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条約の花嫁  作者: 十々木 とと
第一章
38/114

38. ふかふかなだけじゃない


 エアロンは一日休んで次の夜に発つことになった。

 雪江はエアロンにあてがわれた部屋で旅支度を手伝う。特に干し肉やドライフルーツなどの携帯食を分けてもらえたことを喜んで、いそいそと背嚢に詰める。護衛対象に世話を焼かれていることに居心地が悪そうにしながら、エアロンはベッドに腰掛けて貸し与えられた剣の手入れをしていた。鞘を使ってしまったのでそれが歪んでないかも念入りに見ている。


「アラベラさんはやっぱり信用できる人だったんですね」

「…ええ。まさか盗賊になっていたとは思いませんでしたが、性根は多分変わっていません」


 エアロンの雰囲気が少し柔らかい。アラベラに会ってからというもの、いつもは見られない彼の表情が見られる。


「あの人は俺の最初の護衛対象だったんです」


 何か込み入った事情がありそうだったので雪江が聞かずにいたことを、エアロン自ら口にした。少し驚いた顔をした雪江にエアロンは真剣な顔で向き合う。


「契約は何年も前に綺麗に切れていますので、利害関係は一切ありません」


 護衛対象が不安になる要素を排除する為の自己申告だと気付いて、雪江は気が抜けたような笑み方をした。


「大丈夫です、エアロンさんのことは信頼してます。そういうところも」


 こんなところまで追ってきて、些細な心の機微にも心を砕いてくれる人間を信頼しない筈がない。エアロンはほんの僅か、泣きたいような、怒りたいような、何かに苛まれているような奇妙な形に顔を歪めた。


「こんな事になって申し訳ありません。必ず無事に旦那様の元に返してみせます」


 膝に手をつき、体を二つに折るようにして頭が下げられた。慌てた雪江は制しかけたが、既の所で踏み止まった。エアロンにはそうする必要があるのだ。


「はい。頼りにしてます。今夜はゆっくり眠ってくださいね」


 伸ばしかけた手を下ろして、言葉通りの気持ちを込めて微笑む。膝にあるエアロンの拳が固く握られた。





 エアロンが出立した後も、雪江は変わらぬ生活を続けていた。

 狩猟や採集をしに森に出る村人達が、エアロンの存在を仄めかす偽装工作を担う。盗賊達は手こずっている事に苛立っていた。村人達は悪戯をする子供のように楽しげにしていて、良い娯楽になっているようだ。そのうち工作に凝り出し始めて、やりすぎるなとアラベラに叱られる始末である。

 雪江は日常生活を続けることが役目なので何一つ気負いがない。村人の目があって監視の盗賊達も何もしてこないから、このままのんびり村で暮らすのも悪くないと思い始めるくらいだ。エアロンが村を発って四日になる。拐われてからはそろそろ二週間になろうとしていた。

 ワイアットはまだ諦めないでいてくれているだろうか。エアロンは全く疑わずその前提で動いているが、一度知らせているとはいえ、ワイアットの反応は分からないのだ。何事もないと、雪江には余計なことを考える時間ができてしまう。


「メリーさぁん。ワイアットさんにまた、会えるかなぁ」


 緩やかな傾斜のある放牧地で、雪江は呑気に草を食む羊の背に抱きついた。弱音を吐いても羊は何も言わず柔らかい羊毛で受け止めてくれる。べとついていて土の汚れもつくし羊臭いが。羊達とはここ数日ずっと顔を合わせているから、雪江はそこそこ仲良くなれていると思っている。何か特徴のある羊しか見分けはまだつかないが、全部メリーさんと呼んでいるから問題は無い。

 雪江はエアロンのことは信じている。ワイアットの責任感も信じている。だが日が経つにつれ、ワイアットに会うのが怖くもなっていた。


「もう面倒臭くなっちゃったかな」


 ユマラテアドで女性を守って生活していくことは、とても大変なことなのだ。お金はかかるし、護衛がいても日々の心労は絶えないだろう。ルクレティアは九年間で五回と言っていた。雪江も今回無事だったとしても、この先何度か似たような目に遭うのだろう。それでも愛想を尽かさない人はいるのだろうか。それも、捨てられた女を相手に。セオドアという実例を見ているが、そもそもルクレティアは志願者だし、ワイアットが雪江に対してどうかはまた別の話だ。責任感だけではきっと続かない。

 村で伸び伸びと暮らしているアラベラは例外だろう。頭として村の男達の大半を束ねていたからこそだ。村長こそ元から村にいた老人が務めているが、有事にはアラベラが要になるのだという。雪江の件の指揮を執っているのも彼女だ。アラベラを参考にすることはできないが、何かあったとしても最低限の対処ができるようにはなりたい。


