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条約の花嫁  作者: 十々木 とと
第二章
65/114

18. 調書なら仕方ない


 闇が這い寄り帰宅時間が迫る頃。国営農場の入り口にある詰所から呼び出しがかかった。不審者を発見したが、その不審者がワイアットの知り合いだと言うのだ。

 詰所は視野を広く取る為に窓硝子が大きい。馬上からでも中の様子が見える。両手を縄で拘束され、壁際の椅子に座っている屈強な男が二名。中央の机を挟んで隊員と女が向かい合って座っている。女はレースをふんだんに使った藤紫色の上質なワンピースを身に纏い、同色のトーク帽を結い上げた金髪に乗せていて、裕福なお嬢様の佇まいだ。カップに口を付けていたお嬢様が萌黄色の目でワイアットの姿を認めると、ぱっと笑みを広げた。


「スカイラーさん、お仕事お疲れ様です」

「…何をしている」

「貴方を待っていただけなのですが、不審だと言われてしまって。参りました」


 ネヘミヤだった。優美な仕草で片手を頬に宛てがい、長い睫毛を伏せ物憂げに溜息をつく。どこか儚げで、罪悪感を刺激されてか隊員が目を泳がせている。拘束されている男達はネヘミヤの護衛だろう。剣は預かっているが服の乱れがなく、乱闘の気配がないから念のための措置といったところだ。


「こんな所に公娼がいたら不審に決まっているだろう」


 完全な余所行きの態度に内心引きながらも、ワイアットは呆れた目で見下ろした。

 日頃出入りしているのは許可証のある農夫や運搬業者、農機具メンテナンス業者だけだ。こんなに堂々とこられては、ハニートラップを疑うにしても扱いに困ったのだろう。ネヘミヤには物理的な拘束はなく、コーヒーを出されていた。詰所のコーヒーは安物であまり美味しくはないから歓待とは言えないが、監視つきながら半分客人のような扱いだ。


「俺に用があるならユキエに言付けたらいい」

「ユキエさん、お困りでしたよ。貴方が頷いてくれないって」


 ネヘミヤは何食わぬ顔でワイアットの言葉を聞き流した。

 相談を持ちかけるような仲になっていることは護衛達の報告で把握はしているが、夫婦のことに口を挟まれて面白いわけがない。一瞬でワイアットの眉間に皺が刻まれた。


「お前には関係ないだろう」

「私なら許してあげられるのですけれど」


 怯むどころか、ネヘミヤはゆっくりとカップに口を付ける間を置いて、含みを持たせた言い方をする。


「…何が言いたい」


 表情こそ変わらないが、不快ながらも興味を引いたのが判るワイアットの台詞にネヘミヤは笑みを深めた。


「良い機会なので貴方と二人きりでお話ししたいと思ったのです。……でも、無理そうですね?」


 ネヘミヤは詰所内に視線を巡らせる。護衛の側の見張りは席を外してくれそうもないし、向かいの隊員も同様だ。一部始終を見届けて調書を書かねばならないのだ。


「当たり前だ。応接室に呼べばいいだろう」

「この時間にですか? ユキエさんに誤解されてしまわないかしら」


 ワイアットは言葉に詰まった。疚しいところがなくても男が娼館に出向けば疑いは免れない。ネヘミヤなりに気を使った結果がこれなのだ。ワイアットは溜息をついて、馬から下り詰所の外壁に設置されている環金具に繋ぐ。中に入るとネヘミヤの身元が申告通りであることを隊員に告げて、ネヘミヤの正面の席を譲ってもらった。ワイアットは腕を組み、目線で話を促す。


「ユキエさんはテラテオス人なのです。解っておりますか?」

「解っている」

「本当に?」


 嘘をつけ、とネヘミヤの目が言っている。ワイアットの片眉が跳ね上がった。


「役所から貰う冊子…『テラテオス女性と暮らすには』? タイトルは微妙ですけど、あれは凄いですね。具体的な例が沢山書いてありました」

「何故お前が知っている」


 テラテオス人を迎える男にしか配られていない筈のものだ。


「私の職業をお忘れですか? 少し頼めば手に入らないものなど殆どありませんよ」


 なんでもないことのように言われてワイアットは黙った。


「此方の当たり前がテラテオス人にとっては苦痛なことも多いんですってね。あれも駄目これも駄目で心を病んでしまった話が載っていました」


 ネヘミヤの言いたいことが解って、ワイアットは渋面になる。


「安全確保できる範囲で許している」

「そうでしょうか。後援会、私が同伴して差し上げましょうか。男性ではできない護り方、私ならできますよ」

「……何が目的だ」

「がちがちに守りに入るくらいですもの、貴方、相当ユキエさんのこと大事に思ってますよね?」


 探るような目を向けると、ネヘミヤは無害そうな顔で首を傾けて直ぐには答えず、ワイアットを苛立たせた。


「当たり前だ」

「でもそれでは、窒息してしまいますよ」

「………言われなくても解っている」


 ワイアットが絞り出した言葉は苦々しげな唸り声になった。

 解っているが、許せる範囲はどうしたって狭くなる。いつ誰に奪われるか判らない状況で自由にさせる程、楽観的にはなれない。妻の心を病ませた夫の気持ちがワイアットには解る。夫の安心と妻の自由の両立は難しい。夫は妻の安全を謳いながら自分の安寧を求めたのだ。エルネスタからの手紙に喜ぶ顔や、新たな挑戦に生き生きと取り組む様を見ていれば、雪江に必要なのが何かは解る。それを支えていくことが、彼女の健康や自分との良好な関係を守ることになるということも、薄々ながらに理解し始めている。だが現状は伴わない。


