先回りと抜け道
「これは一体どういう事ですか? 」
几帳の布を握りしめ、タウフィークは唸るような声色で聞いた。
「これ」を示すその先は、相変わらずのもぬけの殻。
居て当たり前とばかり思っていた神様は、最初からこの場に居なかったのだ。
では何処に。
タウフィークは、その問いの答えを知っているであろう政府の面々を見回した。
「これは一体、どういう事ですか」
もう一度問う。
けれど、先程までの口達者は何処へやら、政府は誰も口を開かなかった。
まるで悪戯がバレたときの子供のようで嘆かわしい。
けれど、そんな彼らを嘲笑できないほど、状況は緊迫していた。
彼らを睨みつけながら、タウフィークは焦りに歯を食いしばる。
(いつからこの状態だった? くそっ! 全く気がつかなかった)
元々、神様と民が顔を合わせることは滅多にない。
葉月は呪印を賜るために対面したらしいが、良い思い出ではない故に多くを語ることは無かった。
神屋敷の護衛を務める我々アルミラージでさえ、一生に一度会うか会わないかという確率だ。
直接顔を合わせることのない神様の不在など、簡単に気づけるはずない。
さて、これからどうするべきか。
タウフィークとハサンは視線を合わせて、お互いの考えを探った。
(……アイツも俺と同じ考えか)
小さく頷いて了解の意を示すと、タウフィークはしっかりと政府を見据えた。
「目的は分かりませんが、この状況を作り出した犯人が誰なのかは良くわかりました。その上で、我々アルミラージ一族はこの事を公言しません。公にしたところで、常世中がパニックに陥るだけですから。ですが──」
いずれ全てを暴いやりますよ。
そう口にしたとき、ついに彼らは顔色を変えた。
弧を描いていた口元は歪み、見下すような目付きは大きく揺れている。
そして、そんな動揺を隠すように、政府の一人が声を荒らげた。
「タウフィーク副族長! 我々はこの国の束ね役だぞ。それがどういうことか、賢いあなたならわかるはずだ。無駄な詮索をすることで、一族を危険にさらしたくはないだろう? 」
言いたいことは瞬時に理解した。
政府はアルミラージ一族を含め、この国の全種族を指揮する。
そんな彼らと真っ向から敵対すれば、その時点でアウト。族が壊滅させられてしまうだろう。
そう、あの霊狐一族のように。
「分かっております。ええ、それはもう、骨の髄まで」
舞台俳優のように恭しく一礼し、タウフィークはまっすぐ出口へと歩き出した。
警戒心を露にして睨みつけてくる彼らをいなし、ハサンと共に屋敷を出る。
そうして報告を終え、アルミラージの屋敷に戻った二人を待ち構えていたのは、頭を垂れて悔しそうな表情を浮かべる二番隊の面々だった。
何事かと驚くハサンに対して、タウフィークは別段驚かなかった。
今回の騒動の犯人が誰か。
そして何のために動いているのか。
粗方予測がついているからだ。
二番隊隊長のウダイは、タウフィークの来訪に気づくと、酷く申し訳なさそうな顔で片膝をついた。
他の隊士もそれを見習えば、ウダイは事態の顛末について話し始めた。
「副族長とハサンが去った後、俺たちの元に男がやって来た。そいつは政府の者だと名乗り、そして捕らえた者を解放しろと命じてきた。それも、神の署名が入った免状と共に。お前の指示に背くような形になってしまってすまない」
固く握りしめられた拳を見つつ、タウフィークは首を振った。
「いいや、お前の判断は正しかったよ。政府の免状は、神から下された命令と同等の力を持つ。もし拒否すれば、今頃どうなっていたか分からないからな」
その言葉の裏側には、政府へのたしかな警戒心が潜んでおり、ウダイは何かを察した顔つきで、しかと頷いた。
「それで、次はどうする? 」
二人のやり取りを黙って見ていたハサンが、タウフィークに尋ねる。
その問いに答えようと口を開いたとき。
「待て、タウフィーク」
ずしりと響く低い声に、すぐさまタウフィークとハサンは片膝を折った。
跪いた彼らの元へ来たのは、アルミラージの族長であり、タウフィークの実父であるヘイダルだ。
黒光りする角と耳。
頼もしい体躯を隊服で包み、炎のように赤い瞳は、威厳と自信に満ち溢れいる。
隊士達を見回して、ヘイダルは口を開いた。
「単刀直入に言おう。先程、政府からの通達が来た」
「……内容は? 」
政府と聞いて身構えるタウフィークに、ヘイダルは読めない表情を向ける。
「今回の事件は政府が扱うため、以後アルミラージの一切の捜査を禁ずる、だそうだ。大層お怒りのようだったが……タウフィーク。政府がこのような措置をとった原因は、全てお前にある。違うか」
鋭く己を責める声に、しかしタウフィークは動じない。
厳しい態度と口調の底に、何かを目論む気配がしたからだ。
「その通りです、父上」
父、ヘイダルの問いに、タウフィークは答える。
タウフィークの返答に頷いた族長は、声高らかにこう告げた。
「お前一人の行ないのせいで、我々の政府からの信頼は失墜してしまった。その責任を取るため、お前には無期限の謹慎を言い渡す。良いな」
「はい、謹んでお受けいたします」
深く頭を下げて、タウフィークは了解の意を示した。
話が終わり、隊士達が各々の持ち場に戻っていく。
その様子をぼんやりと眺めていると、すれ違いざまにヘイダルが囁いた。
「我々は政府の言うことに逆らえない。だが忘れるな。この国を守るのはアルミラージの仕事であって、政府の仕事ではないということを。タウフィーク、我が息子よ。この世界を頼んだぞ」
言葉だけを残して立ち去る父の、広い背中に向けて、タウフィークは「承知しました」と呟いた。
それから「ありがとう」という感謝の言葉も。
ヘイダルがタウフィークに与えた罰は、期限の伴わない謹慎処分。
傍から聞くと立派な罰だけれど、ヘイダルの本意が全く別のところにあるのを、タウフィークは良く知っていた。
「おい、タウフィーク。これからどうするんだ? 」
そんなハサンの問いに、タウフィークはニヤリと笑って見せた。
「奴らの駒を奪ってくるよ。キングは所詮、逃げることしか出来ないからな」
「そうか。無傷で、とは言わない。でも、必ず生きて帰ってこいよ、我らが副族長殿」
「あぁ、分かっているよ。俺には見届けなくてはならない恋路があるからな」
そう言って、タウフィークは背を向けて歩き出した。
その翌日、桃源郷の空は雲で覆い尽くされた。
それが先触れとも知らず、世界の崩壊はひっそりと、しかし着実に迫ってきていた。