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条約の花嫁  作者: 十々木 とと
第二章
62/114

15. 繊細な生き物なんです


 約束の日。トコ・プルウィットに現れたチャニングは栗毛の美女を連れていた。切れ長の目をしたきつめの美人だが、柔らかく微笑んでいて近寄り難い印象はない。


「ドワイトの恋人です」

「はぁ…」


 マロリーが挨拶に付け加えた言葉に、雪江はなんとも言えない曖昧な相槌を打った。仕事に恋人を連れてくるとはどういう了見なのか問い質したいが、チャニングがいつも以上に険しい顔で何かに耐えるように唸っているので、訊くに訊けない。彼は彼で不本意なのかもしれない。それに初顔合わせの時には雪江の方もワイアットが同席していた。似たようなものだと思えば思えないこともない。此方の女性は極力男性と接点を持たないと言うし、第三者の目があるとはいえ女性と会うのは男性側の恋人も不安になるのだろう。牽制に来ただけで仕事の邪魔をしないのならそれで良いと思うことにした。


「スカイラー夫人にお願いがあって来たんです」

「は、はい」


 笑みが消えた真剣な顔つきで居住まいを正されて、雪江も背筋が伸びる。緊迫した空気になるが、雪江はチャニングに手を出さないと断言できるから、大丈夫だ。


「どうか、どうか……私に演技指導をお願いします!」

「……はい?」


 マロリーが勢い良く頭を下げて、雪江は思わず上体を引いた。


「私は女役ですし、恋人もちゃんといます。ドワイトをとても愛してます。未来永劫魂の域で離れないと誓い合った仲です。女性に目移りすることは一生あり得ません」


 マロリーは顔を上げると、腰がひけているチャニングの腕にしがみ付いて彼を引き戻した。


「この通り絶賛ラブラブ熱愛中ですので、絶っっっっっっっっ対にスカイラー夫人に手を出したりなどということは、ありません!」


 チャニングの目が死んでいて、とてもじゃないがラブラブには見えない。


「私は安全ですから、どうか、どうかご指導をお願いします!」


 再度頭を下げるマロリー。しがみつかれたままだったので引き倒された結果、頭を下げているように見えるチャニング。なんとも言い難い沈黙が流れた。戸惑いがちに雪江は口を開く。


「あ、の。ですね。脚本監修のみということでお受けしたお仕事ですので、申し訳ないのですが」

「そこをなんとか!」


 マロリーの食い気味の勢いに押されて、雪江は口を噤んだ。


「脚本はいいのに役者が大根でがっかりした経験はありませんか? 大根役者が脚本を台無しにして日の目を見なかった劇団の話は知りませんか? 他の役者が良くても、女役が! 女役が美しいだけの、大! っ根! だったばかりに! 観客にそっぽを向かれた劇団の話は!?」


 もうチャニングの腕は掴んでいなかった。マロリーは鶯色の目を血走らせてテーブルに両手をつき乗り出して、仰け反った雪江と鼻を突き合わせる勢いだ。エアロンが前腕でマロリーの鎖骨をそっと押さえなければ、肩でも掴まれていたかもしれない。


「お、おい、もうやめとけ。監修の話も駄目にする気か」


 呆気にとられていたチャニングもマロリーの首根っこを掴んだ。


「黙らっしゃい! どっちか片方だけでも駄目なんだからいっそ無くなったって同じでしょうが!」

「どこがだよ!? てめぇの自棄に付き合うほどお人好しじゃねぇぞ!」


 青筋立てたマロリーが身を起こしてチャニングの手を振り払い、チャニングがいきり立つ。全く痴話喧嘩に見えない。雪江は思わずカウンターの方向、マダムを見る。善意で貸してくれている場所で騒ぎは起こしたくない。マダムは優雅にハーブティーを嗜みながら、興味深そうに眺めている。もしかしたらマダムにとっては小劇場の感覚なのかもしれない。もし雪江に被害が及ぶようなことになっても護衛が護ってくれるだろうが、そうなる前に穏便に収めたい。


「あの! マロリーさんのおっしゃりたいことは解りました」


 罵り合いに割り込むように、雪江は大きめの声を出した。チャニングとマロリーが浮きかけていた腰をさっと下ろして雪江を注視する。きつめ美人の鬼気迫る表情とチャニングの険しい顔で見詰められると二倍怖い。チャニングなど右肘をテーブルについて半身の姿勢なので、チンピラ度が増している。雪江は微妙に逃げ腰になりつつも表情を引き締めた。


