玉簪(3)交渉
中心市街地を挟んで神殿とは反対側の森を切り開いた場所に工房街がある。炉を使う工房も多く、熱を逃し換気の為に入り口や窓を明け放っている為か、他の場所より気温が高く感じられた。鉄を打ち鍛える音や石に楔を打ち込む音、機織りの音など雑多な音が混じり合い活気に満ちている。進むごとに聞こえる音が変わり、雪江は物珍しくて下馬してゆっくり見て歩きたかったのだが、ワイアットがローブのフードを深く被せ、しっかり抱き込んで下ろしてはもらえなかった。残念だが安全を思えば致し方ない。
そしてワイアットが睨みを利かせているにも拘らず、最初に訪れた硝子工房で早くもルクレティアの予言が当たった。
「俺の妻になるなら引き受ける」
いつかの役者達よりも肝が据わっているようだ。ワイアットの動向を警戒するように半身でいつでも動けるように身体を緊張させているようだから、覚悟の違いかもしれない。
「待ってお願い斬らないで帰るから!」
ワイアットが無言で剣の柄に手をかけたので、速やかに退散する。彼が本当にそれで人を斬る場面に居合わせてしまっているから、雪江の感じる切迫感が以前とは違った。犯罪も犯していない相手に本気ではないだろうが、物騒に過ぎる。
二軒目、三軒目と似たようなことが繰り返されて、雪江は気付いた。先ずはワイアットと話をつけねばならないことがあると。
「ワット。大事になるから剣に手をかけないで」
「素手ならいいのか」
「駄目だけど!? 力に訴えるのやめようねって話だけど!?」
「威嚇だ。それで黙らないなら力の差を見せつけなければならない」
「う、ううん……? し、自然界の法則とかかな…?」
対野生動物仕様なのだろうか。雪江が知っている群れを作る動物達は雄が純粋に力で優劣をつけて雌を得ていた。人間でも、いくら正しいことを言っていても権力という力を持っている男性の言うことでなければ従わない男性もいた。そういう人は雄らしさが強いということなのだろうか。雪江は人間も動物だものねと納得しかけて、いやいやと首を振る。話の焦点はそこではない。
「ああいう条件出す人とは交渉しないから。だからワットが手を出すまでもないの」
そういうことならとワイアットは頷いた。彼の不穏な行動を抑える形で辞していたから、雪江の考えが伝わっていなかったのだ。彼なりに交渉しやすい状況を作ろうとしてくれた結果なのかもしれない。どちらにしても肉体言語を用いた交渉術は封印の方向でお願いしたい雪江である。
「でも……ああいう人、多いんだね」
まだ三軒、されど三軒。溜息が出た。この先訪ねる予定の職人達の誰もが同じ反応を示すなら、彼らを相手に如何にしてまともな商談に持ち込むかを考えなければならない。
「あれが普通だ」
「……」
一言で希望を打ち砕くのはやめてほしい。何事も例外はあると解ってはいるが、ワイアットの事実しか含まない端的さは攻撃力が高いのだ。雪江が悲しみに満ちた目で見上げると、頭を撫で倒された。
二日目も似たような状況だった。否、より悪い状況になった。その日ワイアットは大人しくしてくれていて、威圧感が何倍にも薄められていたのが裏目に出たのかもしれない。二軒目に訪ねた職人が、薄笑いで一発やらせてくれたら受ける、と言ったのだ。正確には言おうとした。言い終わる前に職人と雪江の間にあった木製のテーブルが沈んだ。ワイアットが殺気と共に叩き割ったのだ。素手だった。職人は椅子から転げ落ちて何も言えないぐらい震え上がっていたが、雪江も頭が真っ白になった。ワイアットは動けない雪江を抱き上げ、背を撫でて宥めながら馬の元へと移動する。雪江が起動できたのは馬が歩き出してからだった。
「器物損壊…」
雪江が咎めるような眼差しで後ろのワイアットを振り返ると、前髪に労るような口付けが降ってきた。
「お前が傷つくより良い」
良いことをした風に言っているが、誤魔化されてはいけないと雪江は思った。心の底から不快で悲しくて悔しいのだが、物を壊していいことにはならないだろう。
「ああいう人とは交渉しないって言ったじゃない」
「あの手合いは心を折っておかないとしつこく接触してくる」
「えっ」
隣で馬を進めているエアロンを見ると、頷きが返ってきた。
「この先もこの区域に出入りするなら必要ですよ。狙われる可能性のある芽は摘んでおくに越したことはありません」
彼らの中ではテーブルは必要な犠牲だったようだ。可能性の話になると雪江には判断ができない。手綱を握っているワイアットの左手を撫でる。
「……怪我してない?」
いつものように雪江を抱き上げていたから大きな怪我はしていないのだろうが、多少は痛むのではないかと思う。
「大丈夫だ。木は薄かった」
そうだっただろうか。今となっては確かめようはないが、これでもっと卑猥な言葉を投げかける職人に出会ってしまったらと思うと雪江は気が遠くなる。
雪江はやり方を改めることにした。非異性愛者の職人を当たれば良いのではないかと思い立ったのだ。仕事の能力には関係ないので性的指向で物事を判断する発想はなかったのだが、安全には代えられない。自分と、ワイアットの手と、職人の。とはいえ雪江に気軽に聞く習慣はなく、オープンにする必要もない職種だから、情報の入手方法には悩んだ。
トコ・プルウィットの待合席でチャニングを待ちながらマダムに相談していると、やってきたチャニングがあっさり解決してくれた。
「硝子職人ならタツィオ・ヴァッカレッツァは同性愛者だぞ」
マダムが自分の茶器を持って席を立ち、入れ替わるようにチャニングが雪江の前に座る。
「本当にこっちってオープンなんですね」
「まぁな。だからって無闇矢鱈に言って回ったりもしねぇけどな」
「チャニングさんはそういう方面に情報通な人なんですか?」
雪江はできたら金属工芸の職人の情報も欲しい。期待に満ちた目で見ると、鞄から真新しい脚本を出そうとしていたチャニングの口端が引きつった。
「そういう方面の情報通ってなんだ。マロリーが酔っ払って愚痴り倒してたんだよ」
「………どうしてそんなことに」
そうせずにいられないほど強烈な人だということなのか。気難しい職人なら心して交渉にあたらねばならない。
「振られたんだよ。女になろうとしてる奴は駄目だって言われたんだと」
「あ、ああー……ご愁傷様です…」
情報欲しさにマロリーの傷口に触れてしまって、雪江は罪悪感まみれになった。不可抗力だと思いたい。




