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条約の花嫁  作者: 十々木 とと
第一章
12/114

12. 最適な贈り物


 あれからワイアットは娼館の中を隈なく周り、警備員に出くわす度に凄みを利かせた目つきで値踏みしてギャビンを慌てさせた。そして雪江に危害を加えない、違法行為をさせないことを盛り込んだ誓約書を書かせ、警備を取り仕切っているというギャビンに血判を要求した。ギャビンの親指が赤々と指紋を残した瞬間、そこから立ち昇った淡い光が小指の付け根にまとわりつき、一際強く環状に光って消えた。ギャビンが目を剥いて「軽犯罪者用の誓約魔術じゃねぇか!」と叫んだ。ワイアットが隊の本部から持参した魔法紙だったのだ。誓いを破った瞬間小指が根元から切り落とされ、普段の生活には大きな支障はないものの世間に信用ならない者だと見做されるという。

 雪江は大いに引いたが、娼館の人間は簡単に信じられるものではなく、ワイアットの対応は決して度を越したものではないとエアロンが教えてくれた。「危ない奴がバックについてると思わせるのは有効」だとコスタスも請け合い、ナレシュの中でワイアットの株が上がったらしく目をきらきらさせていた。最終的にエアロンに「護衛対象の危機意識があまりに低いと護りにくい」とまで言われ、雪江は大いに反省した。認可されてるとはいえ、娼館は裏社会と混ざり合っているのだ。



 打って変わって一夜明けたワイアットの機嫌は良い。何せ雪江が生活必需品以外のおねだりを初めてしたのだ。

 雪江は訪れた宝飾店で女性同伴だからと個室に通され、テーブル一杯に広げられた商品の中から髪飾りを選ぶ事態に陥っている。自分で言い出したことだが、普段使いの髪飾りを想定していた。リボンやガラスが素材の。毎日つけると宣言したのだから、誰だってそう思うだろう。それがよもや宝石の嵌まった値の張るものを並べられるとは、誰が想像しただろう。雪江はそう思うのだが、常識が違うのだ。全ユマラテアド人が想像した、などと返されそうで恐かった。だが雪江は少しぐらいは抵抗したい。一番安価で済みそうな無難なアクセサリーを選んだ筈なのに、おかしいではないか。


「ま、毎日身に着けるにはちょっと豪華すぎると思います」


 カットされた色とりどりの石が光を反射して雪江を攻撃していた。目がちかちかする。


「では此方はどうでしょう。ローズゴールドやグリーンゴールドに大人しめの石を組み合わせたものです」


 白い手袋をした紳士がケースごと商品の入れ替えをする。貴金属からも宝石からも離れてはくれないんですね、とは言えない。ワイアットに恥をかかせることになる。これも反省したことの一つだ。


「これ可愛い」


 雪江は覚悟を決めて、漸く一つ選んだ。葉を象った金に近い色のグリーンゴールドの上に白い貝で幾重も重なる花弁を表現し、三つ配置されたその花の中心にそれぞれ真珠が添えられたものだった。激しい光の反射はないし、色合いも落ち着いていて普段使いしても悪目立ちはしないだろう。先程並べられていたものよりは値も張らない筈だ。


「これをかけてくれ」


 ワイアットが手にしていた冊子の一点を指し示し、商品と共に店員が一旦下がる。戻ってきた時には白かった真珠に薄い緑や淡い桃色が入り、光を受けると優しく色合いを変えるオパールのようになっていた。


「綺麗。真珠じゃなかったんですか?」

「真珠は魔術を組み込むとこのように魔力を帯びた色が現れるのです」

「魔術?」


 雪江は店員の説明に目を丸くしてワイアットを見るが、彼は素知らぬ顔で髪飾りを目で示した。


「つけないのか」


 促されるままにハーフアップに結い上げた部分につけると、ワイアットは柔らかく双眸を細めた。すっかりご満悦の様子に雪江は気恥ずかしくなる。支払いは勿論ワイアットがすませ、雪江は金額を聞く愚は犯さなかったから、彼の機嫌は保たれたまま店を後にすることができた。


「ありがとうございます。大事に使います」


 ワイアットは漸く並んで地面を歩くという行為を覚えたようで、雪江も安心してお礼が言える。ワイアットの指が黒髪を飾る真珠を軽くなぞった。


「守護魔術だ。危害を加える思念で発動する。真珠ではそう大きな魔力は込められていないだろうが、三つあれば三度防げる。娼館には必ず身につけていってくれ」


 雪江の娼館の出入りは外聞が悪い。先程守護魔術に就いて話さなかったのは、人の耳があったからだと雪江は気付いた。歩いていれば周りを護衛に固められているから、通行人は直ぐ隣をすれ違うことができない。二人で静かに会話する分には人の耳に過敏になる必要がないのだ。


「…ネヘミヤさんは信用していいと思いますよ?」


 随分と心配されているので、雪江は安心材料を提供したくなった。それを見下ろすワイアットには全く心を動かされる様子がない。


「金額を提示した時、少なすぎるって正直に教えてくれたでしょう。少なくとも、役に立つと思われているうちは私に不利益なことはしないと思うんです」


 ワイアットは無言だ。


「……やっぱり危機意識、低いですか?」


 あまりに無反応で、雪江は不安になってワイアットをちらりと見上げた。ワイアットは溜息をついて雪江の髪を片手で梳き、頭頂部に口付ける。


「!?」


 この感触は覚えがある。雪江が初日に聞けなかった頭の感触だ。ワイアットがあまりにも自然体だから、雪江は狼狽える自分がおかしいのかと思ってしまう。


「信用させて骨抜きにするのはよくある手法だ。通いなどと面倒なことをせずに手元に置けば商品にもできる。お前の価値を忘れるな」


 雪江が何を問う間もなく話が進んで、その内容に冷や水を浴びせかけられた心地になる。ワイアットの眼差しは恐いくらいに真剣だ。


「たとえあれ一人が信用できたとしても、娼館には違いない。売られてきたばかりの者は荒れていることも多いというから近づくな。特に警備の者は信用するな」

「警備の人は護ってくれるんじゃないんですか?」

「あれは商品を護ってるだけだ。本物の女が出入りしていればいずれ抑えのきかない者も出てくる。ギャビンの影響力がどの程度かは判断できない」


 雪江は女として襲われる心配があることを失念していた。まだそういう目に遭ってないのは護られているからなのだ。人が、物が、安全が足りている場所で育った人間に欠けているものの一つである危機意識は、反省したところで一朝一夕には身に付いていない。頭だけの理解では平穏が続くと徐々に抜け落ちてしまうのだ。彼らからすれば雪江などお花畑の住人に見えるに違いない。


「ご、ご迷惑を」

「テラテオス人に会いに行くか」

「え」


 雪江に皆まで言わせず遮った言葉がまた唐突だ。


「中隊長の奥方がテラテオス人なんだ」

「そういえば」


 そんなことを本部で誰かが言っていた気がする。


「同郷なら少しは気安いだろう」


 雪江は息を呑み、足が止まった。

 何を贈られるより今は嬉しい。ぎゅうぎゅうと胸が締め付けられて、目頭が熱くなる。急激な環境の変化に縮こまって、自分を守る為に頑なに閉じていた部分がゆっくりと解れた。じんわりと染み入るように胸の奥に熱が滲む。


「会いたいです。……凄く、会いたいです」


 ワイアットは直ぐ様翌日の約束を取り付けてくれた。






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