5. 平和を満喫する人達
第三騎馬連隊本部の中隊長室では、書類仕事をしながらセオドアが困惑していた。
いつもは用が済めば直ぐに退室するワイアットが、なかなか出ていかないのだ。出入りする他の隊員の邪魔にならないように執務机の正面を空けて、斜め前に休めの姿勢で佇んでいる。
「……まだ何か用かい」
セオドアは書類に目を通しながら、問わずにいられない。何も言わずに見詰められていると気味が悪いというものだ。
「いえ。失礼しました」
結局ワイアットは何も言わないまま退室して行った。そんなことが何度か続き、カーステンに指令が下る。
「スカイラーに何があったか突き止めてくれ」
カーステンの背に緊張が走った。
嘗て東隣のガベリア王国とは魔鉱石の鉱脈を巡る争いが切っ掛けで長い間小競り合いを続けていたが、異世界間条約を締結するにあたり同盟国のとりなしが始まり、十年程前に停戦条約を結んでいる。然りとて緊張が解けたわけではなく、主戦力となっていた第二師団の配置には慎重になった。そこで選ばれた土地の一つが、国境を接する辺境伯領から一つ奥に引っ込んだドゥブラ伯領である。国営農場を設営し、異世界間条約に関わる重要な土地を守るという名目の立つ配置だが、勿論ガベリアも思惑はお見通しだ。機動性の高い騎馬隊は警戒される最たるものであり、常に動向を探られている。国境を護る部隊との連絡に諜報をかけられたこともあれば、隊員に直接ハニートラップを仕掛けられることもあるのだ。
「…何か、不審な動きを?」
「いや。物言いたげにずっと僕を見ていて気味が悪いんだ」
カーステンは一瞬で脱力した。二等兵から上官まで幅広く頼られるのは良いことだ。良いことの筈だが。
「………自分はあいつの母親ではないんですが」
カーステンとて、どうせ頼られるならもっとまともな案件がいい。
「平和っていいよね」
くだらない指示を出せるほど平和だ。セオドアは肩が落ちている部下に、有無を言わせない圧を含んで優しく微笑んだ。
ワイアットは訓練の監督を各分隊長に任せ、訓練場の片隅で剣の素振りをしていた。一通りの型をこなしているが、心此処に非らずであれば筋力トレーニングの要素を満たしているだけである。
「ワット、ちょっと付き合え」
カーステンの声が聞こえた。ワイアットが剣を下ろし振り返ると、木剣を投げ渡される。
「何をしている」
ワイアットは反射的に片手で受け取り訝しげに眉を寄せた。小隊合同訓練の時間でもないのにカーステンが居るのは不自然だ。
「一人で悶々としてんのは辛いだろう。こういうのはとっとと発散してすっきりした方が良いよな」
「…気味が悪いな」
「お前の為じゃねぇよ。俺が、お前を叩きのめしてすっきりしてぇって話だ」
「八つ当たりか」
「原因はお前だから八つ当たりではない」
「なんだか知らんが私情」
真顔で言い放たれて困惑しながらもワイアットが剣を腰の鞘に収めると、言い終わる前にカーステンが踏み込み、袈裟懸けに木剣が振り下ろされる。ワイアットは咄嗟に木剣で受け止め、流し様に回し蹴りの踵をカーステンの脇腹へと放った。足が振り切られる方向にカーステンが飛び退き、ワイアットの踵は軍服の布を掠めるに留まる。一旦間合いが開き、互いに正眼に構えた。
「私情だが中隊長の容認がある」
カーステンの物言いは正義は我にあり風だが、ワイアットには疑問符しかない。
「解るように話せ」
「お前が言うな。色んな意味でお前が言うな」
間合いを保ったまま互いにじりじりと右回りに立ち位置をずらして行く。突然の小隊長同士の一騎討ちに、いつの間にか隊員達が手を止め、固唾を呑んで見入っている。しょうもない会話は聞こえない距離なので、隙なく互いの動向を窺っている様は物理的には緊迫した空気に見えるのだ。
