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条約の花嫁  作者: 十々木 とと
第一章
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8. そうだ、マダムに会いに行こう


 寝具や調理道具に食器、食材、細々とした生活用品を揃えるのに日暮れまでかかり、雪江が化粧品を買い忘れていたことに気付いたのはは帰宅してからだった。腹を立てた勢いで買い物に遠慮はなかったが、それはワイアットにも必要なものだったからだ。

 学生の頃はメイクをしていなかったからか、お肌の曲がり角の気配はまだない。社会人になってもナチュラルメイク派だったから、したところで顔が変わるわけでもない。それでも保湿液くらいは欲しいのだ。だがこれ以上個人的なものをねだるわけにもいかない。食用オイルを拝借する覚悟したところ、服飾店でサービスだと渡してくれた袋の中に基礎化粧品とヘアブラシ、生理用品が入っているのを見つけた。


「マッ、マダム大好き………!」


 あの短いやり取りで必要となるものを用意できるなんて、予知能力でもあるのではと興奮で震えた。有り難く使わせてもらい、マダムの優しい微笑みを思い出して心穏やかな眠りについたつもりが、精神疲労が祟ってか夢も見ない深い眠りに落ちていた。


 翌日護衛達が出勤してくるのを待って、ワイアットは隊舎に荷物を取りに行った。雪江は役所で貰ったユマラテアドの生活の手引きを読む。


 政治、宗教、法律、階級制度、魔力と魔術師、教育、通貨、交通手段、主要公共施設などテラテオスと異なる基礎知識に加え、大雑把な世界地図がついており、現在地がアルグスコフ王国ドゥブラ伯領タザナであること、現在の王族名、領主名、王国の大まかな歴史、女性が生活する上での注意事項と充実した内容だった。

 中でも自宮者に就ての記述が早い段階で出てきたのは、驚くテラテオス人が多かったことが窺えた。昼間でも絶対に一人で出歩いてはいけないことが最重要事項として記され、強制婚、娼館に売られるのはまだいい方、盗賊の慰み者になるだの具体例をあげ、直接的表現を厭わない辺りにテラテオス人の危機意識の低さの歴史が見えた。

 言語については驚いた。世界を渡る直前に、落下予定国の言語が理解できるように魔術を組み込むから不自由はない、というのだ。慌ただしくて忘れていたが、直前に脳を探られる不快感があったことを思い出す。文字まで書いたのに、改めて知らされなければ同じ言語を操っていると思ったままでいただろうほど違和感がなかったのだ。

 一番知りたかった就職については矢張り難しく、なるべく早く特定の男性の庇護下に入るよう推奨されていた。働きたい女性が多かったのだろう、内職の案内もついていたが縫製が主なものであまり稼げそうにないのはマダムの言の通りだった。


 まずは情報収集をせねば始まらない。雪江はマダムに会いに行く事を決める。

 サービスに対して商品購入が最適のお礼なのだろうが、手持ちがない。クッキーを焼くことにした。食糧支援ができるだけあって、食材がテラテオスと大きく違いがないのが有り難い。菓子類は簡単なものしか作れないのでプレーンクッキー。出来上がったところで青紫のワンピースが小麦粉で白くなっているのに気付いた。この程度なら叩いて落とせる範囲だが、エプロンが欲しいところだ。裁縫は釦付けや繕い物程度しかしてこなかったが、長方形を組み合わせる簡単なエプロンなら作れそうな気がしている。これはワイアットが帰って来てからの要相談案件だ。

 ワイアットは夕方までには帰ると言っていた。早く帰って来た場合何も食べるものがないのは気が引ける。現段階では家事でしか役に立たないから、食事を欠かしたくないのだ。多めにクッキーを置いていくことにして、小分けにした四袋を手にした。


「エアロンさん、コスタスさん、ナレシュさん。街に行きたいのでついて来てもらえますか」

「勿論です。駅馬車を使いますますか?」

「いえ、歩きます」


 昨日は結局、行きはワイアットに抱き上げられたまま、帰りは荷物を運搬がてら辻馬車を使ったので歩いていないが、雪江の足でも三十分程度で行ける距離の筈だ。


「これ、非常食にでもどうぞ」


 彼らも仕事なのだから過度な気遣いは不要なのは解っているが、護衛を使うのはまだ慣れない。クッキーの包みを渡すと三者三様に驚いたが、受け取ってもらえて雪江は一安心だ。


 先日店を訪ねた時、雪江はフードで視界が狭まっていたので見つけるのに少し手間取った。トコ・プルウィットの店名を告げると護衛達が場所を知っていた。過去の護衛の経験から女性用の店に詳しいとのことだった。