「子兎からの脱却を図らねば…」


 背後に人の気配を感じて、雪江は勢いよく羊から身を起こす。振り返ればそこにはハイラムが居た。


「どうしたらいいと思う?」

「…無理じゃないかな」

「…せめてもう少し考えてから答えて欲しかった」


 子供にまで見限られるとはどういうことなのだ。


「そんなことより」


 雪江が遠い目をする間も無く、ハイラムが自分の背丈より長い杖で西の空を示した。

 西に傾いた太陽が日暮れが近いことを伝えている。日が落ちきる前に羊達を羊舎に帰さねばならない。肉食獣から羊を守るのは羊飼いの大事な仕事だ。牧羊犬を駆使して巧みに羊を誘導する羊飼いの後ろを、雪江はハイラムと並んで歩く。


「せめてメリーさん達くらいには想われてたらいいなぁ…」


 彼らも守られているが、羊飼いにとってそれだけの労力を費やす価値があるのだ。羊飼いの広い背中を見ながらぽつりと呟く雪江の隣を、ハイラムは黙って歩いていた。





「あちこちで検問やってるってさ。どうも、いいとこのお嬢が誘拐されたらしくてね。エアロンの件がなくてもまだ暫く動けそうにないってぼやいてたよ。丁度良いから延長料金取り立ててやったわ」


 雪江がハイラムと一緒に夕食の準備を終えた頃、アラベラが盗賊の様子を見がてらお金と情報を持ち帰ってきた。


「同時期に二件も…」


 ユマラテアドでは珍しくない事件だとのことだが、雪江の眉根は寄る。


「お嬢には悪いけど、足止めの援護に感謝したいね」


 アラベラは冗談めかしてはいるとはいえ、皮肉げな笑み方で心から喜んでいるわけではないことが読み取れた。雪江の保護といい、女性の誘拐をよく思っていないのだ。


「あとあまりにもエアロンが捕まんないから、魔物の類なんじゃないかって言われ始めてるよ!」

「えぇ、いいなぁ、エアロンさん格好良い…」


 一転して楽しそうに告げられた内容に雪江は羨んだ。

 今日一日の情報交換をしながらの夕食は雪江ももうすっかり馴染んでいて、まるで家族のように気安い。


「私に剣を教えてくれませんか」


 居間に移動し、アラベラが食後のコーヒーを楽しむ頃になると、雪江は真面目な顔で切り出した。


「子兎感はもう諦めました。子兎だけど噛むと痛い、を目指そうと思って」


 アラベラがコーヒーを誤嚥しかけて咽せた。


「真顔で何を言い出すかと思えば……笑っていいところかい?」


 雪江は真剣だったが、言葉選びの所為でちょっと面白い方向に捉えられてしまったようだ。アラベラは問いながら既に微妙に笑っている。


「大真面目です! 死活問題なんですから!」


 雪江が心外さを前面に押し出すと、アラベラは少し困ったような顔をした。


「気持ちは解るけどね。半端に強いと、却って危ないよ? 押さえ込むのに余分に痛めつけられることになるからね」

「……アラベラさんくらい強くなればいいですか」


 不遜な台詞の自覚はある。雪江は運動神経も並だ。だが剣を習ったことはないから、可能性は判らないのだ。やる前から諦めるより、継続は力なり、を確かめる方が有益だろうと雪江は思った。

 アラベラは気分を害しはしなかったが、益々弱ったように眉尻を下げた。


「あんたがこの村に残るっていうんなら考えないでもないけどね。もう幾らもいないってのに、習得できるもんじゃないよ。それにね。あたしはこの体格だからそこそこ渡り合えてたんだ。あんたみたいにちっちゃいのは力で捻じ伏せられちまうから、技を磨くしかない。そっちの方はあたしじゃ教えられないよ」


 師事する人間を間違っていると言われては、雪江はそれ以上言い募れない。


「帰ったらエアロンにでも相談したらいいよ。あいつらはあんたくらいちっちゃい頃からやってんだから、身体に見合った戦い方も知ってるだろうさ」

「…そうします」


 無為に過ごすより空いた時間で少しでも技術を、という考えは甘かったようだ。手がなくなったわけではないが少し気落ちした雪江に、ハイラムが甘くしたホットミルクを出してくれた。彼は何も言わないが、これを出す時は純粋に労っているのだと、雪江はもう知っている。居間に移動する前に温めだしていたから、元々出すつもりだったのだろう。雪江が羊に話しかけていたのをまるっと聞かれていたのかと思えば恥ずかしいが、気遣いが嬉しかった。






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