31. 擦り寄る狢
森深い山の麓に突然開けた場所がある。白い羊が草を食む牧草地が広がり、点在する畑の合間に古い家がちらほら見える、長閑な村だ。住人同士は皆知り合いで、余所者が来れば直ぐに判る。見慣れない幌馬車が通過すると、村人は畑仕事の手を休めてあまり好意的ではない目で見遣る。
比較的新しい木造の一軒家の前に幌馬車が止まった。御者台にいる二人の男のうち、目が細く神経質そうな男が地面に降り立つ。馬車の音を聞きつけて家の中から少年が出てきた。
「何の用」
ぶっきら棒で警戒心丸出しの少年に対して、男はハンチング帽を脱いで柔和に微笑んだ。
「私はドゥブラ伯領から来たショーン・リトラーという商人です。とある人物を訪ねて来たのですが、村長さんにお伺いしたところ、此方の家の方ではないかとのことでしたから」
「村長…」
少年はじろじろと不躾な視線をぶつけたまま呟き、家の中に消える。程なくして再び扉を開くと男を招き入れ、居間に案内した。
「見ない顔だね」
迎えた家主は肘掛け椅子の肘掛に頬杖をし、胡乱げにリトラーを見た。
切れ長の赤茶けた目はどことなく鋭く目力が強い。銀髪は耳と眉、襟足が見えるほど短い。大柄で胸は薄く、分厚い布を使ったトラウザーズに開襟シャツ姿だが、顔立ちや腰から臀部にかけて丸みのある体型、男にしては高く女にしては低い声から男女の判別はつけ難い。
招かれざる客は立たせたままだ。取り次いだ少年は茶も出さずに家主の後ろに控えている。
「この辺りにお邪魔するのは初めてです。お噂はかねがね伺っていまして、一度は挨拶にと思っていたところ、こうして機会が巡ってきたところでして」
「へぇ? どんな噂だい。こんな田舎暮らしの未亡人相手に大の男がそんなにかしこまるなんて、面白いこともあるもんだね」
家主は気怠げに足を組み直し、薄く笑った。
「とある有名な盗賊団の村があるという噂です」
「ふぅん? それは恐いねぇ」
「皆足を洗ったことになってますが、村を訪れる同業者には便宜を図ってくれるという話で」
「へぇ」
「その盗賊団の最後のお頭が、なんと、女だったっていうのだから、聞いた時には驚きました」
「そいつぁ凄いね。世の中にゃ豪気な女もいたもんだ」
「その豪気なお人が姐さんだとお見受けして、この家の戸を叩かせて頂きました」
リトラーは帽子の中に潜めていた札束を掴んで、テーブルの上に積んだ。家主は押し出されて目前にきたそれを、ちらりと見て目を細める。
「何を持ち込んだんだい」
得たり、とリトラーは笑んだ。
「女です」
家主の片眉がぴくりと上がった。
「ほぅ。それはまた……直ぐに追っ手が掛かっただろう」
「はい。憲兵の方は簡単に撒いたんですがね、どうもしぶといのがいるみたいで。そいつを始末するまで暫くの間、滞在を許してもらえませんか」
「…ふん。殊勝ぶっちゃいるが、既に空き家に上がり込んでるそうじゃないか」
「流石、お耳が早い。失礼かとは思ったんですが、大所帯なもんで揃って挨拶に伺うわけにも行かず、置いてきたんです」
リトラーは一つも動じず、口がよく回る。暫く見つめ合って家主が鼻で笑った。
「まぁ良いだろう。持ち込んだ商品は見せてもらうことにしている。こっちだって危ない橋を渡るんだからね、これっぽっちで済むもんか見定めさせてもらうよ」
札束を指で叩いて、家主は立ち上がった。