「ですが安全面だけの話ではないんです。私は監修の仕事はこれが初めてですし、演技指導もしたことがありません」


 この前提はしっかり認識しておいて貰わねば困る。そんなに必死に頼み込まれるような仕事ができるのかは、今の段階では保証できないのだ。


「初めてのことをいくつも抱えられる程器用ではありませんので、お受けした監修のお仕事をしっかりと遂行することを優先します」


 マロリーが唇を噛んで俯いた。チャニングがほっと息をつく。


「じゃあもうお前帰れ」


 労りもへったくれもなくマロリーに言葉を投げて、鞄から脚本を取り出すチャニングを他所に、マロリーが勢い良く顔をあげた。


「じゃあ! 大人しくしているので、同席しててもいいですか!」

「おいぃいい」


 チャニングがうんざりした声を漏らし、雪江は目を瞬く。


「スカイラー夫人を観察させてください。女性をこんな間近で見る機会は貴重なんです。女性らしい仕草とか、そういうの勉強させてほしいんです」


 雪江はネヘミヤを思い出した。彼と同じことをマロリーは欲しているのだ。


「それなら構いませんよ。女性らしいかどうかはわかりませんが…ああ、上品な女性ということなら、マダムの方が参考になるかも」

「まぁ。私は構いませんけど、こんなおばあちゃんで良いのかしら」


 マダムに目をやると、堂々と聞き耳宣言をしているだけあって、直ぐに心得たような返事があった。


「マダムはまだまだ魅力的な女性です」

「あらお上手ね」


 女は幾つになっても女なのだ。お世辞ではなく雪江が微笑むと、ほんのり嬉しそうな微笑みが返ってくる。女同士の和やかな空気に居心地が悪くなったチャニングが、態とらしく音を立てながら脚本をテーブルの上に広げた。


「仕事だ仕事! 俺は仕事に来た!」


 マロリーの同席は雪江とチャニングの円滑な関係の構築に役立った。非友好的な態度は女性に免疫がない所為だと暴露されてチャニングは怒り心頭だったが、嫌われているわけではないと判っただけでも雪江は大助かりだ。訂正箇所を提案する度に空気が重く、反応が薄くなってきたので心配すると、凹んでいるだけだとマロリーの補足が入り、我慢の限界がきたチャニングがマロリーに掴みかかった。


「あぁああああ、と、止めて、止めてください! マダムのお店で乱闘は禁止です!」


 雪江の安全確保にしか動かない護衛達に助けを求めると、割って入ってくれた。ナレシュがチャニングを椅子に押さえつけ、応戦しようとしていたマロリーも同様にコスタスの手によって元の席に引き戻されている。エアロンが倒れたティーカップを片付け、あらあら、とのんびりと腰をあげたマダムが布巾と交換に受け取っている。


「此処は私の家でも、貴方達の家でもないんです。マダムが、完っ全っなる厚意で! 貸してくださっている場所です。本来なら商品を購入しに来るお客様の為の場所なんです。行動に移る前に、それをよっっっく思い出してください!」


 怒っても怖くないらしいので、雪江は腰に両手を当てて仁王立ちし、目一杯怒っている空気を出す。チャニングはばつが悪そうに頷いたが、マロリーは一瞬ぽかんとした後、「これは私では…いや、いけるか? いやいやいけない」と何やらぶつぶつ呟いている。雪江はなんとなく屈辱感を覚えるが、気にしたら負けだ。内容が伝わっていればそれで良い。席に戻る。エアロンがテーブルを拭き終わり、護衛達は劇団の二人がすっかり大人しくなったのを確認して雪江の背後に戻った。


「私の言い方、きつかったですか?」


 雪江とて凹ませるのは本意ではない。改善すべきところがあるなら早めに指摘してもらいたい。


「いやこい」


 解説しようとしたマロリーの口を、チャニングが片手で叩く勢いで塞いだ。


「全く問題ねぇ。こいつは俺のプライドの問題だ。あんたは俺の脚本を良くする為に言ってくれてるだけだろう。一思いにやってくれ」


 マロリーが白けた横目でチャニングを見ていた。






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