22. 逆襲のテラテオス人
役者達の感想はマロリーが集めてくれた。女性らしい紅茶の飲み方を習得した者や話し方の改善に役立つという者がいて、また参加したいと好評だった。面白かったのは、ネヘミヤの仕草が色気を含んでいて一番参考になった、という話だ。
後援会は雪江にも益がある。未来の子供の為の繋がりができるのは勿論、意見を聞く為に終了後に設けている女性陣だけの時間になると、体験談やそれに基づいた考察も聞けて興味深い。
「つまりね、多くの男どもにとって他人の結婚は、未来の俺の妻を一旦預けてる、って認識なんだと思うのよ」
「それ正解だと思うわ。だから平気で口説くし攫いもするのよね。でも妻にしたいくせになんでそんなに人の気持ちを無視できるのかしら」
「惚れたから口説くって感覚じゃないからじゃない? 兎に角女が欲しい、兎に角妻を確保するってことでしょ」
「交流を持てないから順番が逆になるってのもあるんだと思うと、一方的に責める気持ちにもなれないけど」
「だからって、やられるこっちとしてはそれで納得はできないでしょうよ」
彼女達は日々の愚痴に共感してもらえるこの時間を大変好んでいた。ユマラテアド歴の浅い雪江が共感できるのは落ちて来た当初のことだ。
「衣食住全て用意されちゃって、馬鹿になんない金額でしょう。返せる当てもないしそこまでされちゃったらもう嫁ぐしかないじゃない?」
「そうなのよね。私それが一番の理由だったわ。そんなつもりじゃなくても無言の強要よね」
「外堀をがっつり埋められた時の恐怖ったらなかったわね」
感謝よりも恐怖の方が大きかったのは雪江だけではなかったようで、これには大いに頷いた。
「それでも断った猛者がいたんだけど、大変だったらしいわよ」
「金払えって?」
「そう、妻にならないなら体売って返せとまで言われたんだって」
「その人どうしたの?」
「最終的には金持ちの旦那捕まえて払っもらって事なきを得たらしいのよ」
「うわぁ…それ誰にでもとれる手段ではないわね」
「スカイラー夫人は大丈夫? 愛情が芽生えても状況的に依存に近くなかった?」
すっかり聞き役になっていた雪江は、急に振られた内容にぎくりとした。的確に言い当てられたのだ。彼女も似たような経験をしたということだろう。年若い新入りに対する心配が目の色に表れていた。雪江は一瞬の躊躇の後、口を開く。
「…依存ではあるんだと思います」
心を預けるまで時間がかからなかった。特殊な状況下で頼れる人間は一人きり。依存するのは自然な流れだったのだろうと今なら解る。此方の知識がない無防備な状態の非力な女など、いいようにできた状況で誠実に接することができる人間なのだから、必然だったのだろうと思う。
「でも。普通に出会っていたとしても、時間が多少かかるだけで同じことだったんじゃないかと思うんです。弱っている時に的確な気遣いをされたら落ちないわけにはいかなかったっていうのはあるんですけど、信頼の延長上にあったことなので」
雪江はその瞬間のことを、今でも覚えている。噛み合わないことも多く恐怖を感じたこともあったが、ティーグ家に誘われた時、唐突にこの人好きだな、と思ったのだ。そして一通りの目まぐるしさが落ち着いた今でも急に冷めたりしていないのだから、問題はない。
「あー、解る」
「解る」
「解るわー」
気恥ずかしげな雪江に微笑ましそうにする者、遠い目をする者、諦念の溜息をつく者。温度の差こそあれ異口同音の大合唱が起きた。
「皆さんもですか?」
「そう。ああいう状況での振る舞いってある程度本性見えるじゃない? そこで誠意ある対応されればもう間違いないでしょう」
「うまくやるなー、って今なら思うわよね」
「ええ。役所にでも落として諸々調えてから嫁入り先を探すのが筋だろうに、男のとこに直接落とすのだものね」
「作為を感じるわ」
「危険も感じたわ」
「それね」
そこでしみじみしていた空気が一変した。
「とっととくっつけたいのは解るけど、有無を言わせず襲われるケースだってあるんだから、問題よね」
「そうね。私の場合は欲を我慢できる人だったからなんとか歩み寄れたけど、そんなの結果論よね」
「私もそう思うわ。きっとコストパフォーマンスを取ったのよ」
「食糧も補助金も馬鹿にならないものね。それで削ったのが私達の安全ってのが腹立たしいわ」
「あれよ、男社会故の女への無理解と無神経よ」
「こっちの常識のみで進めるって配慮なさすぎるわよね」
「寧ろ常識から鑑みて配慮を期待する方が間違ってるわ。女の声が届き難い環境だもの」
「そろそろテラテオス人の数もそれなりになっただろうし、連名で抗議文でも作成しましょうか」
「いいわね。でも抗議だけじゃ駄目よ、具体的に問題点を洗い出して改善案を突きつけてやらないと」
いつの間にかテラテオス人の人権を守る会まで派生していた。それぞれ気色ばむほど鬱憤が溜まっていたらしい。雪江も必要なことだと思う。この場に足を運べている夫人達は運の良かった人達だ。雪江にしても相手がワイアットで助かった、という話なのだ。ただ、今は自分のことで手一杯で協力はできない。どことなく弱った気配を感じ取ったルクレティアが、政治的なことだから後援会に迷惑がかからないようにとさりげない誘導をしてくれた。
「女が集まると凄いんだね」
