33. 業が纏わり付いている
アラベラと名乗った銀髪の女は雪江から髪飾りを奪おうとはしなかった。それどころか風呂を済ませた雪江が、着替えに渡されたアラベラのワンピースの裾を引き摺らないように苦労しているのを見て、自室に呼びクローゼットを漁り出した。
「やっぱりか。あんたちっちゃいねぇ、寝間着ならもう少し短いのあった筈なんだけど…どこやったかなぁ」
アラベラの家には彼女と少年の他に人気はなく、先程までとは違い警戒が緩くて雪江はそわそわする。
「あの…よければ、トラウザーズを貸していただけませんか。折れば汚さずにすみます」
雪江が恐る恐るお願いしてみれば、シャツと共に快く渡してくれた。
「あたしが言うのもなんだけど、男装嫌がんないなんて変わってるね。あんた、名前は?どっから来たんだい」
シャツもトラウザーズもぶかぶかで、裾と袖を何度か折らなければならなかった。父親の服を着せられた子供のようになっている雪江を居間の長椅子に座らせて、アラベラは向かいの肘掛け椅子に収まる。雪江の当惑などお構いなしに背もたれに沈みこみ、寛いでいる。
「…雪江です。タザナに住んでます。ここは何処なんですか」
「タザナ…ドゥブラ伯領かい? なら隣の領だよ。アリンガム候領。外れの方だから、ドゥブラとはそう離れてないけどね」
雪江は少年が用意してくれた温かいミルクを息で冷ましながら、あっさり答えてくれたアラベラの様子を窺う。
同じく少年が渡したコーヒーを飲む様は自然体だ。嘘をついているようには見えない。ミルクに薬を入れられていないか警戒するが、食事を摂り損ねてお腹が空いているし、喉も乾いていた。眠らされたところで今更だろう。口にすると少し甘くて、その優しい口当たりに気が緩みそうになる。お風呂にホットミルクにと、労りとも錯覚しかねないこれは商品に対する扱いなのだと言い聞かせなければ、雪江は己の置かれた立場を忘れてしまいそうだった。
「旦那の名前は?」
「……何故ですか」
「探してるだろ。早めに無事を伝えてやった方がいい」
これには雪江は目を丸くした。
「何を言っているんですか?」
「今直ぐ助けてやるとは言えないんだけどさ、それくらいはね」
苦笑いをするアラベラに、雪江ははっきりと困惑する。
綺麗にしたら雪江はさっきの男達に返されるのではないのか。否、助けはしないから返されはするのだろう。
「あの人達の仲間、なんですよね…?」
「違うよ。ここはさ、廃村になりかけていたところに引退した盗賊団の人間が住み着いて持ち直した村なんだよ。それで偶にああいうのが頼って来るようになっちまってね。こっちは静かに暮らしたいってのに、一度道踏み外すと駄目だねぇ」
アラベラはうんざりと息を吐き出した。
「そ、そういうことって、あるんですね…」
雪江はどう相槌を打つのが適切なのかが判らない。曖昧に頷く。
「あるんだよ。一人二人のせこい盗賊なら追い出してやれるんだがさ。こっちは爺と子供抱えてるからね。あの規模になるとあたしらも無傷じゃいられないから、正面切って事を構えられないんだよ。悪いね」
「……いえ。その、お風呂、ありがとうございました」
「呑気な娘だねぇ」
出会ったばかりの赤の他人に、危険を冒してでも助けろとは言えない。それどころかアラベラの言を信じるならば、厄介ごとを持ち込んだのは雪江なのだ。なんと言ったものか悩んだ末に雪江がお礼を言うと、アラベラは呆れたように笑った。
「…ドゥブラに向かうにはどうすればいいですか。それだけ教えていただければ」
「自分でなんとかする? 無理だろ」
ばっさり切られて雪江は言葉に詰まる。どうにもできなかった現実が、ついさっきまで繰り広げられていたのだ。
「助けを求めようにもこんなところまで来る旅人なんて滅多にいないし、この辺は山裾で森が続くから、あいつらから逃げられたとしても獣がねぇ……追っ手を始末するまで留まるって言ってたから、追っ手の誰かさんが粘ってくれることを祈って、旦那が迎えに来てくれるのを待つしかないんじゃないかい」
「追っ手?」
「ああ、憲兵じゃないらしいから…あんたの護衛じゃないか?」
「え! それはまずいです! 始末されちゃうって!」
青褪めて立ち上がった雪江に、アラベラはゆっくりと首を振る。
「何もできない場合は、大人しく待ってるのが被害を拡大せずに済む方法だよ」
「それは……そ、うです、けど……」
勢いだけで立ち上がった雪江は力無く長椅子に戻った。
「ここにいる間のあんたの安全は保証するから安心しな。何せ、滞在費はあいつらからちゃんと貰ってるからね」
アラベラは肘掛け椅子の座面と背もたれの間に差し込んでいた札束を抜き出して、軽く振って見せた。
雪江はただで保証されるよりは納得出来た。人の悪い顔で笑うアラベラの抜け目のなさを表しているが、それをわざわざ見せるのはきっと彼女の気遣いだ。同時に、雪江に対して含むところがないことの証左だと判断した。過去はどうあれ、彼女は信用していい。ワイアットにはまた骨抜き手法だと言われるだろうか、ネヘミヤにはそういうとこだとまた叱られるだろうか、護衛達には危機意識が低いと渋い顔をされるだろうか。当座の危険から離れて緊張が和らいだせいか、雪江は彼らを恋しく思う余裕ができた。