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第四章 Ⅶ

 慌ただしく一週間が過ぎ、土曜日がやって来た。試験期間直前の土日を除き、朝霞基地通いを欠かさない一也だった。一日およそ四時間、午前と午後二時間ずつで内容は変わった。午前は主として機体の改修チェック。一週間のうちに機体に施されたハード、ソフト様々な改修点に対し、彼が装着してチェックを行なう。時に開発中の新製品、新装備のテストベッド機的な役割もこなす。その中には、車載用レールガンの試作バレル等もあった。

「これをP.A.W.W.に載せるつもりか?」

バンカーに置かれた、簡易的な砲台に載せられた戦車砲状のそれを前に、真面目に一也が問うと。

「今は無理だろうな。当面は、戦闘車に搭載しP.E.からの電力供給での稼働を目指すそうだ。まぁ、君以外にそれが可能なのかは大いに疑問だし、その運用コンセプトも理解しかねるが」

呆れ気味にナンシーが返答した。

 昼食休憩を挟み午後になると、運用試験という名の、機動歩兵部隊や他兵種との訓練になる。装甲車を仮想のバグスに見立てた戦術研究等にも参加する。彼の訓練参加は、第四一一機動歩兵大隊全体にも良い刺激となっている様だった。

「あー、今更だけれど自分の提案が悔やまれるわ」

小休止の時、スーザンがそんな事を言い出した。

「提案?」

一也が問うと、スーザンは彼をまじまじと見詰めた。

「そうよ。貴方を今の学校じゃなく、機動歩兵養成課程に推すべきだったと思うの!」

「いえ、少佐。イクイッパとしての具体的な経歴もない少年にそれは」

傍らの久音が、苦笑しつつ諫言すると。

「あら大尉、貴女そんな、役人みたいな事を言うの?私達には、一刻も早く優秀な人材が必要なの。現場は臨機応変に、でしょ?そんな役人の戯言みたいなものが必要なら、幾らでも手はあるんじゃないの?」

どうやら彼女は、経歴の捏造すら可とするつもりの様だった。久音はただ苦笑するよりなかった。この様な雰囲気で進む実質的な訓練の時間も、もちろん時給は発生していた。実戦形式の訓練に参加するとなれば、危険手当代わりの割増料金が発生する。時給は一万円を超えたが、支払うナンシー達(正確にはその雇用元だが)にしてもそれは二つの理由で安いものだった。一つは、実戦に近い貴重なデータが得られる事。また一つは、機体の良いデモンストレーションとなる事。ブラックオーガの制式化がなかったとしても(これほどクセの強い機体では、まず望むべくもない)、次に繋がる事が充分に期待出来た。そうして、新設された一也の銀行口座には、毎月末結構な金額が振り込まれる事となったが、使う機会も使う気もない彼にとっては正しく宝の持ち腐れだった。

 日曜日の昼下がり。一仕事終え東武線を降り改札をスルーして池袋駅構内を歩いていた一也は、人混みの中を並んで歩く男女に目を留めた。なぜなら、女性の方は亜矢だったから。その傍らには三十代半ばほどの男性。彼女が水を掛けた話し相手だった。もちろん一也がそれを知る筈もない。彼はニヤケながらやたらと馴れ馴れしげに亜矢に話し掛けるが、俯き加減の亜矢は殆ど反応しない。男性が左手を彼女の左肩に回すと、ビクリ、と体を震わせ離れようとする。しかし男性が耳元で何か囁くと、抵抗を諦めた様だった。二人の関係性は、圧倒的に男性の優勢なのが一目瞭然だった。彼女が働いており評判が芳しくない、とあやねが話していた事を思い出した一也は、学外の彼女に興味を抱いた。一体どの様な仕事をしているのか?彼は労働というものについて今ひとつ理解出来ていなかった。自分の持つスキルを提供する事によって対価(金銭)を得る、という事を、久音や紗智、裕や河澄、ナンシーやあやね等がみな行なっている(それぞれに必要なスキルや対価の額は異なるとしても)のがよく判らない。彼の、魔王としての労働に対する対価はこの転生という事になるだろうが、これは常軌を逸しており比較にならない。彼自身が余人を持って代え難いスキルの提供により対価を得ている、という感覚が乏しいのだ。彼女を観察する事で何かが判るかも知れないと、彼は考え追跡する事にした。二人の魔力、B.E.を識別出来る彼ならば、はぐれる筈もなかった。

 南口を出た二人は、なにやら怪しげな通りを進み始めた。特定の用途で使用される宿泊施設(一也にそんな知識がある筈もないが)が何軒も並ぶ一角。男性はチラチラとそれらを見較べ、ある一軒の入口前で立ち止まる。亜矢の肩を強く抱き、耳元で何やら囁く。彼女の表情に様々な感情が去来する様を暫く楽しんだあと、男性はもう一度囁いた。やがて、亜矢は殆ど判らないほどに小さく頷いた。男性は相好を崩して頷き返し、彼女を押す様に入口へと歩き始めた。彼女の仕事場はここか、と、一也は理解した(実際には全く違うのだが)。出来れば仕事について教えて貰えないものかと、数メートル離れて声を掛けた。

