表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
条約の花嫁  作者: 十々木 とと
番外編
104/114

(休暇計画4で気を利かせられた人)


 夕食後の居間は人が徐々に減る。雪江が寝室に引き上げれば護衛達も自然と引き上げるのだが、その時間が早まり、いつもは最後までいるハイラムもいなかった。そんな日が増えれば、二人の時間を作ってくれている事は察する。明確に言われたわけではないのでお礼も言えないが、その機会はありがたく使わせてもらい、エアロンは長椅子に座り肘掛け椅子に座るアラベラと向かい合っていた。


「気を遣ってもらっちまったね」

「面目も立ちません」

「あたしも言いたいこと腹に溜められんのは気分悪いから、いいんだけどさ。で?」


 早々と本題を促すアラベラに、エアロンは苦笑いをしてしまう。アラベラは前置きの気遣いをさせてくれない。


「子供は…いつから」

「生まれつきだよ。知ったのは結婚して三年目くらいだったかな、孕む気配がなくて怪しいってんで検査受けさせられたんだよ。魔法医呼んだことあったろ。あれだよ」


 エアロン達護衛が解雇された時期と重なる。その後再婚の話も次の夫からの求人の話もなく、彼女の消息が全く掴めなかったから、当時は急死したのだと思ったものだ。魔法医が帰った後、アラベラの顔色が悪かったのは死に関わる病気が判明した所為だったのだと。だから彼女との再会がどれ程の衝撃だったことか。その身の上も考えられる範疇を超えていて、雪江のことがなかったら冷静でいられたかは判らない。余程のことがあった、そう思う以外に想像を巡らせる気にはなれなかった。もう会うこともないだろうから、エアロンはそれでいいと思っていたのだ。

 だが思いがけずまた顔を合わせる機会を得て、子供の話を聞けば一つの可能性を考えずにはいられなかった。あの時の魔法医はもしや、と。その考えが当たってしまえば更に思考は加速し、事実をつなぎ合わせて答えを導き出してしまう。

 当時のアラベラの夫が子供目当てだったことは知っている。気持ちもそれほど通い合っているようには見えなかった。病を知って離縁したのだとしても不思議に思わなかった程だ。そして子を産めない女性が大歓迎され、大金を出す場所が一つだけある。


「…では」


 呆然とした呟きはつい出ただけの独り言だ。


「まあ売られたよね、娼館に」


 エアロンは訊いたつもりではなかった。だが本人が当然の帰結とばかりに口にした。


「だからあんた達に落ち度があったわけじゃないんだよ。説明してやれなくて悪かったね」


 アラベラは解雇理由を知らされていなくて、それを気にしていたと思っているようだ。エアロン達は理由を離縁と告げられていたから、そういう意味では気に病んでいない。訂正の気遣いもできず、エアロンは顔を両手で覆い、力を失う上体を肘で膝に支える。


「…力になれず、申し訳ありませんでした」


 絞り出す声が掠れた。アラベラが苦笑いのような呼気を漏らすのが聞こえる。


「過ぎた事だよ。もう何年も前の話だろ」


 世間話のような調子で話せるほど、彼女の中では気持ちの整理がついていることなのだ。それでもエアロンには今知った事実で、それだけ生々しい。


「ですが…」


 悔恨と自責と、憤りと哀しみと。一度に押し寄せる感情の波を御しきれず、呻きとなって表れる。


「あんたにゃどうすることもできない事だっただろうが」


 呆れた声がエアロンの胸に刺さる。事実だけに痛みも深かった。既に解雇されていて察知できる状況にはなかった。何より雇用主は夫で、夫婦の事情を相談される立場でもない。きっと彼女はエアロンに助けを求めることなど思いつきもしなかっただろう。


「ああもう鬱陶しいね。これでも呑んで忘れちまいな」


 ドン、と重い音がしてエアロンが顔を上げると、テーブルに広口瓶が乗っていた。すっかり赤みの抜けたトマトが数個、透明な液体に浸かって見える。


「今年はトマト漬けてみたんだけどさ、これがなかなかいけるんだよ」


 二人分のグラスを用意するアラベラは声が弾んで機嫌が良い。

 辛い思いをしたのは彼女で、乗り越えたのだろうことを蒸し返すことに意味はない。少なくとも彼女の前で悔やみ、悲しむ権利はエアロンにはないのだ。エアロンは荒れている気持ちを無理矢理押し込め、歪みそうになる表情を殺してグラスを見た。

 アラベラは自分のものは水で割り、エアロンにはストレートで出している。


「あんたのは割ってやらない。そのまま呑みな。あたしの気分を害した罰だよ。明日のユキエの警護はあたしが代わってやるから、安心して潰れるんだね」


 アラベラは意地の悪い笑み方をした。

 エアロンは職務優先のため、寄宿学校の卒業時以来酒を口にしたことはない。その時呑んだのも少量だったから、自分の適量は判らないままだ。護衛である限り、呑む気はなかった。だが彼女は謝罪は欲していない。だから罰だと言うなら受けねばならない。グラスを持ち上げると、アルコール度数の高さを思わせるきつい香りが鼻腔を強く刺激した。


「警護は譲りません」


 罰という名の気遣いを受けて立つ。エアロンは意識して口角を上げた。






 翌朝エアロンはいつも通りの時間に起きて、これだから護衛ってやつは、とアラベラに嫌な顔をされた。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