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条約の花嫁  作者: 十々木 とと
第二章
77/114

30. 潜伏するもの


 随分と長いこと揺られていた気がする。実際に隙間から微かに漏れる日の光もなくなり、車内は真っ暗闇だった。お尻が痛むのと、暗くなり始めるとコスタスが気を遣って話し相手になってくれて、雪江の気は少しだけ紛れていた。

 やがて馬車が減速し、車内に緊張が走る。程なくして止まると、木々のざわめきや、ほう、ほう、と梟の声が聞こえてきた。御者台の方向から金具を外す音がして、二つの蹄の音が遠ざかって行く。暫く待ってみても何も起こらない。


「…森に置き去り?」


 静寂に耐えかねて、息を詰めていた雪江がそっと問いかけた。


「どういうことでしょうね」


 コスタスが短く答えて、身構えたまま外の気配を探っていた護衛達が動き出す。


「お。動きそうだ。御者が魔術師だったのかな」


 扉側の窓に填まっている板を触って調べていたナレシュが声をあげた。少しずつ慎重に隙間を開けて、外の様子を窺い見る。反対側はコスタスが同様に目視していた。


「人の気配はないな……降りるか」

「そうだな。どのみち留まるのはよくない」


 エアロンが扉に手をかけそっと隙間を開けた時、前方から複数の足音と話し声が聞こえてきた。


「好きにしていいってことっすか?」

「ああ、丸ごと贈り物だとよ」

「うおお俺女は初めてだ、先にいいか?」

「駄目に決まってんだろ、お頭が楽しんでからだ」


 雪江は震え上がった。人里離れた森の中、暗闇で活動する人間、粗野な話し方に内容を照らし合わせれば彼らが素行の良くない者だということは直ぐ判る。おそらくは山賊の類。目的は明らかだ。


「行くぞ」


 エアロンが鋭く一声投げかけて、素早く車外へ飛び出した。そのまま抜剣し、前方、山賊達へと駆け、斬りかかる。


「おわ、何だ!?」

「護衛も居るつってたろ!」

「殺れ! 殺っちまえ!」

「ぐあ!」


 血の匂いが立ち込める。続けて飛び出していたナレシュが、エアロンが引きつけきれなかった者と斬り結ぶ。その隙にコスタスが縮み上がっている雪江の手を引いて車外に出て、肩に担ぎ上げた。


「しっかり捕まっていてください」

「は、はい!」


 直ぐに脇の茂みに入り込み、木々の間を走りゆく。遮蔽物が多く足場も悪いが、足が竦んでいる雪江が自分で逃げるよりは格段に速い。森深くへ進み、剣戟の音は届かなくなった。コスタスは立ち止まり、耳を澄ませて辺りの気配を探る。


「追っ手はないようです。ここからは歩きましょう。一旦開けたところに出て方角を確認します」


 しがみ付いて震えている雪江を安心させるように声音が柔らかくなり、地面に下ろされた。極力腹部を圧迫しない担ぎ方をしてくれていたが、雪江は頭に血が上っていて、地に足が着いた拍子に蹌踉めく。横抱きに抱え直すべくコスタスが屈んで膝裏に手をかけようとしたところを、雪江は肩に手を添えて制した。


「す、すみません、下ろしてくれて大丈夫です。歩きます」


 雪江は山賊だと思った途端、アリンガム侯領での出来事を思い出して体が動かなくなってしまっていた。未遂だったからなんてことないと思っていたのに、意識の奥底に恐怖は残っているようだ。血の匂いも雪江の身を竦ませるに十分で、何故自分が剣を持てると思っていたのか不思議になる程の有様だ。考えるな、と心の中で繰り返す。護衛はコスタス一人なのだから、両手は空いていた方がいい。深呼吸をすると、幾分は落ち着いた。声はまだ少し震えていたが、コスタスは意図を汲んでくれて、張り出した木の根や石に躓かないよう、雪江の歩く速度に合わせてゆっくりと腐葉土を踏んで進む。時折立ち止まって耳を澄ませては進み、運良く然程歩かずに川辺へと出た。向こう岸まで四、五メートルほどの流れが緩やかな川だ。木々が作り出す濃い影の中を歩いていた所為か、痩せ細った淡い月明かりだけで十分明るく感じられる。


「少し休みましょう」


 コスタスは丸みのある大きな石にマントを敷いて雪江を座らせ、小型の水筒を渡してくれた。人為が去っても夜の森を歩くという怖さはあるが、雪江のお礼を言う声はもう震えていない。川のせせらぎが耳に優しく、凝り固まっていた心を解してくれる。水筒はスキットルのように見えたから中身は酒かと思ったら水だった。コスタスは川から水を掬って飲んでいる。


「…生水そのまま飲んで大丈夫なんですか?」

「大体大丈夫です」


 そこはかとなく不安な返答だ。


「こっち飲んでください」


 雪江は二口だけ飲んだ水筒を返す。コスタスは一つ瞬く間を置いて、困ったような笑みで受け取った。ありがとうございますとは言ったものの、彼はそのまま水筒を仕舞い、空を見上げる。弱い月の光は星を見るのに大きな支障にはならない。


「どの辺りか見当つきますか?」

「ラウシム山の近くまで来てると思うんですよね。だとすればタザナは向こうの方角だと思います。晴れてて良かった」


 コスタスが気楽に笑ったので、雪江はほっとした。休憩の間に星の位置で方角を知る方法を教えてもらう。


「そろそろ行きましょう。足は大丈夫ですか?」

「はい、行けます。道を探すんですか?」


 雪江は慣れない足場と緊張により疲れてはいたが、履き慣れたブーツなので革が柔らかくなっている。長時間歩けばわからないが、まだ靴擦れはなかった。コスタスに手を引かれて立ち上がる。


「いえ、夜の移動は最小限にした方が良いです。近場で身を隠せる場所を探しましょう。この時間ですから、旦那様が異変に気付いてもうとっくに探しにきてくれているとは思いますが、そ」


 マントを羽織り直していたコスタスの手が止まった。木立の中へ鋭く視線を巡らせ、雪江を背に庇いざま抜剣する。


「へぇ、優秀な護衛じゃねぇか。これでも気配消すのは得意な方なんだがなぁ」


 低くしゃがれた声がすると同時に、森の闇から蓬髪の大男が歩み出た。左右に複数の男を引き連れて。






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