11. ふっかけとは
娼館の規則に則って護衛共々腰のものを受付に預けると、商談用の応接室に通された。雪江とワイアットが並んで長椅子に座り、向かいにネヘミヤと名乗った金髪美人が座る。ネヘミヤの後ろにギャビンが腕を組んで立ち、三人の護衛の立ち位置は雪江達の背後だ。
互いが名乗り終わると早速ネヘミヤが本題に入った。
「私の話し相手になって欲しいんだ」
雪江はぱちぱちと瞬いた。
「それだけですか?」
「それだけ!」
「何を企んでいる」
満面の笑みで言い切ったネヘミヤをワイアットが睨んだ。
「企んでないよ。この檳榔館が誇る三大美姫、ネヘミヤの名にかけて嘘はない」
ネヘミヤは葡萄色のワンピースに包まれている豊満な胸と細い腰のラインが美しく見える角度に身を捻って、髪を背中に払って見せた。よく手入れされた滑らかな髪に窓から差し込む光が反射して艶めかしい。美しい人は何をやっても美しいのに、見せ方をわかっている人間がやると文句のつけようがない。
「でも。お給金が良いって聞いてます。話し相手だけでやっぱりそれはちょっと…。無償ということでしょうか」
見惚れながらも雪江は困惑を隠せない。
「ああー、それね。それも嘘じゃないよ。娼館に出入りするってそれだけで外聞が悪いでしょう。奮発でもしないと周囲が反対してなかなか貸し出してくれないんだよ。本物の女は高いの。解るでしょ?」
最後の一言はワイアットに向けられた。ワイアットは眉間の皺が深いまま腕を組んで黙っている。雪江は性別を値段で語られることに釈然としない心地を抱えるが、男女比が著しいとそうなるのだろうと頭では理解した。
「そんな顔しないの。相応に役に立つんだから、妥当な話だよ」
自分ではどんな顔かはわからないが、奇妙な顔をしていたのだろう、雪江は手で頬を解す。
「檳榔館は『本物より本物らしい』を売りにしてる店なんだ。私達はさ、生まれは男なわけじゃない。中身が全くの女だった子はまだいいけど、そうじゃない子もいるわけ。努力しても想像だけじゃどうしたってなりきれない部分はある。だから本物に触れて学ぶ必要があってさ。授業料ならいくら払っても無駄にならないんだよ。まぁレディズ・コンパニオンみたいなもんだと思ってくれても良いんだけど」
レディズ・コンパニオンなるものがどんなものか解らない。雪江がワイアットの袖を引っ張り、下りてきた耳元でこっそり聞くと、貴族女性の話し相手になる女性のことで、社交場にも付き添ったりするのだと説明してくれた。それでお金が貰えるというのも雪江にはよく解らない感覚だった。
「…授業料ということなら、解ります」
「でしょ? 自分への投資だからね。お金で買えない人生経験で培った人間性を、こっちはお金で買うわけ。そう言い換えるといくら出しても安いくらいだよね!」
「おいやめろふっかけられる」
雪江の理解を得られて嬉しそうにするネヘミヤに、ギャビンが待ったをかけた。
「大丈夫でしょ、だって男に髪飾り一つねだらない娘だよ? 旦那が金に困って売りに来たってわけではないだろうし」
「当たり前だ」
ワイアットが不愉快そうに顔を顰めて吐き捨てた。
「な、なんかごめんなさい…」
ワイアットが人身売買をするような人間に見られる可能性に思い至らなかった。雪江は浅はかさに恥じ入った。
ワイアットにだけ聞こえる小ささで謝ると、横目で雪江を見たワイアットが気にするなとでも言うように一瞬目元を緩めた。ひどく優しい目をされて落ち着かない。雪江は意識して一息入れ、居住まいを正す。
「授業料ということなら専門学校教師の平均相当のお給金が頂きたいです。学校ほど長時間拘束されるわけではないでしょうから、時間給に換算して日払いで」
「やだしっかりしてる」
ネヘミヤが口元を押さえて瞬いた。ワイアットも少し驚いたような目で雪江を見下ろす。
ユマラテアドの生活の手引きに、職業別給料ランキングなるものがあったのだ。ユマラテアドでは何処の国でも初等教育後、直ぐに専門分野に分かれ学ぶ制度になっている。専門学校の教師は分野別で給料に開きがあるため平均値で計算してあったが、結構な上位に食い込んでいた。知識人は厚遇されるらしく、アルグスコフ王国では決して安い職業ではない。
女は高いというので雪江としてはふっかけた方だと思ったが、どうも違ったらしい。
「でもいいの? そうすると多分用意しようとしてた金額より大分落ちるんじゃないかな」
「ではこれを基本給として、売り上げに繋がったら上乗せしてください。スキルアップが目的なんですから、そこは成功報酬でいいと思います」
「繋がったらって、それ私の自己判断だよね? 実地見せられないんだから簡単に誤魔化せるよ?」
ネヘミヤがひどく驚いた顔をした。
「売り上げアップ分の何割と決めてもいいですが、それだと因果関係のない報酬が発生するおそれがあります。何が売り上げに繋がったのかはそれこそネヘミヤさんとお客様にしか判らないことですから、ネヘミヤさんを信用するしかないと思ってます」
雪江は考えながら話し、妥当だろうと頷く。
そもそも教職と捉えるなら、成功報酬自体がおかしいのだ。希望の大学や就職先に合格したからといって、更なる謝礼を払う制度は雪江の育った国にはない。ネヘミヤ任せだから貰えるとは限らないが、これも一種のふっかけだと雪江は思う。今は少しでもお金が欲しい、でも不当には稼ぎたくない。雪江にできる、ぎりぎりのふっかけである。
「うわもうなんなのユキエちゃん格好良い抱き締めてもいい?」
「駄目だ」
ネヘミヤが感極まったように両腕を広げ間にあるテーブルを乗り越えようとすると、すかさずワイアットがテーブルを蹴り押して阻止した。
「いった!」
「おい!」
「ワイアットさん!」
ネヘミヤが打ち付けた向こう脛を押さえて長椅子に蹲る。ギャビンと雪江が抗議の声を上げたが、ワイアットは冷ややかだ。
「過度な接触の禁止、店側の用意したものの飲食禁止、うちの護衛の同席、日の高いうちに帰すことが条件だ」
「わかった、呑むから商品に傷をつけるな。賠償金積んでもらうぞ」
ギャビンがテーブルを横に蹴り出し、その大きな体でネヘミヤを隠すように立った。
「ユキエに何かあったら命を貰う」
立ち上がったワイアットとギャビンの殺気立った睨み合いに、当事者である筈の雪江が口を挟めない。雪江が助けを求めるように護衛達を振り仰ごうとした矢先、雪江の前にエアロンが立ち、コスタスがギャビンを牽制する位置に、ナレシュが出入り口を確保する位置についていた。
「大丈夫。うち儲かってるから警備すんごい厳重だよ。何なら見ていっていいよ!」
痛みから復活したネヘミヤが、空気を読まない明るさでギャビンの影から顔を出し睨み合いに割り込んだ。
「そうさせてもらおう」
ワイアットはそれが当然の権利であるかのように頷いた。