日が昇る前に
夜が明けたら、学校に行かなければならない。
跳び箱のテストはあるし、給食は嫌いな八宝菜だし、隣の子は下らない自慢ばかりしてくるし、方言も分からない。
転校してから、嫌なことばっかり。パパが転勤族でなければ、こんな目に遭わなくて済んだのに。
あぁ、このまま、朝が来なければいいのになぁ……
*
ルナルナルルル
ヨナヨナヨヨヨ
よるのくにまで
おこしなさいな
*
さっきまで社宅のベッドの中にいたと信じて疑わなかったのに、気が付いたらテーマパークのような場所に居た。
「ここは……?」
「あっ、気が付いた!」
「キャー!」
「待って、待って! 僕とはぐれたら、元の世界に帰れなくなるよ!」
「えっ?」
そう言われて、立ち止まって振り返ると、そこには人畜無害そうな男の人がいた。肩の上には、金色の眼をした黒猫が乗っている。
「あなたは?」
「僕は、夜の国の水先案内人、星乃森ヨルツキ。こっちの黒猫は、ナイト」
『どうぞ、よろしく』
「猫が、喋った!」
『猫が喋るわけないだろ。おいらは使い魔だ。一緒にするな』
「コラコラ。拗ねるんじゃないよ、ナイト」
立腹したナイトくんを宥めたあと、ヨルツキさんは夜の国について説明してくれた。
要点をまとめると、ここは満月の夜のまま時間が止まっている場所で、いつまで居ても歳を取らず、学校や会社に行く必要も無く、病気にもならないのだという。
そして、ヨルツキさんの仕事は、わたしみたいに迷い込んできたお客さんに国の中を案内して、無事に元の世界に帰すことなのだそうだ。爽やかな笑顔、丁寧な言葉遣い、洗練された身振り。これで、背中にコウモリのような羽根が無ければなぁ……
「急いで帰る必要は無いよ。面白いところがいっぱいあるから、目いっぱい楽しんでほしいんだ。でも、途中で帰りたくなったら、いつでも言ってね。すぐにゲートへ案内するから。ここまでは、良いかい?」
「えぇ、なんとか」
「それじゃあ、最初はギンガウサギのパレードを見に行こっか」
「ギンガ、ウサギ?」
『ギンギラギンのメタリックな見た目をしたウサギのことだ。言っとくけど、お前らの世界のウサギとは別物だからな』
「はいはい、ナイト。よくできました~」
『フシャーッ! 気安く撫でるんじゃねぇ!』
夜の国は、とても楽しい場所だった。
ギンガウサギは可愛かったし、そのあとも、流れ星で作ったというスターダスト・キャンディーを食べたり、三日月の形をしたゴンドラに乗って舟唄を聞きながら水路を巡ったり、ニジイロホタルたちが織りなす七色のイルミネーションを見たりした。
このままこの国に居たら、日常の嫌なことをしなくて済むのかなぁとも思ったんだけど、いつまで経っても朝が来ないせいか、だんだん不安になってきた。
「ねぇ、ヨルツキさん」
「何かな? 歩くのが嫌になったのなら、トラムもあるよ」
「ううん、そうじゃないの。ここに居たら、わたしは、ずっと子供のままなのかなぁと思って」
『何を当たり前のことを言ってやがんだ! 最初に説明したじゃねぇか』
「まぁまぁ、ナイト」
「それとね。わたしがここに居るあいだ、元の世界に居るパパやママは、わたしのことを、どう思ってるのかも気になって……」
心細い胸の内を明かすと、ヨルツキさんは困ったように眉をハの字に下げながら、こう言った。
「えーっとね。滅多に無いことなんだけど、すべてのスポットを巡って案内を終えたあと、それでも帰りたくない場合には、永住パスポートを渡すことになってるんだ」
「それって、どういうこと?」
「残酷なことを言うようだけど、君が居た元の世界から、その人の存在がきれいサッパリ消えることになる」
「えっ……。つまり、仮にわたしが、いつまでも帰りたくないといって夜の国に残り続けたら、大人になれないまま、パパやママからも忘れられてしまうってこと?」
「うん。ゴメンね。ショックだったでしょ?」
あまりにも強い衝撃を受けたせいで、その後しばらくは頭が真っ白になっていた。
*
ルナルナルルル
ヨナヨナヨヨヨ
もとのせかいへ
おかえりなさい
*
再び意識が戻ったとき、わたしは社宅の子供部屋にいた。
カーテンを開けると、眩しい朝日が差し込んできた。その瞬間、元の世界へ帰ってきたんだと実感した。
「おはよう、ママ!」
「おはよう、ユミコ。今朝は、やけに機嫌が良いわね」
「えへへ。面白い夢を見ちゃったの」
「あら、そう。それは、良かったわね」
学校に行けば、体育も給食もあるし、クラスメイトが変わってるということもない。
嫌なことばかりだけど、それでも、わたしは大人になりたいから、こっちの世界のほうが良い。
ヨルツキさん、ナイトくん。
わたしに、大事なものを思い出させてくれて、ありがとう。