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条約の花嫁  作者: 十々木 とと
第二章
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6. うっかり曹長


 ワイアットはセオドアの昼休憩を利用してティーグ家を訪れた。長引かせたくないセオドアの思惑が透けて見えるが、気持ちは解るのでワイアットも異存はなかった。ルクレティアは突然の夫の帰宅に驚いたが、護衛が十分な距離を取れる庭に場を設けてくれた。


「テディに内緒で話すなんてちょっとドキドキしちゃうわね」


 白いテーブルに紅茶を用意しながら、ルクレティアは声を弾ませる。ワイアットはなんと返していいか判らず、沈黙を返した。


「冗談よ。とって食いはしないから安心して」


 可笑しげに笑いながら向かいに着席したルクレティアに、これまたなんと返事をするのが適切なのか判らない。逆を心配してセオドアが此方を見守っているというのに、ワイアットには彼女の発想がさっぱり理解できなかった。


「それで、何かしら。ユキエのことよね?」


 ワイアットの当惑を知ってか知らずか、ルクレティアが紅茶に口をつけながら本題を促す。ワイアットは頷いたが、暫し言葉を探す間を要した。


「…不躾なことを伺いますが、他言無用に願いたい」

「テディにもね?」


 当然だと言うようにルクレティアが頷くのを見て、ワイアットは漸く切り出す。


「世界に捨てられた痛手を、貴女は仕事で癒せましたか」


 ルクレティアの目が驚きで見開かれた。


「……それ。ユキエが言ったの? 捨てられたって」


 ワイアットは言質を取られたくなくて沈黙を以って答えたが、今更なのも解っている。ルクレティアも思わず口に出しただけだったのか、ティーカップを置いて沈痛な面持ちになった。矢張り彼女も他人に触れられたくない事柄なのだろうと、ワイアットが気の利いた言葉を探して目線を僅かに落とすと、向かいで小さく息をつく音がした。


「ごめんなさいね、スカイラーさん。先に謝っておくわ。私、志願者なのよ」


 ワイアットははたと目線を上げ顔を見合わせる。ルクレティアは非常に申し訳なさそうに眉を下げていた。


「………………今のは忘れてください。自分がここに来たことも」


 ワイアットは思わず両目を片手で覆い、唸るような声を絞り出した。単純にテラテオス人だから彼女も同じだと思っていた己の迂闊さを呪う。


「大丈夫、ユキエにも言わないわ。本人が直接話してくれたら、ちゃんと相談にも乗るわ」

「………お願いします」

「あのね、スカイラーさん。癒せるかどうかは判らないけど、ユキエに仕事は必要だと思うわ」


 ワイアットは手を下ろし、自責一色の目でのろりとルクレティアを見た。


「…反対しているわけではありません」

「でも、賛成もしていないでしょう?」


 ワイアットが彼女に話を聞きに来たのは、言葉通りの事を知りたかったのもあるが、別の方法を見つけたかったのもある。見透かされているようで、口を真一文字に引き結んだ。ルクレティアはしてやったりとでも言うように笑みをこぼした。


「テディもそうだったから、解るのよ。……ねぇ、スカイラーさん」


 言葉を切って、ルクレティアは射るようにワイアットの目を見据えた。


「志願にしろ、選定にしろ、私達は身一つでこっちに来たわ。厳重に囲い込まれる私達にとって、頼れるのは夫ただ一人なの。その意味をよく考えて。───孤独は人を、殺すわよ」






 セオドアはワイアットを先に帰し、茶器の片付けをしているルクレティアに歩み寄る。


「ルーシー? 何か失礼なことを言われたのかい?」

「あらどうして?」


 ルクレティアの様子におかしなところはない。


「スカイラーのあんな様子は初めて見たからね。返り討ちにしてやったのかと思って」

「そんなんじゃないわよ。昔の貴方を思い出して、少し苛めたくなっちゃっただけ」


 戯けた風に肩を竦めるセオドアに、くすくすとルクレティアは笑った。


「内容は教えてくれないのかい?」

「ええ」


 ルクレティアは澄まし顔で片付けを続ける。セオドアも手伝うようにテーブルを布巾で拭き始めた。


「どうしても?」

「そんなに他の女のことを知りたいの?」

「君のことを把握しておきたいんだよ」


 ルクレティアが意地の悪い流し目をすると、セオドアは柔らかい微笑みで受け止める。


「私にも秘密の一つや二つ、必要なのよ。貴方をいつまでも惹きつけておきたいから」


 甘えるそぶりで躱されて、セオドアは諦めと楽しさの入り混じる息を吐いた。


「それじゃあ仕方ないね。一生涯君の秘密を探り続けるから、負けないようにしてくれよ」


 ルクレティアの蟀谷に口付けて、セオドアは本部に戻って行った。









 本部に戻り、残りの勤務時間を平常通りに勤めた帰り道。ワイアットは愛馬に揺られながらルクレティアの言葉を反芻する。他者との交流を完全に絶たせているわけではないから、自分が居ない時間帯が孤独だと言っているのかと思ったが、よくよく考えてみるとそうではない。ワイアット自身が雪江を孤独にすると言っていたのだ。


 下士官になりたての頃、月に数度上官に連れられて呑みに行く際に、片脚のない路上生活者に施しをしていた。不具になると食い詰める者も多かったから、そういった者の一人だったのだろう。大した額ではなかったし、よく通る道に居るからなんとなくそういう習慣になっていただけだが、何年も続けていると顔馴染みにはなる。酔った同行者が迷惑をかけた際に詫びを兼ねて話したことがあったが、彼は孤独を好んでいて、ワイアットよりも口数が少なかった。ある日を境にいつもの場所から彼の姿が消え、巡回の憲兵に尋ねてみたら死んだと言う。死因は肺炎だった。孤独による自死ではない。孤独だけで人は死なないことを知っている。だがルクレティアも実感を伴う確信に満ちた物言いだった。彼とは違う孤独を指しているのか、或いは、肉体の死ではないのか。


 習慣とは恐ろしいもので、深く考え込んでいてもいつの間にか馬を厩に繋ぎ一通りの世話をして、ワイアットは自宅の玄関を開けていた。


「お帰りなさい、お腹空いてるでしょ?」


 シチューの香りと共に雪江が居間からひょっこりと顔だけ覗かせた。ワイアットの思索は解けて、暖かいものが胸中に広がる。大股で近寄り、その身体を片手で抱き込んで頭に頬擦りをした。整髪料をつけていない柔らかな感触を堪能し、シチューの甘い匂いが絡んだ雪江の香りを吸い込む。これを手放したくないだけだ。自分の人生に望めるはずもなかったものが此処にある。この幸せを、自分が殺すとは思いたくない。


「ワット? どうしたの?」


 腕の中の小さな生き物は初めは戸惑って、護衛の目を気にして慌てていたが直ぐに大人しくなる。いつもとの違いでも感じとったのか、屈んで丸くなっているワイアットの背を気遣うように小さな手が撫でた。その温もりが堪らなく愛おしくて、ワイアットは両手で抱き締め直した。


「何かあった?」

「いや」


 雪江の声に心配が滲んでも、纏まりのついていないものを言語化する能力をワイアットは持っていない。暫く経っても身じろぎ一つしないワイアットに、雪江は黙って付き合ってくれた。






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