第五章 Ⅱ
放課後の実技場。その片隅に、救難活動部の面々は体操着姿で集合していた。その前方には、四つのカラーコーンが長方形の頂点を成す形に置かれている。その全周は二十メートル程か。光理をはじめ部員達は、二人一組になっていた。ただ一人、一也だけがダミー人形を携えている。
「それでは、順番を確認するわね。まず一番手が城田君で二番手が植阪さん。三番手は私で行くから」
「はい!」
一年生達が大きな声で返答する。
「それでは城田君、位置について」
一つ頷くと、一也は一番近いカラーコーンの横に、頭が自分を向くようダミー人形を俯せに寝かせた。
「良いわね?よーい、スタート!」
右手のストップウォッチが押される。と同時に、一也はダミー人形の両脇に腕を通し立ち上がらせた。そして見る間に両肩に寝そべる様に担ぎ上げた。腕と脚は彼を跨ぐ様な形になる。ファイアーマンズキャリーなどと呼ばれる、負傷者等の搬送方法だった。ダミー人形は五十キロ近い重量があり、設定次第で性別や体型等も変化させられる。今は標準体型の男性だった(さすがに重量は変えられないが)。さて、大変なのはここからだった。一度背負い直した一也は、一番手前のカラーコーンに自由な右手でタッチすると、早足で歩き始めた。二番目、三番目と、次々とカラーコーンをタッチし、一番目に戻ってくると澄玲とタッチした。麻寿美がダミー人形の様に寝そべり、澄玲が苦労しつつ彼女を肩に担ぎ上げ、一也と同様に、しかしよたよたと周回し始める。戻って来た時には、危うく麻寿美を落としかけた。三番手の光理はといえば、こちらは手慣れたもので亜矢を手早く担ぎ上げ、一也に迫るか、というペースで戻って来た。ストップウォッチを押す。
「三分三十八秒四四。悪くないわね。やっぱり城田君は早いわ。要救助者を担ぎ上げるのも、搬送も」
少々息を切らせながらも、光理はそう評価した。
「五分の休憩のあと、入れ替わってね。城田君は…」
チラリ、亜矢を見て小さく首を振る。彼女に彼を担ぐのは難しいだろう。
「周崎さんはダミー人形でお願いね。城田君、悪いけれど、今度は私を担いでくれる?」
光理の言葉に、一也を除く三人が驚きの表情を作る。担がれるとなれば、当然彼の両肩に胸や、微妙な部分が密着する事になるのだ。もちろん、光理がその事を理解していない、などという事はない筈だ。当然羞恥心はあるだろうが、それをも越える、それは先輩としての使命感の為せる業か?
「判りました」
こちらは何も理解していないだろう一也が、一つ頷いた。
休憩時間が終わり、二本目が始まった。今度は亜矢にダミー人形、麻寿美に澄玲、一也に光理、という順番、組み合わせとなった。
「それでは、よーい、スタート!」
光理の声と共に、亜矢は俯せのダミー人形を担ぎ上げようとする。が、なかなかに苦戦した。一也の三倍以上はたっぷり時間をかけ担ぎ上げるが、今度はなかなか足が前に出ない。そろそろと左足を踏み出そうとして、前へつんのめりそうになる。
「あ」
光理が声を出した時には、一也が動いていた。亜矢の背後からダミー人形を両腕で抱え込み引き離した。彼女はへたり込んだ。光理が傍らに中腰になる。ストップウォッチは止めてあった。
「もう良いわ、休んでいて。もっと基礎体力をつけてからにしましょう」
右肩を優しく叩くと立ち上がらせ、右横のボルダリングの壁の前まで誘導する。亜矢はその場に蹲ってしまった。
「タイムは計測しないわ、スタートして」