「俺さ。体はこんなだけど、女を愛することは諦めてないんだよね」


 急にネヘミヤの口調と声音が変わり、何を言い出したのか理解するのに数秒かかった。ワイアットが鋭い視線を投げかけると、ネヘミヤは穏やかに微笑んだ。


「誤解しないで欲しいんだけど、あんたから奪おうってんじゃ無い。寧ろあんたと婚姻関係にあるのは好都合なんだ。なんせあんたには誘拐に遭っても取り戻した実績があるし、たとえ数時間でも俺にユキエを預けてくれる理解ある夫だからね。ユキエの気持ちがあんたにあるうちは、何かしようなんて思わないよ」

「信用できるわけがないだろう」

「そうだね。でも、信用してもらいたい。それを要求していいくらいのことを示してきたつもりだよ」


 にべもないワイアットに相対するネヘミヤの眼差しは真摯だった。

 事件の際の協力。毎度なんの問題もなく檳榔館から帰していること。抱いている好意を本人よりも先にワイアットに告げることもまた、ネヘミヤなりの誠意を示しているとも言える。ワイアットもそれは理解したが、胡乱に目を細めて押し黙った。宣戦布告でないのならなんだというのか、彼の思惑が読めない。


「そりゃ、俺だってユキエが欲しいよ。でもユキエは子供を産む未来を当たり前に思ってる。俺には子種が無いからそれだけは叶えてやれない。だからあんたから奪わないと約束できる」

「………子種扱いか」

「わかりやすくていいだろ?」


 ワイアットは渋面にはなったが、その通りだった。綺麗事を並べられるよりずっと納得しやすい。


「俺達、いいパートナーになれると思うんだ。あんたのエゴで、ユキエを病ませたくないだろ? あんただけじゃ無理だけど、俺と手を組めば防げるよ」


 ワイアットは雪江が不安を打ち明けた時の様子を思い出す。彼女の言っていることが丸々理解できたわけではなかった。あの時はただ、仕事を認めないでいるといずれ彼女が離れて行く危機を感じとっただけだ。このユマラテアドで自活を企てるような行動力のある女だ。閉じ込めておいていいことがあるとは思えなかった。自分がすべきことは寛容になることだと解ってはいるが、彼女の不安を解消できるのが自分ではないことが悔しく、歯痒い。

 ワイアットは目を瞑り、息を深く吐き出した。渦巻く思考を沈めて再びネヘミヤの目を見る。


「…お前はそれでいいのか」


 欲しい女を我慢する。ワイアットにはそこが解せなかった。


「一度の結婚貫く女って珍しいよね。枠は一つしかないのに、幾らでも候補のいる夫って立場が羨ましいとは思わない。夫婦は離縁したら会えなくなるけど、今の関係なら、俺はずっと切れないでいられるんだよね」


 深く繋がるより重要なことのように言うネヘミヤに、懊悩の影は見当たらない。得意げですらある。

 理屈としては解る。だがそれで欲求を抑えられるものなのか。自宮しているとその辺りの精神構造も違うのか、それとも個人の性質なのか。ワイアットは自宮者、或いは男娼という存在を深く掘り下げて考えたことがなかったから、ネヘミヤが急に得体の知れない生き物に思えてきた。

 ただ、ネヘミヤが計算高いことだけはよく解った。夫に妻への想いを打ち明けるのは一見悪手だが、知らなかったところで雪江との距離を必要以上に詰められれば単純に排除するだろう。だが打ち明けることで雪江に害意がないことを示し、利害の一致によりワイアットの敵ではないことも示して、雪江との接触が増えても容認しやすい心理を作っている。正体不明の不安による警戒より、理由が明確な警戒の方が御し易いと、ネヘミヤは知っているのだ。

 認めたくはないが認めざるを得ない状況に誘導されたのが解って、呆れとも感心ともつかぬ溜息が漏れ、ワイアットは天井を仰いだ。子種の一点だけは確かなことだ。現時点では信用して良いのかもしれない。雪江にとっての味方が多くて困ることはないのだ。

 ワイアットが天井から視線を戻すと、勝利を確信したネヘミヤの笑みがあって、眉間に皺が増える。


「俺が接触を全面禁止するとは思わなかったのか」

「あんたの、内心がどんだけ荒ぶってても的確に状況判断できるとこ、信用してるからね。それに事件もないのに急に禁止する理由なんて、正直に言うしかないだろ? でも俺はユキエには打ち明けないから、あんたの被害妄想ってことになる。折角できた頼りになる相談相手を排除する嫉妬深くて厄介な夫って、愛されるかな?」


 ネヘミヤの微笑みには余裕すらある。禁止していたらその論法をぶつける気でいたのだろう。同時にこの先の牽制も含んでいて、ワイアットは顔を顰めた。


「嫌な奴だな」

「あんたも俺の人生を辿ったら俺になれるよ」


 褒め言葉でも受け取ったかのように嬉しそうな声音に、ワイアットは口を噤んだ。男娼の人生は人間性を捻じ曲げるに十分な苦渋に満ちている。だが口を噤ませるために態々その台詞を選んだのだから、同情はしない。ワイアットは護衛達の拘束を解くよう隊員に告げて、話が済んだことを示した。


「それでは、後援会、私が共に参りますね。言いにくいなら私から言いましょうか?」

「いい」

「では宜しくお願いします。其方のお兄さん方も、お手間を取らせてしまってごめんなさい」


 ネヘミヤは上機嫌に隊員達に挨拶して帰って行く。外の立哨にまで挨拶をしていた。華やかな気配が去って、詰所内に静寂が横たわる。ワイアットが隊員を見ると、目が合った。


「どう書くつもりだ」

「………奥方を巡る三角関係、ですかね」

「…」


 ゴシップ記事のような調書があげられることになった。






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