまま、その下を流れる下腹部が、もじもじと、恥じらうようにして両の手のひらで覆い隠されていた。
「分かっているぞ。私に改めて誓え。何ものよりも貴様の全てが、私の手の中に納められていると。自身を知り、私を知るのだ……」
少女の可憐な腕が、瞳が、金髪の美しい吸血鬼の肢体を──瞳を、抱きよせる。
透きとおるような白い肌。
首筋に血が滴り落ちる
いや……。それと同時に白金の尊い牙が、赤黒い血液の色に染まる…。
「あぁ…」
朦朧とした頭の中に少女の思考が流れ込む。
「お前は、私の全てだ……」
「はい……」
身も心も打ち震える頭の中で、なんとか言葉を発する吸血鬼。
『絶対』と言う言葉が、身体の中の奥深くを支配する。
「勇者を捕らえるのだ。影とともにな……」
美しい夜の魔城に少女の呟いた小さな声が、響き渡る。
その言葉を聴いた者は、絶頂とも言える得も言われぬ悦びに、身体の奥深くを貫かれる。
それこそが、このヘテロクロミアの金銀の色彩に輝く瞳を持つ少女を、魔神と言わしめた由縁である。
闇夜に浮かぶ…満月のように…。




