41. オーバーキル
真紅の軍服の騎馬隊。ワイアットを先頭にしたそれは、登り坂の切れ目から忽然と現れたように見えた。実際には登り坂を下った先から駆け上がって来たのだが、盗賊達は左から駆け下りて来る同じ赤い色を纏った別働隊に気を取られていたのだ。
「赤!? はぁ!?」
「なんで軍隊がいるんだよ!?」
「第二の奴等は国営地守ってんじゃなかったのか!?」
前方から側面から、迫り来る騎馬隊に盗賊達は恐慌をきたした。
「落ち着け! 剣を抜くな! 端に寄って素通りさせろ!」
「ちっ、違う! 駄目だ! 射られた! 矢!」
リトラーは冷静にやり過ごす指示を出したが、落馬した男の必死な訴えかけによって標的にされたことを知る。
「なっ…!? どういうことだ、何故軍が……くそ、時間を稼げ!」
考えている暇は無い。リトラーの幌馬車は馬首を巡らせ引き返し、前を行っていた幌馬車が横を向き荷台で道を塞ぐ。幌の中から抜剣した盗賊達が飛び出し、騎乗の者も剣を抜いた。間を置かずして左側面からの騎馬分隊が槍を以って剣を弾き、石突で急所を突いて制圧にかかる。
「隊長、あの馬車ですね!」
幌馬車の動きで雪江の位置は直ぐに知れた。馬を駆りながら隊員の一人が声を上げる。
「ああ、一気に行くぞ! イーデンは別働隊に合流、ヒューズはついて来い!」
ワイアットは一個班だけ率いて坂道を駆け下りる勢いのままに突っ込んだ。幌を避け、一番低くなっている馬と御者台の隙間を人馬一体で飛び越える。御者台の盗賊は馬が迫った時点で恐れをなして早々に転げ落ちていた。
「わぉ! なんだいあれ、格好良いねぇ!」
幌を捲って雪江の存在を主張していたアラベラがはしゃいだ。
「ほんとに来た…」
雪江はその光景に半ば呆然としている。
「追いつかれる! もっと早く走れないのか!」
「無理ですよ! こっちは荷台引いてんですから!」
御者台ではリトラーが必死で馬を急かしている。
「ユキエ! 来い!」
「えっ!? そんな無茶振り」
幌馬車に追いついたワイアットが馬上から右手を差し出した。走っている馬車から飛び移れと言っているのだ。雪江が目を剥いた瞬間、体が浮く。
「ほぅら行っといで!」
アラベラが雪江を放り投げていた。
「っひ、っぁあ!?」
抗議の隙も無い。雪江は地面に激突する衝撃を予期して目を瞑る。衝撃は直ぐに来た。腹部だけが急に圧迫される。ぐっと持ち上げられる浮遊感の次には、雪江は馬上で横座りになっていた。ワイアットは左手で手綱を操り、馬の速度を落とす。ヒューズ率いる一個班が遠のくリトラーの幌馬車を左右から挟み、御者台からの剣の抵抗を難なく叩き落としている。
「ユキエ。怪我はないか。何もされてないか」
ワイアットは馬を止めると左手で確かめるように雪江の頭や背を撫で始める。右手は雪江を痛い程の力で抱き締めていて、息苦しい。
「っ、ワ、ィアット、さ…く、るし……」
ワイアットも切羽詰まった抗議なら聞き入れる耳はあったようだ。拘束が少し緩んで、雪江は足りなくなった酸素を取り入れる。全力疾走した後のように鼓動が早いのが、何が原因か判らないくらい目まぐるしかった。
「…まず。無事です。怪我はありません。何かされそうにはなったけど、防げたし、アラベラさんが保護してくれてました」
ワイアットの顔を見るのは久しぶりで、雪江は気恥ずかしい。一度は見上げたものの、様々な感情が押し寄せてきて落ち着かず、俯く。だがそれは許さないとばかりに顎を掴まれた。上向いた顔の輪郭を辿って頬が撫でられる。
「遅くなってすまない。怖い思いをさせた」
そう口にするワイアットこそが辛そうな気配があって、雪江の胸が締め付けられた。