一つ頷くと、麻寿美は休み休み澄玲を担ぎ上げ始めた。幼馴染みを両肩の上に一歩ずつ、踏みしめる様に歩き始める。カラーコーンに寄り掛かる様にして小休止しつつ、どうにか一周した。アンカーの一也は、ダミー人形と遜色ないスピードで光理を担ぎ上げる。と、光理は瞬く間に自分の体が火照り始めるのを感じた。彼の体温を感じる、というより、もっと体の芯の方から熱は生成されている様な。あるいは、それは密かな自慢の胸や、下腹部に近い部分が肩に触れているからか?彼女の面がみるみる紅潮し始める。彼が足早に歩き始めると、揺れによる微妙な刺激も加わり、息が荒くなってゆく。部活中に自分は何を感じているのか?一周を終え、腰を下ろした一也は光理を仰向けに、優しく下ろした。すうっ、と火照りが引いてゆくのが判る。しかし、光理の体には力が入らない。紅潮も引かず息もなかなか落ち着かない。と。彼女の視界に一也の顔が割り込んでくる。
「どうかしましたか?」
いつまでも立ち上がってこない光理の顔を覗き込んでくる。彼女は咄嗟に両手で面を覆った。
「いや、何でもないから!」
慌てて立ち上がりかけ、よろける。その背中を、一也の右手が支えた。
「大丈夫ですか?」
間近に一也の顔が。再び両手で面を隠し、彼女は一也から身を引いた。
「だ、大丈夫!ちょっと疲れただけ!」
「そうですか」
そう答え一也が一つ頷いたとき。耳障りな笑い声が沸き起こった。五人の視線は、一斉に声の聴こえてくる実技場の奥側へと向けられた。
「学園ものラブコメ?真面目に部活動しないと、廃部にされちゃいますよ!」
笑い声をかみ殺し、声を掛けてきたのは唯だった。特待生三人組は、生徒用P.E.を装着し六メートほど離れた三番目のコーンの所に立っている。三人ともバイザーを上げていた。三和は一歩引いた所で不安げに視線を彷徨わせていた。
「貴女達は?私達は、真面目に部活動をしているのだけれど」
今度は別の理由で面を紅潮させた光理が問う。
「朱雀院さん、井波さん、高宮さん、です。一年の特待生の」
一也が紹介する。
「ああ。貴女達こそ、油を売っていて良いのかしら?」
「小休止です。実戦射撃部は、特待生なら一年からでも模擬機動戦にも参加出来ますので」
得意げに飛鳥。なるほど、見れば三人はバックパックを装着していた。
「おたく達もP.E.を使用するんですよね?体操服で部員担いで、男子といちゃいちゃ、って、一体何の部です?」
唯は尚もおかしげだった。
「これも立派な部活動の一部よ。生身であろうと、私達には身に付けなければならない知識や技術が色々とあるの」
さすがの光理も、ムッ、となって反論する。
「それはご立派な事ですね。ですが、ここは実技場ですよ?P.E.を用いない活動なら、他でなされては?」
皮肉っぽく飛鳥が会話に加わった。
「貴女達も装着前に柔軟やランニングぐらいするでしょう?P.E.を装着するのは、あくまで活動の一部だから」
「活動の一部?ああ、あの壁登りですね?」
飛鳥がその壁を指さす。
「それも一部よ。何か問題が?」
光理の表情が険しくなってゆく。
「何なの貴女達!?人の部活動にケチつけるつもり!?」
澄玲もいきり立つ。
「ケチ?とんでもない!ただ、P.E.なのにプラズマスラスタも装着しないで、奇妙だとは思いましたけれど」
警察の山岳救助隊でもプラズマスラスタを使用する事はあるが、大気の薄い高度で使用する事が多いため出力が不足気味となり、思う様に活動出来ない事も多い。また背後に要救助者を背負う事も多く、プラズマスラスタは使い勝手が良いとは言えなかった。自然、VTOL機よりラペリングにより降下、捜索、救助活動等を行なったのち回収地点で拾って貰う、というのが主流となる。P.E.は万能ではない、というのが光理が先輩から教わった現実の一つだった。
「それは、貴女達が山岳救助の現実を知らないから!」
「そうですね。余り興味も御座いませんし」
飛鳥の言い草に、遂に光理も爆発しそうになった、その時。
「そうか、興味がないならあっちへ行けばどうだ?」
不意に一也が口を開いた。この言い草には、飛鳥の方がムッ、となる。
「あら、随分とつれないこと」
