第四章 Ⅷ
翌日の月曜日、一也と亜矢は厄介な状況に立たされた。前日の件で、警察の訪問を受けたのだ。大型バスのカメラには、二人の姿が残っていた。実害はなかったとしても、運転手は交通妨害として警察に通報せざるを得なかった。警察では、年格好から日本中の中学、高校相当の学校、そのサーバに向け照会要請を投げ、その結果二人がヒットした、という訳だった。昼過ぎ、二人のノートパッドに放課後、担当と共に進路指導室に来るようメッセージが送られた。進路指導室には、校長と共に男女二人のスーツ姿の警察関係者が、口の字型に配置された長テーブルの廊下側に着席して待っていた。女性の方は、一也を見て少し驚いた様子だった。その対面、担任の傍らに腰を下ろした二人は、事情聴取として訊ねられるままにこんな話をした。
買い物をしようと池袋に出た亜矢は、見知らぬ中年男性に声を掛けられた。無視すると乱暴に、彼女に絡んできたので振り解こうとすると、殺すぞ、と脅された。恐怖に頭が真っ白になってしまった彼女は、誘導されるままにラブホテル街について行ってしまった。しかし、ホテルに連れ込まれるその手前で、二人に気付き後をつけてきた一也が声を掛け、隙を見て亜矢は逃げ出した。半ば錯乱状態に陥っていた彼女は、心配をして追ってきた一也を中年男性と勘違いし、更に逃げ出した。彼を巻くため交差点を駆け抜けようとして転倒、危険を察知した一也が、身を挺して大型バスの前に立ちはだかった…。
このシナリオは、こういう状況をも想定し、主に亜矢の発案で練ったものだった。たとえ防犯カメラ等に二人の姿が捉えられていても、極力辻褄が合う様に。警察関係者達は、ところどころ突っ込んで話を聞いていたが、特に不審感は抱いていない様子だった。その様な遣り取りを、校長は上手から左右に両者を見較べつつ黙って聞いていた。
「と、それじゃあ、この辺で。いや、今回の件は実害もなかったし君達が咎められる事はないと思うけれど、これも手続き上必要な事でね。あの場に留まっていてくれたら、また違ったんだろうね。まぁ、城田さん、君の行為も緊急避難措置として認められるけれど、どうしてああいう事を?危険だと躊躇しなかった?」
やんわりと不満を挟みながらも満足げに男性が、ノートパッドを置き一也に笑顔を向け問うと。
「…まだ動き始めたばかりだったので。あの短時間で、周崎さんを救うにはあれしかなかったと思っています」
あの大型バスの運動エネルギーを吸収しきれるか、彼には確信などなかった。もっと速度が出ていたら、同じ結果となったかは判らない。
「そうか!いやぁ、最初、君がこの学校の生徒だとは、どうしても思えなかったんだよ!この学校には、女子しか入れないと思っていたからね。もし君が卒業したら、是非とも警察に来て欲しいな!君の様に冷静かつ勇敢な若者は大歓迎だよ!」
饒舌な男性の隣で、二十代半ばらしき女性は、一也をチラチラと、まるで見えない似顔絵と見較べている様に視線を上下させていた。
「それでは、この辺で退散するとしますか!さぁ」
女性の方を向きつつ男性が立ち上がると、女性も少し遅れ立ち上がる。
「ご苦労様でした」
諒平に合わせ、一也達四人も立ち上がる。五人は頭を下げた。
「いえ、こちらこそ!時間を取らせました」
会釈しつつノートパッドを鞄に収めた二人は、進路指導室を出て行った。部屋を出る直前、女性は一也を一瞥し、扉の向こうへ姿を消した。二人分の足音を扉の向こうに聴きつつ、少し経ってから。
「さて、こちらはもう少し腰を据えて話をしようか」
言いつつ諒平は着席した。四人もそれに倣う。
「さて、周崎さん。貴女の話を聞かせて貰ったが、事実と少々異なる点があると、私は考えているのだ」
見る間に周崎の表情が引き攣れてゆく。一也は彼女を睥睨した。二人の教師は、眉根一つ動かさない。
「…」
「今日の午前中、当校にとあるメッセージが送られてきた。複数のサーバを経由し差出人は判らなかったが、当校の生徒として相応しくない仕事を貴女がしていると、告発する内容だった。本当かな?」
