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条約の花嫁  作者: 十々木 とと
番外編
106/114

頼しきはエルネスタ


 劇団メテオルドゥスのケスクス劇場公演を観て以来、雪江は監修の仕事に金銭以上の遣り甲斐を感じていた。関わるのは極一部とはいえ、目に見える形で成果が確認できるとわかりやすく自信になる。時には自分の感覚が多くの女性に当てはまるものか悩んだり、脚色とのバランスに唸ったりしながらも、チャニングの他にも複数の脚本家から仕事を請け負うようになっていた。そうなるとトコ・プルウィットの待合席を占拠する日が増える。特定の劇団に属さない監修者の噂は瞬く間に広まり、ホールデン夫妻を通さず直接トコ・プルウィットに雪江を訪ねてくる者も出始めて、店本来の利用客の足が遠のく心配が出てきた。

 安い集合住宅の一室を仕事部屋として借りたいが、女性が単身で居を構えるような奇行は人々の耳目を集める。複数の男性が出入りする様で違法な商売を邪推され、素行の悪い者を呼び寄せる可能性も高いとルクレティアにもネヘミヤにも反対されていた。事情を言って回るわけにもいかないから誤解はされるだろう。今までは雪江が通っても不自然のない女性用の店であったからこそ、そういった問題と無縁でいられたのだ。

 ワイアットにも当然反対されている。雪江の故郷では警官による店の立ち寄りで犯罪抑止を行なっていたことを思い出した。


「憲兵隊の巡回中に立ち寄ってもらうのは……博打だから駄目、だよね…?」

「下心のある奴が率先して回ってくるだろうな」


 駄目だろうと思いはしたが、危険度が上乗せされた頷きに溜息が出る。その後も暫く話し合ったが良い案は出ず、雪江は居間の長椅子の上で膝を抱えていた。


「庭に専用のガゼボを作るか」


 ワイアットはティーポットにお茶のお代わりを用意し、膝に顔を埋めて唸っている雪江の頭を慰めるように撫でた。雪江は驚いて顔を上げる。

 一度は家庭菜園を行うことも考えたが、長期演習の度に家を空けることになったので実行には至っていなかった。洗濯物を干す以外はワイアットや護衛達が鍛錬に使う程度だから、小さなものならガゼボを作っても支障はない。


「いいの? 住所教えることになっちゃうけど」

「家に入れなければ良い」


 ワイアットにしては不用意な気がして、雪江は首を傾げた。


「片方だけなら意味が弱くなるの?」

「なんの話だ」

「女性が自分で自宅に招き入れて住所と間取りを教えたら、いざって時には私を此処から連れ去ってっていうメッセージになるんだって。次の夫になる準備をしておいて、ってことらしいんだけど」

「そんなことが罷り通っているのか」


 ワイアットは眉を顰める。ネヘミヤも自宅に招き入れることは色気のある話としか思っていなかったくらいだから、男女間の事柄に疎い彼が知らなくても不思議ではない。雪江も最近になってマダム・プルウィットから教えてもらったのだ。護衛から夫に筒抜けなのではと思ったが、女性自ら次の夫を求めているのであれば護衛は不干渉で、秘しても契約違反には当たらないのだそうだ。


「すまん、撤回する」


 ワイアットは暫く黙考して、溜息混じりに首を振った。

 妻帯者の家が集まった区画だから近所迷惑にもなりかねない。複数の男性が頻繁に出入りすると安心を脅かし苦情が舞い込むだろうから雪江も頷いて、そうすると完全に行き詰ってしまった。



 暫くは新規の紹介を見送ってもらうべく、雪江はケスクス劇場に足を運んだ。関係者入り口の警備員とはもう顔馴染みで、挨拶をするだけで中に通してくれるようになっていた。雪江が訪れると途端に場が浮ついた気配になるのだが、この日はそれとはまた別種の落ち着きのなさがあった。ワイアットがいないと見るや接触を図ろうとしていた面々が、今日は別のことに気を取られているようだ。代わりにいつもは遠巻きにしている若い役者が寄ってきた。


