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条約の花嫁  作者: 十々木 とと
番外編
107/114

護衛の恋(1)弁えている男


 エアロンにとって三度目のアラベラ家への滞在は、羊が出産し、秋に種を播いた小麦が青々と背を伸ばしている時期だった。


 アラベラはエアロン達雪江の護衛にあまり注意を払わない。いないものとして扱う時もある。彼女が護衛を嫌っているということではない。護衛の扱いとは本来そういうものなのだ。女性が幼い頃から刷り込まれるこの扱いは、他ならぬ彼女達の心を守る為のものである。だから彼女達からの感謝や好意といった見返りを期待してはいけない。何も返ってこなかったとしても嘆く必要はない。それは心を守れている証拠である。彼女達の安寧を以って喜びとせよと寄宿学校では教えられた。疑っていたわけではないが、それは正しい教えだと、エアロンは雪江の護衛になって再認識するに至った。

 エアロンは雪江に何かを注意喚起する時、同時にテラテオス事情を聞き出すようにしていた。だから雪江自身の首を絞めると解っていても、護衛達との関わり方を改めるのは難しいのだと理解しているつもりだ。彼女は聡い。護衛が人質になり得る危険性を話した時、覚悟を迫るまでもなく既に選択を終えていた程に。だが、聡さだけでは染み付いているものをねじ伏せることも、彼女自身の心を守ることもできないのだ。


「ナレシュさん。夜は眠るって約束しましたよね」


 エアロンは雪江の硬い声を聞きながら複雑な心境を押し殺す。深夜だった。雪江は寝室前でナレシュを相手に眉を吊り上げている。彼女はナレシュが不寝番をしている事を怒っていた。

 アラベラ家では、スカイラー家での主不在時のような宿直当番は置かないと取り決めをしている。休暇を取らないのだから、睡眠くらいはたっぷりとるよう雪江にお願いされたのだ。三人とも様々なことを考慮した上で聞き入れたが、ナレシュは度々これを破る。ナレシュは雪江を、自分の生に意義を与えてくれる存在を失うのが恐いのだ。エアロンにはその気持ちが解る。取り成すべく二人の間に入りに行ったコスタスも、おそらく新人の頃はその不安を持て余していただろう。ナレシュはそれを飼い慣らす術を、まだ身につけていないだけだ。


「毎日部屋を交替するとか、対策とってるじゃないですか。一度ならず二度までも…だいたい、二日連続ってなんですか。今は若さで乗り切れてるかもしれませんが、体に悪いことに変わりありませんからね? 人間には過労死というものがあるんですよ?」


 雪江が怒っても全く迫力がない。ナレシュは顔を両手で覆った。口から飛び出て来そうなものを堪えるように上向く。


「幸せ…」


 寝不足も相まってか堪えきれてなかった。


「過労死が!?」


 雪江は驚愕して二の句が継げない。コスタスは無表情を装いながら半端に吹き出した。


「えーとですね、多分ほっとくのが一番です」

「…いえあの、か、過労死が幸せって……幸せはそりゃ、人それぞれですけど…流石にちょっと……どう解釈したら…」

「いやそれは置いておいて。そのうち落ち着きますから」


 動揺する雪江を宥めるようにコスタスが両手をゆっくり上下する。


「そんな適当な感じでいいやつですか…?」

「ナレシュはこんなでも優先順位は間違えませんし、自分の限界は弁えていますよ。信用してやってください」

「信用云々じゃなくて……その、精神状態とか」


 雪江は心配そうにナレシュを窺っている。ナレシュは顔は下ろしたものの、覆っている手はまだそのままだ。


「大丈夫なのかい、あれ」


 いつの間にか自室から顔を出していたアラベラがエアロンの隣までやってきて、呆れたように叱られて喜ぶナレシュを目線で示す。


「大丈夫ではないかもしれませんね」


 エアロンは苦笑いを返す。ナレシュの雪江に向ける好意は、飽くまで護衛対象へのものだ。やや逸脱して見えるのは手を取り合うことのない、別の次元の存在に向ける崇拝じみたものだからだろう。だからこそあんなに素直に表現できるもので、コスタスも特に咎めたりはしていない。だが本人が公言している通り、雪江以外の護衛対象を持つのは難しいかもしれない。護衛として成熟する前に、感謝や労りを向けられる充足を覚えてしまったのだ。


「奥様は不本意でしょうが、護衛殺しですよ」


 雪江は解っていない。護衛達の歪な生を。それは彼女に限ったことではない。当事者にならなければ解りようがないのだから、それはいいのだ。ただ、だからなのだろう、エアロンはいとも簡単に恋心を認められてしまった。お陰で駄目だと思うから余分に苦しかったのだと知るに至り、想うことを許すだけで気持ちが少し楽になった。


「ふぅん。まああんた達も人の子だからねぇ」


 何気ないアラベラの一言にエアロンはひやりとする。同じ人間だと認めたような台詞だったからだ。そう簡単に幼い頃から養ってきた認識が覆るとは思わないが、彼女が苦しむ方向に改めて欲しくはなかった。何故ならこの先、アラベラに護衛が必要にならないとは限らないからだ。例えば歳と共に体力の衰えが見え始めた時。元部下達との絆がどういったものかは判らないが、邪心を抱かないとも限らない。そうでなくとも村に新参者が増えた時や、村の子供達が成長して彼女を組み伏せられる体格と腕力を身につけた時には、状況が変わっているだろう。その時に備えて彼女は夫を持ち、護衛を雇うべきなのだ。


「ユキエ。自己管理できないならクビんなるだけなんだから、ほっときな」


 アラベラはエアロンの胸中など気に留める様子もなく雪江に言葉を投げ、自室に戻った。エアロンはその護衛に対する素っ気なさに安堵する。アラベラの護衛ではなくなったからなのか、再会を果たしてからは以前はなかった親しみらしきものを感じることもあるのだが、基本的なものは変わっていないのだ。






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