盗まれた機密文書
常世に異変が起こる前夜。
とある屋敷の保管庫にいたタウフィークは、目の前の惨状に長嘆息した。
怪我を負わされたアルミラージ達、散乱する大量の書物、争った際に付いた刀痕。
何者かがこの屋敷に侵入し、あるものを盗んで逃走した。
本来なら窃盗事件として扱うはずなのだが、盗まれたものが訳あり故に、タウフィークは事の始末を考えあぐねていた。
「すみません、副族長。侵入者を逃がしてしまって」
怪我の手当を受けていたアルミラージの一人が、タウフィークに気づいて顔を上げた。
溜息の原因が自分の失態だと思ったのだろう。
タウフィークは軽く頭を振って、彼らと目線を合わせるために膝を折った。
「いいや。お前たち5番隊を倒して行ったとなると、かなりの手練だったんだろう。後のことは任せて、お前たちはしっかりと療養していろ。これは長丁場になるかもしれない」
「はい。できるだけ早く戻れるよう、精進します」
休む気のなさそうな5番隊の面々に苦笑しつつ、タウフィークは立ち上がった。
運ばれていく隊士達を見届けていると、タウフィークの隣に白兎が並んだ。
族一の剣技を誇る男、ハサンだ。
1番隊を率いる、族長の右腕のような存在である。
「よりにもよって、神様が住むこの屋敷に侵入するとはな。これは、政府からのお叱り必須だぞ」
その言葉に苦い顔をして、タウフィークはハサンを睨んだ。
「他人事じゃないだろ。5番隊の隊長が動けない今、その報告に同行するのはお前だぞ、1番隊の隊長さん」
「分かっている。報告の際に使う情報を得るために、俺はここへ来たんだからな」
そう肩を竦ませて、ハサンは部屋を見渡した。
神の住むこの屋敷には、国のあらゆる情報が集められる。
中には国一つ潰せる程の内容もあり、アルミラージ一族は24時間365日、交代で見張りを務めてきた。
そのお陰か、これまで一度もこの保管庫に侵入を許したことは無かった。
だからこそ、この事態を予測する者など、誰一人としていなかったのだ。
「盗まれたものは機密文書だった」
床に散らばった古書をかき集めながら、タウフィークは言った。
「霊狐一族の月結びについて書かれている文書だ」
「月結び? 聞いたことがないな」
首を傾げるハサンに、タウフィークは小さく頷く。
「俺も詳しくは知らない。常世と現世を行き来する唯一の術。知っているのはそれだけだ」
「……常世と現世は行き来できないんじゃなかったのか? 俺はそう習ったぞ」
そう言って、ハサンは疑わしそうに眉を寄せた。
しかし、その反応は間違いではない。
なぜなら、月結びの術は秘術として扱われ、ごく一部の妖にしか伝えられていないからだ。
「とにかく、その術についての文書をピンポイントで盗んだんだ。何か意味があるはず。だけど……一体なんのために? 何に使うんだ?」
手を顎に添えて、タウフィークは目を細めた。
例えその文書に術の方法が書いてあったとしても、霊狐一族にしか扱えぬそれに、何の利益があるというのか。
(アイツなら分かるんだろうか。術に詳しいアイツなら……)
2日前に現世へと旅立った、義理の弟の姿が頭をよぎる。
霊狐一族の唯一の生き残りで、術を扱うことに長けている男だ。
加えて慧眼の持ち主である。
彼が今ここにいれば、何かしら気づくことがあるのでないか。
そう思えてならない。
「犯人の特徴は?」
深く考え込んでいるタウフィークに、ハサンは尋ねた。
「フードを被っていて、顔は視認できなかったらしい。神力は青。だが、それだけで特定はできないだろうな」
「……相手の攻撃手段は?」
再び投げかけられた問いに、タウフィークは静かに顔を伏せた。
「……術のようなものを使っていたらしい」
一瞬の空白ののち、ハサンは大きく目を見開いた。
「術だと!? そんな……そんなの有り得ない。だって、術を使える者は限られているんだ。犯人が容易に絞り込めてしまう。こんな大きな事件を起こした犯人が、そんなヘマをすると思うか?」
黄泉と桃源郷の二つを合わせて数えても、術使いはほんの四、五十人ほどしか居ない。
その中から犯人を割り出すことは、そこまで難しくはない。
霊狐一族や術との関係性を洗い出せば一瞬だ。
──だが。
タウフィークは再びため息をついた。
自分の知りえない所で何かが起きていると、そう予感したのだ。
「おかしいとは思っているさ。だけど、5番隊からの報告として上がっているのは事実だ。侵入者が片手を上げた途端、見えない何かに身を引き裂かれた、と。実際、アイツらの受けた傷は鋭利な爪に引っ掻かれたような、そんな傷だった」
最後の方で言葉に力が入る。
職業上、怪我をすることは日常茶飯事だが、やはり仲間が傷つけられることは許せない。
そんなタウフィークの気持ちを察してか、ハサンは背を向けて歩き出した。
「とりあえず、犯人を追っている2番隊と合流するぞ」
素っ気なく言い置いて、長い廊下へと歩を進める。
残されたタウフィークは、怒りのこもった拳を壁に叩きつけた。
敵への怒りと、何も出来ない己への怒り。
それらがグルグルとタウフィークの心を巡る。
しばらくして、タウフィークはジンと痛む手を下ろした。
「絶対に捕まえてやる」
そう呟いた彼の目は、真っ直ぐ前を見据えていた。
素敵紳士こと、タウフィークさん!
お久しぶりの登場です。
時系列が分かりにくくてすみません( T^T )
今回の話は、一作目の閑話『守り屋の朝』の夜に起こったお話です。
あと三話ほどタウフィークさん側の話になります。皆様、少々お付き合いお願いします!
次回、【謎の組織】