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条約の花嫁  作者: 十々木 とと
番外編
111/114

護衛の恋(5)出陣


 翌朝エアロンは、アラベラに協力する旨を雪江に相談した。雪江は何事かを言いあぐねるように目線を彷徨わせる。


「大丈夫ですか?」


 口にして直ぐに言葉を選び損なったとでも言うように気まずい顔をした。エアロンは気付かぬふりで頷く。


「できる範囲で力になろうと思います」


 これに乗じて距離を詰めていいとは思わない。護衛の恋とは一方通行で終わらせるべきの、そんなものなのだ。雪江は今までのエアロンの態度で何を選んだのか察しているのだろう、言葉を重ねることはなくただ頷いた。


「ただ、奥様には手続きの際にご不便をおかけすることになりますが」


 戸籍に関しては一度ドゥブラ伯領に戻らねばならない。領境に一番近い役所に行くにしても、半日近く雪江の傍から離れることになる。雪江は元々村ではそれを推奨しているし、一人ずつであればワイアットからも裁量を任されている範囲だから違反にはならないが、抵抗感は拭えない。


「任せてください、大人しくしてます!」


 雪江が頼もしいのだか頼もしくないのだか判らない台詞を凛々しく言い放つので、エアロンは肩の力が抜けた。








「助かるよ。早く決めてくれたから式も済ませられるね」


 アラベラは喜び、早速魔法医の元へ出かけて行った。自宮者との婚姻の為、診断書が必要と踏んだのだ。エアロンはドゥブラ伯領へと馬を走らせ、婚姻の腕輪は戸籍を移す帰りがけに入手した。花嫁衣装は雪江が手配する。一から仕立てる時間はないので、既製品の赤いワンピースを花嫁衣装風に細工したものになった。同時進行で雪江とハイラムで花嫁の帽子を作り、婚姻届はアリンガム侯領で提出した。自宮者との婚姻ということで役所の職員は驚いていたが、添えられた診断書の確認が終われば受理された。補助金はアラベラにも収入があることを理由に受け取らないことになった。丸切り詐欺であるからこれは妥当だ。

 双方両親がいない場合は当人達が挙式の立会人を選べる。雪江と村長に頼んで式は恙無く執り行われ、婚姻の腕輪は無事に接合された。侯爵家への訪問日前日というぎりぎりの日程だったが、全ての形式を整えることができた。この間、エアロンは無心である。職務の一環だと思えば心乱さずにいられた。


「さて本番だよ!」


 侯爵家訪問の日、アラベラが敵地に乗り込むが如く気を吐いた。

 ドレスアップして晩餐をという招待だったが、ドレスは箱の中、アラベラは男装のままマントを羽織った。革の防具に帯剣にと、エアロンと似たような護衛の出で立ちだ。迎えに来たクルームがそれを見て表情を曇らせる。エアロンの同行にも不審顔だったが、アラベラが趣向だと黙らせた。

 枝の張り出す細い轍道では入ることができなかったのだろう、開けた場所に出ると待たせていた侯爵家の立派な馬車に乗り換えた。通り掛かった街で着替えの為の部屋を用意するというのを断り、一路侯爵の待つ邸宅へ。

 邸宅に入る際に剣を預けねばならなかったが、本日の為の得物は別にある。扉を開けば目前に伸びる広い階段、高い天井に精巧な細工のシャンデリア、名工が手掛けたと判るマントルピース。正門から此処に到るまでの広大な庭の光景と共に、エアロンは幼き日の記憶を刺激されて妙な気分にはなったが、侯爵が現れて気を引き締める。

 侯爵はそろそろ五十に届く歳だが、飽食に甘えず不摂生をしてこなかったと判るすっきりした体型だ。光沢のある深い濃藍のスリーピースに空色を基調としたシャツ、少し明るめの紫紺のネクタイを趣味良く着こなしている。砂色の髪を品良く後ろに流し、彫りの深い目元から覗く水色の瞳には年相応の貫禄はあるものの、どことなく茶目っ気も宿していて近寄り難さを緩和しているようだった。


「息災だったか。ドレスは気に入らなかったかな」


 侯爵はアラベラの装いを一目見て状況を察したようだが、その声には余裕があり、想定内といった風情でどことなく面白がっているようにも見える。型通りのことに囚われず、難しいこと程のめり込む。そういった人物評をアラベラから聞いていたが、どうやらその通りのような気配がする。平民故に多少の無作法は多めに見ているのだとしても、通常ならば無礼を咎められるところだ。