諒平の言葉は穏やかだったが、逆にそれが不気味ですらあった。亜矢は全てを諦めた様な表情になった。
「どうかね?」
「…はい」
「君は、この仕事について届け出ていなかった様だね?」
「はい」
「うむ」
重い溜息を一つ。息苦しくなる様な沈黙が落ちてくる。それを破ったのは一也だった。いきなり挙手する。諒平はそちらに顔を向けた。
「何かあるのかね。城田君?」
「その事に関して、周崎さんと同意した取り決めがあるのですが」
「ふむ。取り決めとは、何かな?」
諒平の双眸に興味の色が浮かぶ。当校唯一の男子が何を言い出すのか、と。
「はい。彼女は二つの条件を了承する代わり、私が経済的支援を与える、というものです」
「ふむ、その条件とは?」
「一つは、この仕事を辞める事。もう一つは、定期考査の前には勉強会に参加する事、です」
「なるほど…しかし、学校側としては、それは了承しかねるな。古今東西を問わず、金銭の授受というものは人間関係を歪める主因の一つでね。まして学生同士で、というのは問題があると言わざるを得ない」
「しかし、彼女には金銭が必要だそうです」
「それは判るよ。そうだな。では一つ、学校側から提案をしたいのだが」
じっ、と一也を見詰める。
「何でしょうか?」
「ふむ。君は、当校が特待生の為に奨励金を積み立てているのは承知しているね?」
「はい」
学校アプリの『特待生』の項に記述があった。諒平は満足げに頷いた。
「宜しい。良ければ、特別に一つ、その枠を用意しよう。ただし積み立てるのは君だ。毎月一定額が君の口座から積み立てられ、卒業時、最悪で退学時にもその枠から積立金が支払われる。もちろん特待生になれればそちらの枠も新設される。さて、特別枠だが、存続の条件を考えなければならないな。城田君が経済的に余裕がなくなれば停止せざるを得ないだろうし、他に条件があり得るかも知れない。これでどうだろうか?」
言い終え一也に笑いかける。人好きのする笑顔だった。
「そこまでして頂く必要があるのでしょうか?」
面倒なのではないか、と一也が訊ねるが。
「これは当校側の譲歩と考えて欲しい。君達の交わした契約に関して、当校としては極力尊重したいのだ。それを、学校を仲介する事でトラブルが発生しない様に実現しよう、というのだよ」
オーバーなジェスチュアで、諒平は説明した。亜矢は白けた様な表情になった。
「なるほど。異存はありません。周崎さんは?」
一也から話を振られ、亜矢も小さく頷いた。
「退学にならなければ、何でも良いです」
「ふむ。君は、自分が退学に相当する様な行為をした、という自覚があるのかな?」
「いいえ。私はふしだらな行為などしていません」
危うくしかかったが、一也の出現で未遂に終わったのだ。
「なるほど。ならば、公的に違法性が確認されない限り、こちらとしては判断保留としよう。ただし、城田君と合意した通り、直ちにこの仕事を辞めること、良いね?」
「はい」
昨日のうちに、会社に登録抹消は通知してあった。週一回の仕事なので予約キャンセルの違約金等もなかった。満足げに諒平は何度か頷き、そして真顔になる。
「さて、私にはまだ問題がある様に見える。城田君の提案は、周崎さんにばかり有利だ。これでは不公平だと思わないかな?」
亜矢にしてみれば、勉強会への出席という条件が有利というのは心外だったが。
「私は別に」
言い掛けた一也を、首を振り諒平は遮った。
「君が良かったとしても、学校としては好ましくない。周崎さんには、更なる条件の付加を了承して貰わなければ。城田君、何かないかな?」
そう言われても、彼に望むものなど特にはない。いや、あるにはあった。
「部活動…」
「ん、何かな?」
「いえ。先日、救難活動部に入部したのですが、部活動に参加している部員数が少なく、活動実績を思う様に残せていません。部長の言では、このままでは廃部になりかねない、と」
