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条約の花嫁  作者: 十々木 とと
番外編
87/114

フェレールさんは頑張ってた


 生まれながらの女を使い潰すことはできない為、ガベリア王国では娼館から間諜を買い上げる仕組みが出来上がっていた。一から育てあげるより、男を転がす確かな実績を持った巧者を貰い受ける方が効率的なのだ。疑心を抱かせるような誰もが振り返る美人ではなく、頑張れば手の届きそうなそこそこの美人が選ばれる。モニク・フェレールの名を貰った男もそういった間諜の一人で、三年前からアルグスコフ王国に潜り込んでいた。

 生活環境を整え周囲に溶け込み、漸くターゲットに接触する時が来た。ターゲットは真面目で無骨な男。一年程前から決まっていた男だが、最近まさかのテラテオス人を貰い受けてしまった。ただ、女は大事な財産だから、周囲への牽制の激しさは当然だし誘拐時の行動もおかしなことではない。実に冷静にそれらをこなしているから愛故ではないだろうと目され、ターゲットの変更は告げられなかった。フェレール自身も、特に取り柄も色気もあるとは思えないあの小さな女より余程魅力的な自信があって、直ぐに手玉に取れると思っていた。相談の誘いにのこのこ乗ってきて軽食屋の個室で二人きりになるのも嫌がらないから、妻に大して思い入れがないのは確信になった。だが然し。


「一言で結論出て話が終わる。なんなのあいつ」


 脈はある筈なのに会話を続ける気が見られない。今まで出会ったどんな口下手だって、フェレールの気を引こうと拙いながらに何かしらの努力は見られた。


「私すっごいうじうじしたでもでもだって女になってるんだけど……これ大丈夫かしら」


 今回に限っては会話の努力をしているのはフェレールだけだった。

 日頃満たされない女に頼りにされたい願望をちょっとつついてやれば、大抵の男は直ぐ落ちる。少なくともガベリアではそうだった。妻帯していようが不思議とこれが効く。だから清楚な中にほんのり色気の香る不憫な女路線でいくと決めていた。だというのに、そう何度も会わないうちに別の何かになり始めていた。とても魅力的とは言い難い何かに。

 護衛達が帰った後の食卓で不安を吐き出すと、正面に座る夫役が瞬いた。


「そんなに酷いのか」


 フェレールは深刻な顔で頷く。


「なんかよくわかんない圧も感じるのよ…あれなんなのかしら…」

「緊張かなんかじゃないのか」

「緊張…? そんな感じじゃないのよね…」


 初めて年頃の女と相対する男が、緊張のあまり思わぬ態度になることは珍しくない。だがターゲットは既に女とは出会っているし、暮らしてもいる。妻よりもいい女を前に緊張しているという風でもない。寧ろどっしりと構えているから、殆ど表情の変わらないその裏にどんな感情を抱えているのか読み取れない。はっきり言って難物だ。ターゲット選びを間違えたのではないだろうか。多少鼻が利きそうでも、素直に独り身の優男の方にしておいた方が良かったのではないか。事前調査を担当した人間に物言いを付けたい。

 思い悩むフェレールを眺めながら、夫役はグラスの酒を呷った。夫役は酒癖が悪く浅慮な男の設定なので、酒臭さは欠かせない。いくら呑んでも酔えない質だから成り立つ設定だ。ただ健康は害しそうだから、この任務が早く終わればいいとは思っている。


「次の約束は取り付けてあるんだろう」

「そこも迷いなく頷くのよ。だから間違いなく同情は引けてると思うのよね。でも…もうネタがない…これ以上は鬱陶しいだけの女になる自信がある…!」

「追い詰められんの早ぇな。一体どんな男なんだよ…」


 夫役は呆れ半分に無精髭の濃い顎を撫でて思案する。


「嫁に遠慮でもあんのかね。襲撃早めとくか」


 フェレールの魅力がゼロになる前にと、仕掛けを早めることになった。








「…夫が…何か勘付いているみたいで…暴力が酷くなったんです…」


 軽食屋の個室でターゲットを前に、フェレールは怯えるように声を震わせる。同情心だけはきっと確かだから、それを煽るのだ。煽って煽って煽りの一手だ。


「もう別れたらいいだろう」


 フェレールはこのやろう! と出かかった言葉を呑み込んだ。


 ────話が終わっちゃうでしょうが! ここは労る言葉の一つでもかけて心配するところでしょうが! でなきゃ罪悪感を覚えるところでしょうが!


