30. 魔法紙の件、忘れてないよね
レーニアから得られた細かな情報を組み合わせて、常連客の所属する盗賊団を割り出した。
最近になって台頭してきた集団で、捕まえた下っ端から痕跡を辿ろうとしても不可解な捜査の打ち切られ方をして、貴族との繋がりが疑われていた。捕まえようとすると砂に潜り込んで尻尾を掴ませない、察知能力の高さで有名な砂蜥蜴の名が付けられている。道理で検問にも引っ掛からなかったとランソムは悔しがった。ネヘミヤはそれでもまだ娼館の線が消えたわけではないし、接触の可能性もゼロではいからとレーニアを確保したままでいる。
ワイアットはハクスリーを訪ねて不正な婚姻届の差し止めを要請した。頷いてはくれたが、貴族が相手だった場合はどこまで粘れるか判らないとのことだった。憲兵隊との連携も約束してくれたがこれも同様だ。
コスタスとナレシュは、貴族の情報を得に実家に向かっている。除籍されている身で助力を得られるかは判らないが、何もしないよりはとワイアットの許可を得てのことだ。
ワイアットは通常通り職務に就き、終わればイヴの微笑み亭に直行する。コスタスから話を聞いて事情を知っている店主が泊まり込みを許してくれた。有事に備えてしっかり寝られる体になっているワイアットに寝不足の気配はないが、焦燥は隠せず目の鋭さと纏う空気の不穏さとなって表れている。訓練時は顕著で、対峙する隊員が戦場の恐怖を味わう。訓練用の槍は柄だけで穂は無いのだが、防御魔術を壊され急所を突かれた時には皆もれなく死んだ気になった。
「うぅ……小隊長がいつにも増して恐い…」
槍を片手に馬を寄せ合う隊員の一人が呟いた。
「しょうがねぇよ、奥さん誘拐されたんだから」
「休まなくていいんですかね」
「流石に誘拐休暇なんてねぇだろ」
「ただ待ってるより仕事してた方が気が紛れるしな…」
「次!」
ワイアットの声が響いて一同背筋が伸びた。
「俺、行ってきます」
「おう、逝ってこい」
「せめて一分は粘れよ!」
隊員達にできるのは、小隊長の殺気の発散に付き合うことだけだ。
ランソムが加われば閉店後のイヴの微笑み亭は捜査会議室に様変わりする。
二人の護衛のうち、先に帰って来たのはナレシュだった。馬は変えたが人の方は休まず相当飛ばして来たらしく、店の裏口を叩いたその場で力尽きて転がった。店主が介抱する。水をがぶ飲みして息が整うと、ナレシュは先ずランソムの部下に席を外させて魔法紙を差し出した。
「情報源は秘匿すると約束してください」
「…誓約魔術ですか」
ランソムは少し眉を顰める。
「貴族の間では秘密でもなんでもない内容なんですが、それを除籍されてる人間に漏らしたとなると良くないんです。捜査責任者に誓わせることを条件に教えてもらったんで、お願いします。大丈夫、誓約と同時に秘匿内容が口にできなくなるだけです」
それくらいならとランソムは手早く誓約を済ませた。
「砂蜥蜴との関係はわかりませんが、有力貴族と婚姻関係を結びたがっていて、適齢期の娘が居ない家を教えてもらってきました。クレスターニ侯、トウラー伯、ダンドロ伯。クレスターニ侯とトウラー伯は派閥の地盤固め、ダンドロ伯の方は借金が理由のようです」
次いで帰ってきたコスタスに同じように誓約魔術を要求されて、ランソムは少しばかり渋面になっていた。情報の種類の違いからなのか、こちらはナレシュと同じものの他に誓約を破ると小指に環状の墨が入る魔術の二重掛けだった。軽犯罪者用ではないが、そんなものが指にできれば憲兵隊は首になる。流石に良い気はしない。ワイアットに早くしろとばかりに凄まれて、結局こちらも誓約を交わした。
「アリンガム侯、ケイヒル伯、ジンデル伯、コープランド男爵、この辺りが今砂蜥蜴との関わりが噂になっている家です。中でもコープランド男爵は数年前に事業を失敗して落ち目だったんですが、最近急に持ち直して金回りが良くなっているそうで。花嫁の斡旋をいくつか手掛けていると」
「判りやすく黒いな男爵。男爵は昔ダンドロ伯と懇意にしていると聞いたことがあるぞ」
「だが今は首が回らないんだろう、トウラー伯は潔癖で黒い噂が少しでもある家とは交流を持ちたがらない」
「残るはクレスターニ侯か。現当主はえげつない手も厭わないらしいな。でも自分の手は汚さないらしいから、そうするとやっぱり男爵経由になるのかな」
「そこの繋がりの情報はないが…」
コスタスとナレシュが互いの情報から消去法で絞り込み、ランソムを見る。
「待ってください。我々はそこには踏み込めませんよ。噂だけでは近衛隊も動き難い」
「要は男爵に渡るまでに見つければ良いんだろう」
裏取りを求められたと察して慌てるランソムに、ワイアットが頷いた。
「そうですな。既に渡ってしまっていたら…裏取りができないのは痛いですが、クレスターニ侯と仮定して受け渡しの時を狙うしかないでしょう」
ランソムは溜息混じりに同意する。
「男爵は領地持ちじゃないんで大体本邸がある王都に居ると思いますが、事業の中継地点をいくつか持っていた筈です」
「それなら任せてください。そこを押さえて張り込みます」
すかさず言い添えたナレシュにランソムは息を吹き返した。貴族の事業所を見つけるのは、砂蜥蜴の居場所を探るより遥かに容易い。
「後はエアロンか……」
部下に指示を出しに行くランソムの背を見ながら、ワイアットが呟いた。追跡中なのか、なんらかの理由で動けないのか。彼からの連絡はまだ無い。
方針が定まったことで幾分落ち着いてきたワイアットを、セオドアが愛妻弁当を持って小隊長室に訪ねてきた。
「お昼、まだだろ。ルーシーの手料理他の男に食べさせるなんて業腹だけど、持たされちゃったからね」
「ありがとうございます。頂きます」
心の狭いことを言いながらワイアットの分の弁当を渡して、セオドアは空いているカーステンの席に座る。
「捜査は進んでるのかい。ルーシーも心配してる。できることはないか訊いてこいって」
「…エアロンの情報待ちです」
情報源を伏せてあらましを述べると、セオドアは少し考える素振りを見せた。この間に肉類が多めの食事は軍で身につけた早食いで二人とも食べ終えている。
「君の小隊、今期二回目の演習さ。遠征地まだ決めてなかったよね」
「は…? はい」
「他の小隊と被らないなら、少し早めに実施しても良いよ」
飛んだ話に直ぐには追いつけていなかったワイアットが目を見開く。
「情報が早く出揃うと良いね」
何の許可を貰ったのか確信すると、ワイアットは勢いよく席を立って最敬礼をした。
「必ず演習を成功させます」