「助けに来てくれただけで十分です。でも……軍隊なんて動かしちゃって大丈夫なんですか」
「これは演習だ」
「演、習…?」
そんなわけがないだろう、と雪江は言葉尻に含んだ。ワイアットの片頬が笑もうとした形に歪む。
「本当だ。許可はちゃんと取ってある。………取り戻したかった。俺の手で」
ぽつりとした呟きと共に、雪江はまた強く抱き締められた。
「一目で気に入っていたんだ。確かに選択肢はなかった。刷り込みと言われても否定に足る証拠は出せない。だがそれの何が悪いんだ。お前に好きだと言われたら嬉しくて舞い上がった。離れて行こうとしているのを知ったら焦燥に駆られて居ても立っても居られなくなった。お前が拐われたと知った時、目の前が真っ暗になって何も考えられなかった。行方が判らない間、気が気ではなかった。こうして無事なお前が俺の腕の中にいると心の底から満たされる」
ワイアットは一気に捲し立て感情の熱が籠もった息を吐くと、雪江の頭頂部に側頭部、蟀谷にと順番に口付ける。
「こういうことをしたくなるのはお前だけだ。…これは愛ではないのか?」
「……判りません」
他人の気持ちを定義付けすることは雪江にはできない。だが普段は無駄を省くように口数の少ないワイアットが、言葉を尽くして気持ちを伝えてくれている。それだけで胸がいっぱいになった。
「でも嬉しい」
力強く暖かい腕の中に居ることに安堵して、責任感だけではない熱を感じて涙がこぼれた。
「拘りでも義務でも名前は何でもいい。俺はお前が欲しい。お前だから欲しい。離れていこうとするな」
「……はい」
もどかしさと切実さが綯い交ぜになった熱量が、雪江の耳に直接流し込まれる。もう十分だと思った。気持ちを名前で区別するのが、彼にはきっと難しいのだ。雪江も名前に拘っていたわけではない。雪江が雪江だから求めてくれている。それならもういいのではないか。幾つもの感情が溢れかえってしまって、雪江は頷くことしかできない。ワイアットの背に両手を回してきつく抱き締め返すことで応える。
「結婚してくれるか」
「…はい」
頷いた途端、ワイアットの腕が緩んだ。何事かと雪江が見上げれば、彼の顔は歪んでいた。息苦しいような笑い出したいような、なんとも形容し難い顔だった。ワイアットのこんなに感情を露わにした表情は、初めて見る。雪江が涙に濡れた目を見開いていると、前髪に瞼に鼻筋にと口付けが落ちてくる。頰の涙を舐めとって、唇を合わせられる。くすぐったくて、幸せな感触だ。何度も啄まれ、下唇を食まれたところで雪江は我に返った。ここは野外で、距離はあっても盗賊達とワイアットの部下達が居るのだ。
「ワ、…待っ……!」
雪江が顔を引こうにも、大きな手で後頭部を固定されていてびくともしない。合間に声で制止しようとすると、唇が開いた隙に舌が差し込まれた。
「んん…!」
ワイアットの背中を叩いても侵入をやめてくれない。それどころか縮こまる舌を探られ、絡めとられて、もう噛んで止めるしかないと噛んではみても、噛み切るわけにもいかずに甘噛み止まり。応えたと勘違いされてか尚勢い付いた。
「…ん、……ふ」
「あー……旦那様。ケリついたみたいなんで、そろそろまずいと思います」
翻弄されて堪らず漏れた雪江の息に甘さが混じり始めた頃、遠慮がちなコスタスの声がした。漸く雪江の唇が解放されて視界が開けると、外敵から守るように騎馬で囲んでいる三人の護衛の背が見えた。ナレシュの耳が赤くなっているのも見える。息の上がっている雪江は、このまま気を失ってしまえればいいのにと心の底から思った。