「興味がないのだろう?ならばこれ以上の会話は時間の無駄だと思うが?」
「そんな事を言うの?仮にも特待生がこんな地味な部を選ぶなんて、と気に掛けてさしあげているのよ?それとも、私達と比較されるのが嫌だから、かしら?」
「?なるほど。比較するべくもないか」
「あら、素直なのね」
飛鳥が勝ち誇った様な笑みを浮かべた。
「ふむ。貴女達では、少なくともB.E.適合値に関する限り、我に手が届かぬレベルと見受けられる。実技に関しては判らないが」
彼の言葉が逆の意味だった事に、飛鳥は色めき立った。
「何ですって!?」
「そもそも、我には貴女達と植阪さん達の差異が判らない。特待生という以上、優秀なのだろうが」
彼が意図した訳ではなかったが、その言葉の後半は完全に嫌味、皮肉だった。
「…あらあら、もしかして貴方は、私達が特待生と勘違いしている一般生、だとでも言いたいのかしら?」
声こそ平静を保っているが、飛鳥の声と体は小刻みに震えていた。
「そうは言っていない。ただ」
「随分と舐めたこと言われちゃった!これ、聞かなかった事に出来ます!?」
唯がわざとらしく煽る。二人の背後でおろおろしていた三和は。
「朱雀院さん、高宮さん、もう小休止終了ですから」
彼女のそんな制止をかき消す、新たな声が被さってくる。
「要するに、一足早く特待生同士の挨拶を済ませたい、という訳でしょう?」
言いつつ前に出たのは河澄だった。
「挨拶、とは何でしょうか?」
一也は素直に訊ねた。
「判らない?毎学期末競技会があるでしょう?一年生の一学期は特待生同士のエキシビジョンマッチとなるけれど、それをこの場で行なったらどうという提案よ」
「この場で?」
「そうね。まぁ、準備もあるし今日という訳にはゆかないから、今度の水曜日、二十五日でどうかしら?私は実戦射撃部の顧問だから、その活動の一環という事で下路さんには話しておくけれど?」
意地の悪そうな笑顔を終始その面に張り付かせ、河澄が提案する。視線を向けられた光理は。
「…判りました」
頷かざるを得なかった。
「そう。貴方は?プラズマスラスタを使用する事になると思うけれど、大丈夫?」
今度は一也に視線を移し。彼にしてみれば、学校のバックパックをいち早く使用出来る好機だった。
「大変嬉しいです。楽しみにしています」
とてもそうとは思えない表情で答えた。それは強がりとも取れただろう。河澄は満面の笑みを浮かべた。
「そう。それは良かったわ。水曜日の放課後、楽しみにしているわ。貴女達も、そろそろ戻りなさい」
飛鳥達に言い置き、戻って行く。飛鳥は今一度一也を一瞥すると口元を歪めて笑い、唯と共に顧問の後を追った。
「…本当に、ご免なさい」
一人残った三和は小さく呟くと頭を下げ、二人に続いた。
「何なの、あれ?」
怒り、というより呆れた様に澄玲。
「他の部活動を、侮辱するなんて、非常識です」
麻寿美も静かに、しかし怒りを露わにする。亜矢は白けた様に飛鳥達を見送った。
「城田君」
不意に、光理が背後から呼び掛けてきた。
「はい」
一也が振り返ると、光理はその両肩をガシッ、と掴んだ。彼女の表情には、鬼気迫るものがあった。
「判っている?君は、自分は彼女達より優秀だ、と表明したのよ?だったら、それを証明して見せなければならないわ」
「そうですか?」
自分はB.E.適合値に関してしか口にしていないが、と一也は少々違和感を感じた。技量に関しては、実際に相対してみないと判らないだろう。
「そうよ。だから、水曜日は遠慮しないでね。私が知る限り、貴方ほど洗練されたイクイッパは少なくとも二年、三年にも見当たらないわ」
「そうですか。楽しみです」
「そうそう。その調子よ!」
一也の両肩が一度、強く叩かれた。もちろん痛みを感じはしなかったが。