解散後の後片付けは雪江とネヘミヤでやっている。給湯室の流しに並んで食器を洗いながら、ネヘミヤが熱気に当てられでもしたかのように片手で顔を仰いだ。女の結託は初めて目の当たりにしたらしい。雪江の補佐の立ち位置の彼は、会の間中控え目にしていて殆ど口を開かずにいる。だから女性陣はあまり彼の存在を意識しなくなっていて、かなり際どいことも言っていた。彼がそれをどう消化しようとしているのかは判らないが、お腹一杯の顔をしていて雪江は少し面白い。
「ふふ。女を敵に回すと怖いのよ」
「そうかもしれないけど、あんま危ないこと関わんないでよ。テラテオス人行動力あり過ぎだろ」
ネヘミヤは少し呆れ気味だ。雪江は陳情書を提出するくらいなら特に危険はないと思うのだが、女性が行うこととしては考えられないことだからなのかもしれない。普段の生活に関わりがないので忘れがちだが、この国は王政で貴族なるものが存在する、階級社会でもあるのだ。雪江の故郷とは勝手が違うのだろう。
「うーん……私はまだ関われないけど、皆私よりもユマラテアド歴が長いから、何か上手いやり方見つけられるんじゃないかな」
「そうかなぁ。普段家で囲われてんだから、政治的なことなんてわかんないだろ」
「確かに。旦那さんが情報遮断することもあるって言ってたしね。でも、皆大体の知識はあると思うよ」
テラテオス女性を侮ってはいけない。先進国やそれに準ずる国の人間の大半は基本的な教育を受けていて情報も飛び交っているので、自分の国の政治形態ではなくても大体の知識はあるし、女性に参政権がない国の方が少ないのだ。生きた情報を入手できれば知恵を出し合えるだろう。話した感じでは、一定の教育水準で育っただろうことが窺える女性ばかりだった。デモの盛んな国で育った人もいそうな気配だったので、いざとなったらそういったノウハウも引っ張り出すかもしれないし、情報を遮断される人がいても女性同士の繋がりがあれば夫の努力は無駄になるだろう。そういったことを雪江が話して聞かせると、ネヘミヤは青褪めた。
「ちょっと! ほんとやめてよ! 処刑されるよ!?」
デモの話はまずかったようだ。雪江はそこまでの人数はいないしリスクを考えてその手法は取らないだろうことを説明して、落ち着いてもらう。ついでに多めに残ってしまったお茶請けをバスケットごと持たせて、有耶無耶にしてしまおうとした。檳榔館の年少者へのお土産としてくれたらいい。
「ねぇ、ネヘミヤ。私、檳榔館の仕事をやめようと思うの」
「えっ。旦那に何か言われたの?」
バスケットの中身を確認していたネヘミヤが、弾かれたように顔を上げる。
「ううん。そうじゃないんだけど、後援会で同じことをしているでしょう? それでとってるのはお茶菓子代だけなのに、ネヘミヤからは何倍もお金を取るって流石におかしいもの。それに複数の女性と話せるこっちの方が実りがあるだろうし」
会を思いついた時には給金の額を相談しようと思っていただけだが、彼も会に参加するとなると、雪江との時間自体に疑問符が付く。
「娼館に出入りするんだから、危険手当てだよ。何もおかしいことじゃない。此処じゃ込み入った話は聞けないし、後援会は週に何回もやってるわけじゃないだろ」
「…でも。もう仕事になってないよね? そうでなくても私、成功報酬一度ももらってないもの。効果ないってことなんじゃないの?」
一番の理由はそれだ。当初より友人同士のお茶会のようだったが、最近は女性目線で、という話もすっかりなくなっている。雪江はネヘミヤから解雇を言い渡されるまでは勤め上げるつもりでいたが、実状が伴っていないのでは本末転倒だ。
「そんなことない。これやったら野郎どもは私に惚れるな、っていうのはあるんだよ。……ただ、使ってないだけで」
「…? どうして使わないの?」
「………使いたくないんだ」
「どういうこと?」
困惑して首を傾ぐ雪江に、ネヘミヤは弱ったような笑み方をした。
「…ね、じゃあさ。依頼変えるよ。観劇に付き添って? ユキエちゃんの感想を聞かせて欲しい」
「…え、……と。それは。それでお金を貰うのはちょっと…? 丁度私も沢山観劇して勉強しなきゃいけないし、お金貰わなくても一緒に観劇したらいいんじゃないの? えーっと、なんか、友達と出かける感じだよね、もうそれ」
ネヘミヤの目が衝撃を受けたかのように丸くなる。
「……お金、払わなくてもいいの」
どことなく呆然とした声色に、もしかして、と雪江は思う。ネヘミヤの生い立ちは知らないが、男娼の殆どは幼少期に売られてくるということは聞いた。金銭の発生しない関係というものに触れてこなかったのかもしれない。
「いいっていうか、貰うのおかしいくない? なんだっけ、レディズコンパニオン? とかいう感覚が私には解らないから、そんなことされたら心苦しくなっちゃう。それに、こうして私の為に会に付き添ってくれてるのに、ネヘミヤこそ無償じゃない」
雪江は何かしら礼をしたいとは思っていたが、客を獲得できる機会が転がってるからそれで礼になると躱されるし、お金は受け取ってくれないから仕事でもない。これはもう完全な善意で、いっそ友人のように思ってくれているのではと思っていた。
「本当に?」
「うん」
確認する声が半信半疑だ。雪江が安心させるように微笑んで頷くと、ネヘミヤもじわじわと笑みを広げた。彼にしては不出来な笑みだった。複数の感情が鬩ぎ合って抑えきれずに一つか二つだけ溢れ出てきたかのような、美貌を活かすことを意識したものではない、人間臭い笑み。
「そっか、友達か」
ネヘミヤが噛み締めるように、大切な言葉のように言うものだから、雪江は少し照れ臭くなってしまった。




