敵は父ではなかった件(2)
個室に通される理由は解っていても、それが宝飾店だと要人待遇の感覚になってしまってまだ気後れする。落ち着かない雪江の隣で、チタニアが加工は請け負っているのか確認していた。
「花嫁の首飾りを加工するんですか」
「そうなんだよ、あたしの気持ちを身に付けたいってこの娘が言うんだよね。あんまり可愛いこと言うもんだから直行しちまってさ」
驚いた店員にチタニアは得意げに話す。どうも嬉しさのあまり即実行となったようだ。行動の早さがワイアットを彷彿とさせる。雪江は行き先くらいは告げても良かったのではと思うが、護衛は揃っているし親子なのだからワイアットも然程心配はしていないだろう。
「何にする? ただブレスレットにするならあたしでもできるけど、折角だから二つに割ってピアスとかどうだい」
「割ってもいいんですか? 厄除けの意味がなくなったりしません?」
チタニアがはっとした。
「そうだったね!」
形にも意味があったようだ。意外なうっかりに雪江は親しみが湧く。なんでも球は完璧な形状で、全方向に力を発揮すると言われているのだとか。
「玉簪にできるんじゃないかと思うんです」
「タマカンザシ…?」
「髪飾りです。この石にあいている穴に細い棒を通して髪に挿せるようにするんです。それだけでもいいんですけど、頭のほうにチャームをつけたりするのも可愛いんですよ」
チタニアも店員もあまりぴんときていないようなので、雪江は紙とペンを借りて使い方と共に説明し、店員がデザイナーを呼んできた。
「これは……ちょい足しができますね」
新たな発見に出会った喜びを表すように目を輝かせてデザイナーが言ったので、雪江は頷く。
「普段使っている髪飾りに合わせても楽しめると思います。玉簪だけ何本か挿すのも可愛いですし」
雪江は故郷で目にしたことのあるデザインを幾つか提案しただけだが、創作意欲を掻き立てられたデザイナーによって膨大な量の図案が生まれた。そこにチタニアも案を出すので、あれもできるこれもできると盛り上がる。同席している店員も商売になると判断したのか、止める者がいない。出されたお茶が二度取り替えられるだけの時間が過ぎていた。
「簪だけで髪を捻り上げる場合は髪型によっては結構な力がかかるので、強度を考えると棒は金属がいいと…」
素材の話に及んで、雪江ははたと思い出す。ここは宝飾店だ。木材など初めから選択肢に無いだろう。
「これもしかして商品化します?」
生粋のユマラテアド人である宝飾店のデザイナーがこれだけ食いつき、チタニアも同様の様子を見せているのだ。これだけ図案があるのだから活用しない手はないだろう。
「そうですね。オーナーの許可が出たら直ぐにでも。その時は石に穴をあけずに済むように、金属を台座にしてこんな感じで…」
「わぁ…」
玉の部分が六面や八面になるように宝石を彩り豊かに組み合わせる図案が、瞬く間に仕上がった。構成する宝石が文字で記されると、雪江の目が潰れる類の煌びやかさが予想される。宝石の質にもよるのだろうが、庶民が気軽に何本も買えるものではなくなっていた。個人的には雪江に馴染みのある硝子のとんぼ玉の玉簪の方が懐にも心にも優しいが、宝飾店では作ってもらえないだろう。どうしても欲しいなら他で頼むしかない。そうなると少し気になることがある。
「…あの……此方には知的財産を保護するような法律ってありますか?」
デザイナーがはっとして頷き、詫びの言葉を口にした。後出しになったことを詫びるところを見ると、普段女性と商談はしないから失念してしまっていたのだろう。具体的には、店に関わりのない外部の者のアイデアを商品化する場合、使用許可が必要となり金銭が発生するとのことだった。細かな意匠なら兎も角、簪はアルグスコフ王国では出回っていない全く新しい髪飾りの形状であり、完全にデザイナーの名で売るのは問題があるという。
法律があるのであれば、商品化した後に無断で別の店で作ってもらうのは差し障りがある。そう思っての確認だったが、雪江に権利のある話になった。実際には雪江独自の発想ではなく、故郷に何百年前、原型となれば何千年も前に考案者がいるわけだが、ユマラテアドに、少なくともアルグスコフ王国に持ち込んだのは雪江には違いない。
一店員とデザイナーでは判断しかねるとのことで、オーナーとの会談が設けられることになった。オーナーは宝石の買い付けで留守にしている為後日となる。権利関係は役所に届けなければならず、商品化は契約後となるので、雪江の首飾りもその後に頼むことにした。
「折角連れてきてくださったのに違う話になってしまってすみません」
「なぁに、悪い話じゃないんだし、気にすることないよ。次は服見にいくよ! 娘と着せ替え、夢だったんだよね」
法律の話が出て目を丸くしていたチタニアは口を挟まないでいてくれたが、話がついた途端、調子を取り戻しててきぱきと雪江を先導し出す。これはもう結婚式とは関係のない行動だと、雪江も流石に判る。この先何度会えるが判らない相手だ。彼女に振り回されるのも親孝行と思って、雪江も楽しむことにした。手を引かれる形だったのを、歩を早めて隣に並ぶ。
