7. 最大の必需品
暫くして三人の護衛が到着した。
揃いの制服ではないがそれぞれ濃い色のトラウザーズにシャツ、フード付きマントを羽織り、革の胸当てに籠手と膝当て、ロングブーツ、革ベルトで帯剣している。雪江が街で見かけた護衛達も似たような格好をしていた。些か物々しいが、周囲に護衛の存在を認識させる意図もあるのだろう。自宮の影響なのか、髭の気配もなく男とは思えないきめ細やかな肌をしていた。細身ながら筋肉はしっかりついているのだろう、丸みが無いから余程鍛えていることが窺える。
枯草色の髪の年若い男がナレシュ・アクトン、小豆色の髪の柔和な雰囲気の男がコスタス・ウィッカム、黒茶色の髪の年長の男がエアロン・カーニーといった。
「庭に回れ。手合わせする」
玄関先で一通り挨拶を終えるとワイアットが顎をしゃくった。
「え!」
ぎょっとしたのは雪江だけで、護衛達は心得ているように庭に回る。
「大丈夫ですよ、軍人だと聞いてますからこうなるとは思ってました」
「そ、ういうものなんですか」
おろおろと後を追う雪江に、コスタスが安心させるように微笑んだ。雪江がぎこちなく首を傾けている間に鈍い金属音が弾けていた。手合わせが始まっている。
「そういうもんです。大事なものを預けるんだから腕は確かめたいでしょ……旦那様つぇえな、エアロンが押されてる」
「流石正規兵だね、無駄がないわー」
ナレシュも請け合うように頷き、コスタスが同意する。その間にも二合、三合と剣が打ち合わされる。護衛達は感心したように唸っているが、雪江には剣筋の良し悪しなど判らない。誰もが自然に受け入れていた為に落ち着きかけたが、真剣同士だと思い至って青くなる。
エアロンの剣がワイアットの剣で地面ぎりぎりに押し下げされた。力量を読み終えたワイアットが振り返る。
「次!」
「はい! はい! コスタス譲って、次俺!」
コスタスが一歩踏み出したのを制して、ナレシュが楽しそうに挑んでいった。入れ替わりに戻ってきたエアロンは剣を鞘に収めながら雪江に会釈する。
「お疲れ様です。皆さんが使ってるのって真剣ですよね、あの、…」
雪江は問いかけようとはしたが、何を振っても危ないことに変わりがないことに気付いて言い淀んだ。愚問の類だ。
「急所は外してますよ。あまり踏み込んでないでしょう? 剣筋と反応速度、力とあとは体捌きを見ているんでしょう。旦那様はちゃんと試し方を知ってるから大丈──ぁあ、ナレシュあいつ…馬鹿が、雇ってもらえなくても知らんぞ」
言わんとしていることを察してエアロンが説明し終えようとした矢先、ナレシュが深く踏み込みながらワイアットの首目掛けて剣を突き上げた。ワイアットは軽く半身になって剣身同士を滑らせ、危なげなくいなしている。今のは雪江にも急所を狙っているのが判った。余裕に見えていても息が止まる。
コスタスが呆れ気味に息を吐いた。
「楽しくなっちゃったんだねぇ、旦那様強いから」
「交代!」
ワイアットの声を受け、コスタスが気遣うような視線を雪江に残して手合わせに向かう。エアロンが戻ってきたナレシュに拳骨を落とした。
「やり過ぎだ」
「いってぇ。大丈夫だったろ、旦那様眉一つ動かさなかったぞ」
「そういうことじゃない」
エアロンが目線で雪江を示す。雪江は色が変わる程両手を固く握り合わせて固まっていた。慌てたナレシュがきっちり九十度腰を折る。
「すみません! 絶対躱せるくらいに力量の差があるんで調子に乗りました!」
「いえ、あの、あの…差、とか。そういう事はわからない、の、で…お手柔らかに……」
アクション映画や時代劇を楽しめるのは、画面の向こう側の作り物だと解っているからだ。当事者になるとひどく肝が冷える。雪江は声が震えるのを誤魔化すようにぎこちなく笑んだ。
剣戟の音が止む。
「合格だ。三人とも仕事に入ってくれ」
ワイアットがコスタスと共に剣を収めて歩み寄ってきた。誰も怪我をした様子はない。短く、本格的なものではなかったから息が上がっている者もいない。それでも雪江には言っておかなければならないことがある。
「ワイアットさん。此方にも木刀や模造刀ぐらいありますよね?」
雪江の険しい表情に戸惑ったようにワイアットは頷いた。
「剣のことはよく分かりませんけど、剣筋やら体捌きが見たいだけならそれで十分の筈ですよね」
「…次は用意しておく」
今度は言わんとしていることが解ったように頷いたが、重く受け止めているように見えなくて雪江の眉間の皺が深くなる。
「そうしてください。たとえあほみたいに強かったとしても、世の中には万が一ってことがあるんです」
プロにとっては朝飯前のやり取りだとしても雪江は看過できなかった。平穏に暮らしていた自分より、場合によっては命のやり取りもしているのだろう彼の方が解っている筈ではないのか。ともすれば懇願になりそうな気配を努めて怖い顔を作って押し込めていたが、情けない顔になりかけて慌てて背を向けた。そのまま門の外に向かって歩き出す。
「お茶を入れます。茶葉を買いに行きましょう。護衛が決まったら出歩いていいんですよね。茶器も買ってください! 鍋もないし、ちょっと遅くなったけど皆のお昼ご飯と、後色々!」
皆が平然としているのに自分だけが感情を乱しているのが恥ずかしくて、雪江は怒ったように語気を強くした。
ナレシュの後頭部をコスタスが小突き、エアロンが背を押してワイアットの前に出す。雇用主の状況を悪くさせるのは護衛としてよろしくない。
「すみません、俺がはっちゃけた所為で怖がらせたみたいで」
ばつが悪そうな申告にワイアットが虚を衝かれたような顔をした。直ぐに大股で雪江との距離を詰め、門に辿り着く数歩手前で流れるように抱き上げる。
「ひゃあ!?」
「ユキエ。悪かった」
「ちょっと! 子供じゃないんだからもうやめてください! 靴履いてるの見えないんですか!」
ポーズではなく怒る羽目になった雪江に、ナレシュの口から、ふは、と笑み含みの呼気が漏れた。
「奥様なんか可愛らしいな」
「まだ結婚してないだろう。事前説明聞いてなかったのか」
「旦那様は逃さないだろ、あれ。秒読みだと思うよ」
エアロンの指摘にナレシュは悪びれず、雪江の抗議をものともしないワイアットの背を目線で示す。
「それはどうかなぁ、女心が解るようには見えないよ」
「…う。俺上手くいくように協力しよっかな」
コスタスの見解は的確だ。思わず、といった風のナレシュの呟きにエアロンは渋面になる。
「やめろ。職務を逸脱するな」
「だってさ、上手くいったら長く雇ってもらえるだろ。その間旦那様に稽古つけてもらえるかもしれないじゃないか」
「……それは魅力的な副産物だね」
「コスタス、乗るなよ」
「俺くっつくに賭ける。コスタスは?」
「うーん。ちょっとまだ判らないな。今日会ったばかりだし」
「雇用主を賭けの対象にするな。行くぞ」
自然と年長者のエアロンがまとめ、雇用主と護衛対象の周りを固めに行った。