カワセミ
洞窟は島の奥にひっそりと存在していた。
入口は苔やツタで覆われており、まるで中に引き込もうとするように急な斜面が続いている。
「意外と奥行きがありそうですね」
無人島特有の静けさに圧倒されたのか、葉月さんが小声で言った。
月光の入らない深部は墨をこぼしたような暗がりで、一見行き止まりにみえる。
けれど、天井から水の滴り落ちる音が大きく反響していて、この洞窟がそれなりの広さと高さを有していることがうかがえた。
洞窟の中に足を踏み入れた葉月さんは、大きな岩の一つに私を座らせて、外に目を向けた。
何か迷うような素振りを見せたあと、今度は洞窟の奥に視線を移す。
「やはり水と火は必要ですね」
独り言のように呟いてから、ようやく私の方を向いた。
「結奈さん。少しばかり一人にしてもよろしいですか?」
「……え?」
予想外のことを言われて、思わず言葉を失った。
一人って、なんだっけ?葉月さんと遠くまで離れること?それは全然よろしくないですよ!?
唖然とする私に気遣わしげな顔をしつつ、「もちろん先ほどのこともありますし、結界はきちんと張りますよ」と間髪入れずに言った。
いつだって私の気持ちを優先してくれる彼にしては珍しく、引き下がるつもりはないようだ。
今の葉月さんは薬師モードの葉月さんだ。
一人だと怖くて死にそう、いや間違いなく死ぬ、くらいの理由でなければ聞き入れてはもらえない。
私は強ばる顔に笑顔を張りつけて、頷いた。
「葉月さんの結界があるのなら大丈夫です。それに、長い間休ませてもらったおかげで、だいぶ復活しましたし」
半分嘘で、半分ホント。
たしかに、ずっと葉月さんに運んでもらっていたので酸欠による症状は治まってきた。
とはいえ、泥沼に浸かったような重ったるい疲労感は残っている。
例えるのなら、プールの授業直後の古典。
それも、滑舌が悪くて聞き取りづらいおじいちゃん先生の授業だ。
あの時間の疲労感を何十倍も濃くした感じ、そういえばわかりやすいだろうか。
つまり、もし何らかのトラブルが発生したら、俊敏に動ける自信がないのだ。
大丈夫と言っておきながら、どんどん不安になってくる。
私が悶々としている間に、葉月さんは結界を張る準備をしていた。
ためらいなく暗い洞窟の奥へ足を踏み入れ、平たい石の上に泥を乗せて戻ってきた。
そのまま入口の右端にかがみ、先程の泥を用いて手頃な岩に何やら書き込む。
それが済むと、左側にも同じことをする。
そして、その二つの岩を結ぶように、横に一本の線を引いて地面に手をついた。
静寂に溶け込むほどの静かな声が、微かに聞こえてきた。
(これって……祝詞?いや、祓詞かな、この場合)
神事の際に唱えるものと少し似ている。
旅館の浴衣を着ていることも手伝って、葉月さんが神主に見えてきた。
そう長くない詞とともに、松葉色の神力が一層輝きを増す。
ゆらゆら、ゆらゆら。
柔らかに波打つそれは、徐々に入口を包み込み、やがて凪いだ水面のごとくピンと張った。
洞窟の空気が一瞬にして澄み渡り、神聖な空間と化す。
私の視線に気づいた葉月さんが、はにかみながら口を開いた。
「御札がないと、このようにいちいち儀式を行わなければならないのです」
葉月さんが説明しながら結界をくぐり、手早く奥の湧き水で手を清める。
一連の流れをぼんやりと眺めつつ、私は先ほどの儀式の様子を思い起こした。
「さっきの儀式、現世の神事と似ていましたけど、何か関係があるんですか?」
そう尋ねると、「おや」という顔をされる。
「さすが、鋭いですね。ええ、結奈さんの言うとおり、霊狐一族の使う術は神道と深く関わりがあります。詳しく説明するとなると平安の頃まで遡る必要があるので、今はお教えできませんが……」
私のそばに寄りつつ、葉月さんが言った。
(わぁ、あとで説明してくれるのか。大丈夫かな。私、歴史の授業だけは居眠り常習犯だったんだよね)
万が一寝てしまったらと思うとゾッとする。
怒られはしないだろうけれど、呆れられそう。
それは嫌だ。
「では、そろそろ行ってきますが、その前に……」
ごそごそと袖の下を探りつつ、葉月さんが私の背後に回った。
「あの、葉月さん……?」
振り向こうとした私の肩に、制止するように手が置かれる。
「前を向いて」
柔らかな声で囁かれ、私は大人しく姿勢を正した。
そうしてしまうと、後は葉月さんが良いと言うまで正面の壁を見つめるのみ。
湿気が多いせいか、岩肌が黒く艶めいていた。
(それにしても……葉月さんの狐火って、あまり熱くないのね。丁度いいというか、むしろ温いというか)
ふよふよと私の周りを飛び回る、深緑の火の玉を目で追う。
全体的に緑というよりは、青い炎の核があって、それを神力でコーティングしたような見た目だ。
ぼんやりと火の玉を見つめていると、ふいに胸元辺りがひんやりとした。
驚いて視線を下げると、そこには狐火とそっくりな色合いの、水滴型の宝石が輝いていた。
それが何なのか理解して、私は慌てて振り返る。
「葉月さん、これって!」
なぜ。いつの間に。色々な感情が込み上げてきてら喉元がきゅぅっと締め付けられた。
「やはり。よくお似合いですね」
昨日と同じ言葉を口にして、彼は小さく笑う。
そう。この宝石は、昨日の小さな雑貨屋さんで見つけた、あの翡翠のペンダントだった。