「それなら私の知り合いのお店に案内します。テラテオス人のお店なんですけど、珍しい型の服が売っているんですよ」
折角だからルクレティアのお店を紹介したい雪江である。チタニアは馬の扱いが玄人だった。牧場で日常的に乗っているのだろう。動きやすい服装は彼女も気に入るのではないかと思う。女性がオーナーであることに驚く彼女にテラテオス事情を話すのも楽しかった。
馬を預けている宿屋に近づくと、人の流れがそこだけ避けるようにふくらんで不自然な空間ができていた。護衛達が迂回を提案しようとしないのを不思議に思っていると、チタニアがぎょっとしたように足を止める。宿屋の前に仁王立ちの偉丈夫が居た。眉間の皺が怒りと苛立ちを余すところなく表現するように深く、眼光が凶悪な域にまで高められている。ワイアットだった。
「なに営業妨害してんだい!」
ひっ、と悲鳴を喉に張り付け縮み上がった雪江の横で、チタニアが叱り飛ばした。ワイアットの隣でウォーレンが困ったような笑みを浮かべる。
「ユキエを無断で連れてっちゃったからだよ」
どちらに対してか、どちらともに対してなのか、仕方がないなと見守る眼差しが慈愛深い。ワイアットが組んでいた腕を解いて大股で距離を詰める。チタニアがさっと前に出て雪江をその背に隠した。
「母娘水入らずで楽しんでんだよ、邪魔すんじゃない」
仁王像も斯くやという迫力のワイアットに少しも怯まないのは流石は母親といったところだが、雪江は気が気ではない。兎に角無断は謝らねばとチタニアの影から出ようとすると、彼女の手によって押し戻された。力の強さによろめいて反対側に出そうになったところをエアロンの手で支えられ、雪江は結局チタニアの影にすっぽり収まる。
「俺の妻だ」
「あたしの娘だよ。この娘はうちで預かる。一緒に暮らしたいなら軍なんざ辞めてうちに帰って来るんだね」
「何を言い出すんだチタニア」
雪江が驚きの声を上げる前に、ウォーレンが口を挟んだ。
「ワットが家をあけてる間この娘一人じゃ危ないし退屈じゃないか。なんで辞めちまわないんだい。うちなら絶対に一人にはならないだろ。この娘を護る男手にも困らない。一番安全だってのに」
「危険しかない」
痛いところを突かれたようにワイアットは一瞬詰まったが、断ち切るように低く言い切った。
「だからあんたもうちに住めばいいって言ってんだろ。せいぜい寝取られないように頑張るんだね」
チタニアが片方の口角だけを歪める悪い笑みをしている。母親としては兄弟間の争奪戦は推奨なのか。雪江は恐怖しかない。式直前に言っていたことは、万一離婚しても変な男に捕まらないようにと雪江を気遣ってのことと解釈していた。気遣っていることに変わりはないようだが、方向性が全然違った。彼女は自分の娘になりさえすれば、夫は兄弟の内誰でも良いようだ。昼ドラも真っ青の未来が導き出されて、雪江は打ち震える。
「お、おおおお義母さん、私、結婚はこれっきりって言いました!」
話についていけなくなっている場合ではない。決定事項のように話すものだから、雪江も了承済みと受け止められかねない危機だ。
「初めはそう思ってても夫婦ってのは色々あるからね、保険かけとくのが賢い女ってもんだよ」
チタニアは軽い調子で諭す。保険に次の夫を見繕っておくのは当然のことなのだ。そうでなければ離婚即再婚はできない。薄々そうなのだろうとは思っていたが、雪江にはとてもではないが実行できない。
「ほら、あんたじゃこっちの常識も教えられてないじゃないか。あたしと一緒に暮らすのがこの娘にとっても一番いいんだよ」
直ぐには言葉を返せない雪江の様子にそう解釈して、チタニアは勝ち誇って胸を張った。雪江はこの件に関しては、夫として教えたいものではなかったのだと推察できる。ワイアットが拳を固く握りしめて低く唸った。ウォーレンも困ったように苦笑いをしたものの、反論はないようだ。
雪江はチタニアと良好な関係を築きたい。だがワイアットと離れたくはない。仕事はワイアットの意思を尊重すべきだ。
「お義母さんのお気持ちは嬉しいです。でもごめんなさい。私はワットとここで暮らしたいです」
この街にはネヘミヤやルクレティアが居て、馴染みのお店があって、始めたばかりの仕事もあって、後援会も軌道に乗り始めたばかりだ。ワイアットが実家に帰りたいのなら話し合う必要があるが、とてもそう思っているようには見えなかった。
「そうかい? だけどこの」
「ぅわ!?」
チタニアが振り返って言い募ろうとした隙に、ワイアットが雪江を抱き上げた。あまりに素早くて、雪江は何が起こったのか理解が遅れる。ワイアットはそのまま走り出し、護衛達が進み出るまでもなくその速さと迫力で人波が素早く割れた。いつの間にか野次馬に囲まれていたようだ。
「ワット!」
怒りに満ちたチタニアの声が聞こえたが、追ってはこない。人垣の向こうでウォーレンが彼女を宥めている様子が直ぐに見えなくなった。
「ワ、ワット!? ちゃんとはな、話し合った方が…!?」
「口では勝てない」
「ぇえ!?」
まさかの敵前逃亡である。