 厳めしい警備員の立つ入り口を潜ると、白髪を綺麗に結い上げた上品な老婦人が迎えてくれた。


「まぁ、いらっしゃいませ。また来てくださったのね」

「マダム・プルウィット! 化粧品ありがとうございました!」


 笑顔を見た途端、昨夜の感激を思い出してつい両腕を広げる。マダム・プルウィットは驚くこともなくやんわりと受け止めてくれた。その温もりが心地良くて胸が温かくなる。離し難くなってしまったがまだ二度会っただけの他人だ。雪江はそっと離して適度な距離をとる。


「役に立ちました?」

「それはもう! どうして必要なものがわかったんですか?」

「ふふ。テラテオスの方が欲しくても言い出せないものを経験上知っていただけですよ」

「…皆似たような心境になるんですね……」

「化粧品は高価ですからね、気が引けるのもあるんでしょう。それに気付くような気の利いた男性はなかなかいるものではありませんもの」


 ころころと上品に笑ったマダム・プルウィットには嫌味が無かった。この辺りの男性は概ねそういうものなのだろう。


「本当はお買い物をしていきたいんですけど、今は手持ちがないので……これ、クッキーなんですけど良かったら食べてください」

「まぁ。ありがとう。昨日の今日ですもの、お気になさらないで」


 事情を察してくれるのが有り難くて、雪江の鼻の奥がつんと熱くなる。クッキーの包みを開けて、良い匂いね、なんて言ってくれるものだから尚更だ。


「それであの、昨日のお話なんですけど。働き口について、詳しくお話聞かせていただいても良いですか?」

「あらじゃあお茶をお出ししましょうね。そちらに座ってらして」


 示されたのは少し奥まった所に設けられた待合席。四つある椅子のうち一つに腰を下ろすと、程なく茶器とお茶請けを持ってマダム・プルウィットが戻って来た。テーブルに並べられたお茶請けはシフォンケーキと雪江が持って来たクッキー。注がれたお茶はハーブの香りがする。女性の絶対数からそれほど頻繁に客が来るわけではないのだろう、たっぷり話し合う態勢になっている。


「内職のことかしら?」


 マダムが穏やかに話を促す。


「いえ、…条件が揃えば雇ってもらえるって言ってましたよね? その辺りをお聞きしたくて」

「そうですねぇ、大の男が複数人襲いかかって来ても平気なくらい腕っぷしが強くて、揉め事で出た損失を直ぐに取り戻せるくらいにやり手であることかしら」


 雪江は口をつけようとしていたティーカップを離した。


「そんな女性います!?」

「それくらい女性を雇うリスクがあるということですよ」


 女性の労働力を侮っているという理由ならまだ売り込みようはあるが、それ以前の問題なら雪江はお手上げだ。集客に役立つなどと能天気なことを言ってられない事態になるのだろう。


「マダムはこのお店にはいつから?」

「接客するようになったのはおばあちゃんになってからですよ。それまでは奥でこっそり採寸や縫製をしてました」

「そ! それ! 此方で雇ってもらうわけには…?」

「うちも警備に二人雇っているから、これ以上は人を増やせないの。ごめんなさいね」

「いえ、無理を言ってすみません。でも…そっかぁ……本当に女性が働くのって難しいんですね」


 雪江は深く溜息をついて肩を落とした。


「一つだけ、ないことはないのだけど…」


 あまりに気落ちして見えてか、気が進まない様子ながらもマダムが呟いた。雪江は勢い良く顔をあげる。


「教えて下さい!」

「旦那様は絶対に許可しないと思いますよ」

「…昨日の彼は夫ではありません」

「あら? でもその腕輪は?」


 雪江は一瞬何のことか解らなくてきょとんとしたが、マダムの目線が左手首にあってその存在を思い出した。


「これは余計な揉め事が起こらないようにと貸してくれたものです」

「まぁそうなの?」


 マダムは腑に落ちないように首を傾げる。それでも雪江が根気よく懇願の眼差しを向けていると、観念したように口を開いてくれた。


「日中の公娼のお世話に女性が採用されることもあるのですって。娼館は従業員を守るために警備がすごく厳重だから、安全に働けると聞いたことがあるわ。お給金も良いらしいの」

「成る程…?」


 娼館のことはよく分からないが、昼間なら営業時間外で危ないことはないなのだろう。一考に値する。有力情報を手に入れて気が楽になった雪江は買い物客が来るまでの間、家事を手早く回すコツを教わったりしてマダムとのお茶を楽しんだ。






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