3. 本部が男子校
ワイアットの部屋は集合住宅の一室だった。三階建ての横に長い建物から外に出ると広大な農地が広がっている。何かの動物の糞の匂いと土の香りが混ざっているが、排気ガスの匂いが一切しない空気は清浄に思えて気持ちが解れた。青々とした畑の中にちらほらと作業中の人影が見える。
「お仕事は…農業ですか?」
「軍人だ。平時はテラテオス支援物資用国営農場の警備に就いている。隊の本部に寄るが気の荒い者ばかりだから黙っていてくれ」
雪江との交換品が国営で作られている。しかもそれを守る人員までいる。とんでもない金額が動く国策だ。否、世界間の条約だから世界策とでも言えば良いのか。ワイアットの言からすると、どこまで続いているのかわからないこの畑が国営農場なのだろう。事の大きさを目の当たりにして雪江の顔色が悪くなった。
雪江は父と母の都合で生まれてきて、そこそこの高校を出てそこそこの短大を出、そこそこの中小企業に勤めていたどこにでもいる一般市民に過ぎない。いわば放っておいても勝手に生えてくるその辺の雑草。手を掛けて品質管理された一級品などでは決してない。なんてものと交換してくれてるのかと叫びたい衝動を既の所で飲み込んで打ち震えた。
「大丈夫だ、触れさせない。直ぐに済ます」
ワイアットは気の荒い連中に対しての怯えと受け取ったようだったが、雪江は否定したくとも説明ができずに黙っていた。
「嫁が落ちてきた。休暇申請を頼む」
歩いて三分とかからない本部の一室に入りワイアットが告げた瞬間、場が騒然とした。
「嫁!? マジか!」
「抱っこしてるそれ嫁!? 嫁!?」
「落ちてきたってことはテラテオス人か! 凄いな、中隊長の時以来じゃないか! 名前は!?」
「曹長畜生羨ましいおめでとうござます! 奥さんお友達になってください! あわよくば俺に乗り換えて!」
「俺カーステン・コナーって言います! バリバリ働き盛りの二十六歳、趣味は観劇と原石集め。粒揃いだからいいアクセサリー沢山プレゼントできますよ!」
真紅の軍服を着た男がざっと十数人居る。硬直している雪江を自分の体で隠すようにワイアットが左半身を下げた。
「話しかけるな怯える。早く手続きをしろ」
雪江はそこまで繊細なつもりはなかったが、未だ嘗て経験したことのない熱烈な歓迎ぶりには引いていた。軟派な連中の社交辞令の軽さではない。本気の熱量だ。
「嫁独占禁止法の制定を要求する!」
「名前くらい教えてくれてもいいじゃないですか!」
「そうですよちょっと話すくらい!」
「日々潤いもなく過酷な労働に耐えてる俺に癒しを!」
「夜番明けの俺にご褒美を!」
「俺にも口説く権利はある!」
目がぎらぎらしている。皆一様に体格が良いので尚怖い。優先権が行方不明だ。雪江は無意識にワイアットの首に縋っていた。
「はいはい、がっつかない。奥さんドン引きしてるでしょ。欲望むき出しの男は嫌われるよ───すみませんね奥さん、日頃接する機会が少ないもんですから、ユマラテアド人は女性との接し方が分からないのが多いんですよ」
「いえ、こち…」
騒ぎを聞きつけて奥の部屋から年嵩の男がやってきた。落ち着いて話ができそうな相手に対して無視は失礼かと雪江が返事をしようとすると、ワイアットがフードを顎下まで下げて遮った。
「声! 女の子の声!」
「かっわ…!」
少し声を発しただけで沸き立つ男達に三度引いて、雪江はすっかり縮こまる。空気になるのがこの場での最適解だと悟った。
「中隊長。休暇を申請します」
年嵩の男に向けて急かすワイアットの声が呻くように低い。
「いいよ。条約だからね、規定通り二週間あげよう。調整しとくから行っておいで。隊舎引き払うのはいつでもいいけど、直ぐ決めてくるんだろう?」
ワイアットは差し出された申請用紙に走り書きをして頷いた。
「荷物は護衛の都合がついてから取りにきます」
「ああ待って」
背を向けたワイアットを引き止めて、中隊長と呼ばれた男が近場の机で何事かを書き出した。小さなメモ用紙を二つ折りにして差し出す。
「女性用の店、知らないだろう?ルーシーの行きつけだからテラテオス人の言動にも慣れてる。間違いはないよ」
「ありがとうございます」
ワイアットは今度こそ本部を出た。