「何かあったんですか?」


 間が悪かったのなら出直すべきかと雪江が問うたら、役者はよくぞ聞いてくれましたとばかりに声を弾ませる。


「王都で公演することになったんですよ!」


 演目は『ハンナの結婚』という三年程前から定期的に公演しているもので、評判が王族の耳に入りドゥブラ伯を通じてお声掛りがあったのだという。


「凄いですね! おめでとうございます!」


 喜びよりも、驚きの色の濃い祝福が口をついて出た。王都までは馬車で二十日、場合によってはそれ以上かかると聞いたことがある。王家のお膝元で公演する名誉がどれほどのものか雪江には実感はわかないが、道中山賊が出ることも考えると大事だ。


「それで今、役者の選考が行われているんです。エルナさんの手が空くまで僕の楽屋でもてなすように」

「言ってないよ」


 エルネスタの声が割り込んで、役者がひゅっと背筋を伸ばした。


「あははすみません僕の勘違いだったみたいです。それではまた次の機会にでも!」


 素早く逃げる役者を横目で見ながらエルネスタが近づいてくる。


「毎度煩わせて悪いね」

「いえ、王都公演おめでとうございます」

「ああ、聞いたんだね」

「はい。でもごめんなさい、悲劇はあまり好きじゃないのでハンナの結婚はまだ観てないんです。やっぱり一度は観るべきですよね」


 長く親しまれている演目なのは知っていたが、雪江はなかなか観ようという気になれないでいた。代表作と言えるようなものを観ていないことに申し訳なく思いながら白状すると、エルネスタは片手を振った。


「いい、いい。あんなの女が観るもんじゃないよ」


 ぞんざいな言い様に雪江の目が丸くなる。エルネスタは女性も楽しめる内容を目指している筈だ。


「エルナさんが関わっていない作品なんですか?」

「いいや。殆ど私が作った話なんだけどさ。あれはあんたが愛されないのはあんたの所為だ、あんたらが女を殺すんだって男どもへの糾弾なんだよ。がつんと強烈なのをお見舞いしてやりたくてね。だから女が観たって辛いだけの話」


 隠されたメッセージが随分尖ってた。雪江は心持ち怯む。


「で、でも王都に呼ばれるくらい人気なんですよね…?」

「三度の結婚で酷い仕打ちを受けて、男なんてもう嫌だ、この世に求める愛はないって絶望して自死する女の話だよ。観たいかい?」


 救いの無さに閉口して、正直になっていいものか迷いつつも雪江は首を振った。そうだろうとエルネスタが頷く。


「どういうわけか変な人気の出方しちゃったんだよね。お陰でこうしてもっと多くの男どもが観ることになったわけだけど……略奪婚に勢いつけちゃってさ。酷い結婚から抜け出せる機会を増やせたとでも思えばいいのかね」


 略奪婚の手法が手荒で適切ではないのだと、王都公演を喜びつつも複雑な心境のようだった。

 エルネスタが不在になるならば丁度良い話だと本日訪れた用件を告げると、居残り組だから紹介は通常通りできるという。演目は多少減るが、二つに分けても公演可能な大所帯なのだ。ハンナの結婚に選ばれなくても他の演目で穴の開く主要な役を得られる機会とあって、全体的に落ち着きがなかったようだ。


「もっと早く相談してくれたらよかったのに」


 雪江の用件については、拍子抜けするほどあっさりと解決策が示された。


「楽屋使えるようにするから待ってな」

「え、でもそれは」


 雪江は慌てた。自分は関係者ではないからと、一番初めに除外したことだ。


「いいから任せときな。王族の耳に入る程なんだよ? 私の功績は支配人だって無視できるもんじゃないからね。後継だって言や、無下にはできないさ」


 何をどう交渉したのか、二日後には関係者入り口に一番近い楽屋が雪江に貸し出されることになった。使用料を払うことにはなったが、後援会の参加費程度の額だ。集合住宅とは比べるまでもない破格の安さである。


「エルナさん、後光がさしてます」


 雪江は眩しげに目を細め、エルネスタが愉快そうに笑った。






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