「一介の農婦には過ぎたものですよ。着る場がないと断ったのですが、クルームさんが聞いてくれなかったんです」

「着飾る貴女を見たかったのだ。私の我儘を聞いてくれる良い従者なのだよ。そう責めてやるな」


 侯爵はアラベラの非難を難なく躱して目尻に皺を作る。


「こうして返しに来るのを見越して置いて行ったのでしょうね。相変わらず策士でいらっしゃる」


 黙って侯爵の脇に控えたクルームに視線も向けず、アラベラが微笑みを浮かべて当て擦る。青筋の気配を隠しきれてはいないものの、まるで貴族同士の会話のようで、エアロンは感心すると同時に幾ばくかの寂しさも感じた。これはおそらく侯爵との付き合いで磨かれていったもの。エアロンが知り得なかった年月をまざまざと見せつけられている気分だった。


「なに、折角こうして訪れたのだ、詫びに馳走しよう」


 侯爵は招待状の文言などなかったかのように自然な流れで誘うと、断ろうとするアラベラの気配から何食わぬ顔で視線を外しエアロンを見た。


「ところでそちらは?」


 エアロンはそつのない一礼をする。


「エアロン・カーニーと申します」

「ほう。スカイラー家の護衛だな。今回の演習はうちを使っていないようだが、何か緊急の用でもできたか」


 名前一つで言い当てられる程把握されている。雪江の誘拐事件の際に調べたのだろうが、村周辺の警戒を怠っていないことをアラベラに対して示す言葉でもある。


「はい。この度領民に加わりましたのでご挨拶に伺いました」


 通常は転入程度のことで一領民が領主にお目見え願うことはない。侯爵は怪訝な目の細め方をした。護衛対象から離れていること、呼ばれもしないのにアラベラの招待に同行したことと併せて、意味を考えているのだろう。


「あたしの夫になる為に籍を移してくれたんですよ」


 アラベラがここぞとばかりにマントの下から左腕を擡げて婚姻の腕輪を見せた。侯爵は片眉を上げ、クルーム共々絶句した。信じられないものを見る目で腕輪を凝視し、本来繋ぎ目があっただろう場所を探すように視線を這わせる。


「なんの冗談だね。エアロン・カーニーは護衛と聞いているが」


 一足先に衝撃から抜け出した侯爵が、エアロンの姿を上から下まで確認するように見て声を発した。どの情報が間違っているのかを探る眼差しだ。


「ドゥブラ伯領で寄宿学校を卒業しております」


 エアロンは穏やかに答える。


「それともお見せしますか」


 侯爵は微かに眉を寄せた。卒業証明を取り寄せれば事実確認はできるが、手っ取り早く確実な方法は該当部位を見せることだ。興味本位や躾と称して、然もなくば単純な疑いで雇用主が要求することがある。雇用と天秤に掛けて泣く泣く従う者もいるが、多くは尊厳を守り雇用を諦める。何れにしても正当な疑義でもない限り品位を疑われる行為であるが故に、一角の人物であろうとする者程この提案には威力もあろう。

 案の定、侯爵は溜息混じりに首を振る。


「よい。不躾だったな。詰まるところこれは、貴女を諦めない私への抗議かな、アラベラ」


 奇異故に裏を勘繰る。駆け引きの一種に過ぎないと。


「まさか。惚れた男を口説き落としたことを自慢しているんですよ」


 今なら撤回を許すとでもいうような寛大な態度の侯爵に、アラベラは腕輪を見せたまま勝ち誇った顔をした。一拍を置いて侯爵が小気味良さげに笑い声をあげる。


「そうか、これはやられたな! 質の良い安全な暮らしより愛と労働を取るか。相手が護衛とはまた、意表を突いてくれる。貴女は私を離す気が見られないな」


 アラベラの口端が僅かに引きつった。侯爵の興味が少しも薄れていない。


「慶事だ、二人とも改めて晩餐に招待しよう。ドレスは結婚祝いとして受け取ってくれたまえ」


 エアロンは結局何も譲っていない侯爵の手腕に舌を巻き、アラベラが音を上げそうになる所以を思い知った。






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