「なるほど。では、どうだろうか、周崎さんに入部して貰う、という事では」
「え、でも、私は」
困惑顔の亜矢にまぁまぁ、という風に諒平は仕草をした。
「他にも仕事をしているのだね?しかし毎日、という訳ではないと思うが?その辺の融通は利くのではないかな?」
「部長に説明すれば大丈夫だと思います」
一也が亜矢の逃げ道を塞いでゆく。
「どうかな?」
それは諒平の最後通牒だった。亜矢に拒否出来る訳もなかった。
「…判りました」
浮かない顔で一つ頷く。諒平は満面の笑顔で頷き返した。
「宜しい!それでは木谷君と城田君以外は戻って結構だよ。特別枠の積み立て条件を決めなければね」
亜矢と担任は立ち上がり頭を下げた。諒平が一つ頷くと、二人は退室していった。彼は、一也の隣に移動した。
「さて、条件は慎重に決めなければ。一度決定すれば、君でも私でも独断で変更は出来ないからね」
「判りました」
「そうか!では、宜しく頼むよ」
諒平は一つ、一也の右肩をどやしつけたのだった。
亜矢が救難活動部入部手続きを、あの部屋で行なったのは水曜日の放課後だった。入部の経緯を簡単に聞いていた光理は、真面目に参加してくれるなら問題ない、と歓迎した。澄玲達の見守るなか、かなり気まずげに『入部』ボタンを押す亜矢だった。
「さぁ、これで周崎さんも部員ね。貴女の事情は聞いているから。出来れば週三日くらいはお願いね。私達と真剣に、楽しくやって行きましょう」
「これから一緒に頑張ろう?」
「宜しくね」
「…どうも」
澄玲と麻寿美が明るく声を掛けてくるのに、亜矢はつ、と、視線を逸らしつつ素っ気なく答える。
「周崎さんは勉強会にも参加する事になっている。期末試験を四人で乗り切ろう」
「んー、もう城田君は大丈夫じゃないかな?」
あくまで冗談のつもりで麻寿美は言ったのだが。
「そうか」
一也は一つ、頷いた。
「あっ、嘘嘘!これから四人で頑張りましょう!」
慌てて否定した麻寿美が、右腕を掲げ勢いで誤魔化した。この男子に冗談や嫌味は通じない、と改めて勉強させられた麻寿美だった。
「さて、それでは活動開始といきましょ。今日は呼吸法と蘇生法のおさらいね」
光理の一言で起立した四人。ただ一人着席したままの亜矢が、隣の一也の左手を取った。
「ん、何だ?」
見下ろしてくる一也から視線を外し、亜矢は光理を見た。
「あの、すいません。二人で、ちょっと話を」
「そう?判ったわ、出来るだけ早くね」
ダミー人形を澄玲と運ぼうとしていた光理が答える。三人は出て行った。一也は着席し直した。
「話とは何だ?」
そう訊ねてくる一也の顔を、疑う様な目で亜矢は見直した。
「何が、目的なの?」
「目的、とは?」
「とぼけてるの?」
「なぜ我がとぼけなければならない?貴女の質問の意味が判らない」
亜矢はじっと、一也の面を見詰めた。やがて小さく溜息をつき、口を開いた。
「…君は、私の為にお金を積み立てると言った。君の出した条件は、とても君の得になるとは思えない。何か、隠れた目的があるんじゃないの?」
「そうか?ただ、植阪さんが、心配していたのでな」
「うえちゃん…植阪さんが?」
「うえちゃん?ああ、そうか。そうだ、貴女の成績を気にしていた。このままでは退学になりかねない、と」
「そんな事で!?そんな事でお金を出すと!?」
人の成績を上から目線で心配されるのに苛立つ。
「そうだが?何か問題があるのか?」
事もなげな一也。亜矢はやはり、この男子の事が恐ろしくなった。何を考えているのか判らない。
「貴方…おかしいわよ。クラスメイトだって、赤の他人でしょ?まさか、金持ちの御曹司か何か?」
「いいや。さて、話が終わったなら行くぞ」
言って立ち上がると、さっさと出入口へと歩いてゆく。扉の前で、いったん亜矢を一瞥し問い掛けた。
「行かないのか?」
仕方ない、とばかりに溜息をつくと、亜矢は立ち上がった。実技場の更衣室(もちろん男女別で、部室に来る前に荷物は置いてある)に着くまで、二人は無言だった。