「でも…怖いんです。あの人は私に執着しています。だから別れを切り出しただけできっとまた酷く殴られる…」


 説教したくなるのをぐぐっと堪えるあまりに震えて、丁度良く怯えた演出になる。


「憲兵に立ち会って貰うといい」


 ────そうね、護衛はそもそも夫が主人だし、夫婦間のこととなると手が出せないもの。結婚を期待させて憲兵に護ってもらうのは良い手だわ、って違う! モニク・フェレールはそんな打算が微塵もできない純粋でか弱い女なのよ! そんな簡単な話じゃないの! 恐怖で追い詰められ不安で押し潰されそうで、行動に移れないのよ! もしかして弱者になったことがないから気持ちが解らないタイプ!?


 気付いたところで流れを修正するには遅すぎた。フェレールは力無く首を振る。


「離婚が成立してもきっと追ってきます。その時には……こ、殺されるかも…」

「次の夫に質の良い護衛を雇える強い奴を選べ」


 ────そうよだからあんたが最適な相手っていう! 憲兵じゃなくてもあんたがいる! 今目の前に! 気付け! これ俺のことか? 俺この女落とせんじゃね? って気付け! なんで他人事みたいに言ってんのよ! これもう、こっちから言わなきゃいけない流れになっちゃったじゃないの! もっと距離詰める猶予頂戴よ!


 フェレールは頭を掻き毟りそうになった。荒れ狂う内心をひた隠しにして、胸元で手を組み合わせ庇護欲を擽る上目遣いの懇願姿勢を作る。


「貴方がいいです。貴方の…貴方の妻にしてくれませんか」

「無理だ。俺には妻がいる」


 脊髄反射の域で断られた。端から確定事項だったのだと、間違いようもない速さだ。


 ────おいこらじゃあどういうつもりで相談受けた。


 フェレールは素で固まった。ターゲットは腹芸など全くできない愚直な男。そう思っていた。それが大きな間違いだったのでは、と肝が冷えた。この男は愚直を装ってフェレールを翻弄しているのだ。そう思い至ったところで理由が解らない。もし正体がばれていて泳がせているのなら此方に歩み寄る姿勢を見せている筈だし、引き伸ばす意図もなく断るのもおかしくないだろうか。


「知っています。劇場の前で見ました。可愛らしい方ですね」


 笑もうとして失敗する演技が演技ではなくなっている。フェレールはこの顔は駄目だと一旦俯き、涙を溜めてから顔をあげる。ターゲットの思惑がどうあれ、せめて不自然にならないように繋げなければならない。

 結局、心の弱っている不幸な女に対してターゲットは揺らぎ一つ見せなかった。それどころか哀切を込めた告白に溜息までついた。更にあろうことか、自分を慕う人間に対して面と向かって他の男を薦めてきた。


 ────こ、こいつ…! ただの人でなしでは!?


 心ない言動に戦慄してフェレールの唇が震える。


「そんな…」


 ────これどう攻めればいいの。泣いてもいいかな。


 演技ではなく涙が出た。


「そんなに私、駄目ですか」


 心からの質問だった。相手を侮っていた分、フェレールの自信は地に落ちた。いっそどこが駄目なのか直々に教えて欲しい。目を閉じて鳩尾を押さえたターゲットが何を考えているのか解らない。もうこの男のことがさっぱり解らない。眉間の皺が深いのはいつものことだが、それは苦悶の表情か何かか。


 ────こっちが苦悶だわ!


 思い余ってあからさまな色仕掛けに及んだら、即時に追い払われた。







「ほんっっっっっっっとなんなのあいつうぅぅぅぅぅ!!」


 夫役への報告をなんとか終えた途端、フェレールは荒れた。荒れに荒れて食器を割りまくった。これは夫役が暴れたことにするので、翌朝護衛達が出勤してくるまでこの状態にしておくことになる。酒のグラスを持って避難していた夫役が、落ち着いた頃に寄っていってフェレールの肩を叩いた。


「もう一旦引くしかねぇな。次で確実に嫁を葬る。いくらなんでも気落ちするだろ。効果的な再会の演出考えるぞ」


 フェレールは頽れた。

 あの人でなしがそんなことぐらいで傷心するのか怪しいと思っていたので、家に踏み込まれて捕縛された時、フェレールは安堵してしまった。今の段階なら何一つ情報を得ていないのは明白だから、拷問にかけられることもないだろう。フェレールはターゲットの妻になり、夫の勤務状況を逐一知らせる役目を負っただけなのだ。そこから軍の動向を読み取るのは別の人間の仕事。洗いざらい吐けば、何も知らされていない使い捨てだと解ってくれる筈だ。臭い飯を食うことにはなるが、そう酷い事にはならないだろう。


 フェレールは今、とても穏やかな気持ちで引っ立てられている。もうあの訳のわからない男を誘惑する必要が、なくなったのだ。






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