「お前なに中隊長に熱視線送ってんだよ。吐け。とっとと、」
カーステンが再度踏み込み、剣先同士を一度弾いて返す軌道で右脇腹を薙ぎにかかる。
「吐け!」
ワイアットは剣先を跳ねあげられたと同時半歩下がり振り下ろした剣で弾き返す。そこからは絶え間なく攻防が始まり、見守っていた隊員達が賭けを始めた。
木剣が鈍い音を響かせ続ける合間、熱視線に覚えがなくてワイアットの脳内には疑問符が溜まっていくが、熱はこめてなくとも観察していた覚えはあった。
「イメー、ジッ! トレーニング、を、していた」
「なんっ、─の、だよ!」
「斬り、かかっ、て、きた場合、──っ、如何にして、互い、にっ──無傷で場を、収めるか」
目まぐるしく立ち位置が入れ替わり、木剣を振っては弾き受け止めながらの会話は途切れ途切れになる。
「待て何する気だ! 部下に斬りかかるって相当だぞ!?」
丁度木剣を合わせたまま膠着状態に入った時だった。目を剥いたカーステンに隙ができた。ワイアットは一瞬の力の緩みを逃さず捻り下げた木剣で木剣を押し下げ様、柄に近い部分を踏みつけ、カーステンの手から得物を奪い落とす。懐近くに潜り込む形になったワイアットはカーステンの顎に肘を跳ね上げた。カーステンは両手で肘鉄を受け、押し込む力をかける。自重を乗せて押し返すワイアットの肘と拮抗した。互いにちょっと一休みする間に使う。
「最悪を想定しただけだ」
セオドアは地位も家庭も持たない血気盛んな若造ではないのだ。実際に斬りかかったりはすまい。単純に、最悪を想定して備える軍人の習性が働いただけだ。
「内容を吐け! 内容を!」
「妻と二人きりで話をさせろと言われたら俺なら許さん」
「なっ、おまっ、奥さんだけじゃ飽き足らず!?」
肘を押さえるカーステンの手が震えているのは力負けしている所為ではない。ワイアットの眉間に不快を表す皺が寄った。
「下衆な想像をするな」
ワイアットは肘にかけていた力を瞬間的に抜き、バランスが崩れた所を頭突きで迎え撃った。鈍い音が響く。
「相談があるだけだ」
「それ先に言えよ」
カーステンが骨同士の摩擦で切れた額を押さえて、地面に片膝を付いた。痛みではなく、脱力によって。
ワイアットは中隊長室に呼び出されので、観念して要望を告げた。
「妻のことで奥方に伺いたいことがあります。二人きりで会う機会をいただけませんか」
「いただけるわけがないよね」
カーステンの報告を受けていたセオドアは、驚きも挟まず即答した。
「…語弊がありました。勿論護衛は含みますが、会話が聞こえない距離に控えていただきたい」
「それは僕が同席するよね」
ティーグ家の護衛は優秀だが、純粋な武力でワイアットに敵うかは別問題だ。セオドアは部下を過小評価していない。
「妻の個人的な話なので」
「僕は誰にも話さないよ」
「奥方だけでお願いします」
「逆の立場だったら君だって許さないだろう」
「誓って奥方に手出しはしません。犯罪者用の誓約魔術で縛ってくださって構いません」
「君ねぇ」
一貫して真顔のワイアットに、セオドアは呆れた声を漏らした。セオドアが所持している魔法紙は軍のものだ。手続きを踏まねば使えない。罪のない部下を犯罪者扱いしたとなればセオドアの首が飛ぶ。ワイアットも解っているだろうに、それほど交渉材料がないということだ。だから言いあぐねていたのだと悟ると、セオドアは蟀谷を揉んだ。
「僕も護衛の距離まで離れる。それでいいね?」
理由さえ判れば気味の悪さは我慢できるにしても、家庭の問題で小隊の機能低下は避けたかった。セオドアが絞り出した妥協案に、ワイアットは頷いた。




