10. 納得いかない
飲み屋や賭博場、娼館から成る歓楽街は明るい時間帯でもどこか猥雑な空気が漂っている。道ゆく人の中には開店前の気怠さを伴っている者がいたり、どことなく倦んだ空気を纏い、カモでも探しているような後ろ暗い職種を匂わせる者が混じっていた。
大きな道を外れて一本脇道に入っただけで風体の良くない者達に絡まれそうな雰囲気の中、雪江は当然のように片腕で抱き上げられていた。ワイアットは雪江の靴を認識できない。きっともうそう思うしかないのだ。雪江は諦念の眼差しになっている。
「旦那様、並んで歩いた方が人目を引きません。腕でも組めば同伴出勤みたいで紛れられますよ」
コスタスの助言で漸く雪江の足が地面についた。腕を組まされるが、絶対に紛れられていない自信が雪江にはある。足元まで隠すフード付きローブをワイアットがまた態々買ってきて、フードを目深に被らされているのだ。ちらほらと同伴出勤らしき一団とすれ違うが、護衛を連れている者はいても、雪江のように人目から隠れるような格好をしている者は一人もいない。
ワイアットはいくつもある娼館のうち、一際大きくて修繕の行き届いた建物の裏手へと迷いなく雪江を導いた。
「この辺、詳しいんですか?」
健康な成人男性だ。責めることではないが、雪江は気になってさりげなく聞いてしまう。
「隊の奴等に一番後ろ暗いところがなさそうな店を聞いた」
本部では情報収集もしていたようだ。
裏口を叩くと直ぐに扉が開いた。一目で職種が分かる筋骨隆々の強面が立っている。頭髪は綺麗に剃り落とされていて、口から顎にかけて短く整えられた黒い髭を蓄えている。ワイアットより体の厚みがあって大人の拳一つ分背が高い。
その大男は不躾にじろじろと一行を見遣り、仁王立ちで威圧するように顎を逸らして見下ろした。
「何の用だ。そいつを売りに来たのか?」
大男がワイアットの腕にくっついている雪江を目で示すと、ワイアットが剣呑に双眸を細めた。雪江は不穏な空気を感じ取って慌てて腕を解き、二人の間に立つ。フードを背に落として見上げると、大男の顎髭と喉仏が見えた。大男は恐いが、威圧感のある二人の間で何かあるともっと恐ろしいことになる予感がして、雪江を早口にさせた。
「違うんです。公娼のお世話をする仕事があるって聞いて、お話を伺いにきたんです。此方では募集していませんか?」
大男の片眉が上がった。
「お前、本物の女か?」
大男の太い指が雪江の顎にかかろうとした瞬間、背後からワイアットが叩き落とした。
「触るな」
「あぁあああお兄さんごめんなさい! ワイアットさん善処するって言いましたよね!?」
「適切に対処している」
「そうだけどそうじゃなくて!? 門前払いされちゃうじゃないですか!」
雪江はワイアットの腹部を両手でぐいぐい押しながら大男を振り返る。
「ごめんなさい、この人ちょっと過保護で!」
「まぁ本物の女ならそんなもんだろ」
にやりと笑った大男に、雪江はほっと息を吐く。
「仕事はあるが、本物じゃなきゃ意味がねぇ。検めさせてもらうがいいか?」
「え、検めるって、体」
雪江に押されたくらいでは一歩も動いていないワイアットが、有無を言わせず雪江を抱き上げた。
「邪魔したな」
「いやいやいやいや、待って! 待ってワイアットさん! まだ何にも訊いてないのに!」
「十分だ。他の男に見せてまで仕事をする必要がどこにある」
「そこは見せなくても済むように交渉を! するんです!」
不快極まったワイアットは取りつく島もない。既に歩き出している。
「待ちなよ旦那! その娘と話したい、私ならいいだろ」
頭上から声がして見上げると、二階の窓から髪の長い人影が顔を出していた。
波打つ豪奢な金髪に化粧をしているように見えないのに白い肌、萌黄色の大きな目に優美な弧を描く眉、形の良い鼻にふっくらした唇は血色が良い。美人だ。基本的に女はいないことになっているから男の筈だが紛うことなき美女に見える。
雪江が呆けていると、一度は立ち止まったワイアットが直ぐに歩を再開した。雪江は慌ててワイアットの肩を叩く。
「止まって! お願い止まって、止まってくれたらえっと、ええっと…あ! ちゃんとおねだりするから! あの、…あれ! あれが欲しい! そうだ髪飾り! 買ってくれたら凄く嬉しい! 喜ぶ! めちゃくちゃ喜ぶし毎日つける! だからお願い止まって!」
ワイアットが止まった。後に続こうとしていた護衛の一人が吹き出した。ナレシュだ。コスタスは辛うじて堪えたが口端が少し引きつるように歪んだ。エアロンは周辺警戒の素振りで目を他所にやり遣り過ごしている。二階の美人が代わりに大笑いした。
「あっは! なんだそれ! あんた旦那に何も買わせてやってないの? 男の楽しみとっちゃ駄目だよ! 寂しいだろ!」
「た、楽しみって……そういうものですか…?」
「そういうもの! ギャビン、その娘本物だよ、全っ然男心解ってないもん!」
腹を抱えて笑いながら美人は保証した。どうやら検めなくても本物の女認定を受けたようだ。雪江はちっとも嬉しくなかったが。雪江だって全てを賄ってもらっている状況でなければ、親しい間柄ならちゃんと贈り物を喜べるのだ。関係性の問題なのだ。少し恨めしげに美人を見上げる。
ギャビンと呼ばれた大男が顎をしゃくった。
「剥かねぇから入んな」