「スーさんはここで仕事をするのか?」

声のする方へと面を向けた亜矢の表情が、目まぐるしく変化した。驚愕、恥辱、そして憤怒。面中を紅潮させた彼女は、不意に男性を振り切った。不意討ちに、男性も虚を突かれ対処出来なかった。

「お、おい!」

もはや男性など眼中になく、一也へと小走りに近付く。彼の前で仁王立ちとなった。

「仕事ですって!?」

「そうではないのか?」

「!バカにしないで!」

右手を振り上げ、怒りにまかせ一也の左頬目掛け振り下ろす。彼は難なくスゥェーバックで回避した。体が半周する。すぐさま、首だけ巡らし彼を睨み付けた。

「避けないでよ!」

「なぜだ?」

全く彼女の行動を理解出来ない一也は真面目に問うた。間もなく彼女の双眸に涙が溜まりはじめ、男二人を置き去りに走り去った。何かあるのか、と、一也はその後を追った。

「おい、何だよ!」

更に一人残された男性は、急に周囲の様子に気付いた。道行く人々があるいは佇み、あるいは傍らを通り抜けながら、好奇や不審の視線を向けてきている事に。何やら囁き声さえ聞こえてくる。羞恥心がこみ上げてきた男性は、すごすごと駅へと向かった。

 不案内な道を、亜矢は闇雲に走った。でたらめに道を曲がる。一也の追跡に気付き、そうしなければ追い付かれると思った。勉強同様運動も得意とはいえないが、この時は不思議と走る事が出来た。もし計測していたならば、ちょっとした記録になっていたかも知れない。それでももう、呼吸が限界だった。狭い路地で足を止め、荒い呼吸を調える。全てが最悪だった。最悪な相手に、最悪な場面を見られてしまった。あの男子は、それを『仕事』と言った。きっと澄玲達に、自分が体を売る仕事をしていると言いふらす事だろう。自分が、それが間違いである事をどう主張しようと、今までの態度を思い返せば信じてはくれまい。学校の耳にも入れば、退学は間違いない。未だ充分な預金もなく、退寮させられればもはや自分に行く場所などない。家には決して帰らないと誓った。頼りなく細い足元の綱がプツリ、と途切れ、果てしなく転落してゆく様なイメージが浮かぶ。もはや、この世界に自分の居場所はない。ならば。ならば、いっそこの場で楽になった方が良いのではないか…彼女の思考は破滅への袋小路に突き進んでいった。周囲を見回してみる、が、使えそうな物はない。ふと、古い五階建てのビルに目が留まる。非常階段だろう、外付けの階段が屋上まで伸びていた。その入口には柵の扉があるが、鍵が掛かっていても乗り越えられない高さではない。ああ、あの高さなら。フラフラと、そちらへと歩き出す、と。

「一体どうしたのだ?」

ビクリ、となり、振り返ると。そこに息一つ切らさず一也が立っていた。彼は無機物を透過してB.E.を追跡出来るのだ、どれ程角を曲がろうと、さして障害とはなり得なかった。疲れ知らずの彼が追い付くのは物の道理だったろう。彼女にとって破滅をもたらす者の姿に、不意に、胸の底から恐怖が沸き起こった。あるいはそれは、彼の本性に直感的に気付いた、という事なのか?ほんのつい先程まで死を考えていたのが、その恐怖に耐えられなくなった。

「きゃあっ!」

短く悲鳴を上げ、彼女は道を走り出した。何を考える余裕もなく、ただ逃げ出したい一心で。一也も、彼女の行動の理由が判らないながらも、やがて再び追跡を再開した。

 細い路地を抜けると、大通りの交差点近くに出た。左右を見回し、咄嗟に亜矢は交差点の方へと右折した。この時代大通りの信号が設置された歩道には、信号と同期し歩行者の飛び出し抑止の為の鎖を張るポールが設置されている。赤信号になれば路面下に収納された鎖を、ポールの巻き上げ機が引き出すのだ。それは飛び出し抑止と同時に、万が一車輌が歩道に突入する事も防止するのだ。完全自動運転下にあっては、車輌のカーナビより指定された目的地に対して、区画分けされた交通管制システムが協同して、リアルタイムで情報を遣り取りしつつルーティングを行ない、車輌はそれによって決定されたルートを走行する。事故等によって道路が閉鎖されると、そこがルートに組み込まれていたりその道路上にある車輌等のリルーティング、退避等の処理が発生し、システム自体に大きな負荷が掛かる。それが生み出す遅延が更に事故を誘発する、などという可能性もありうるのだ。緊急避難警報発令などは、そのリスクの最たるものだ。発令直後から、交通管制システムはルーティング処理をはじめとする自動運転サービスを停止し、信号制御のみに専念する。だから、二輪や一部の特殊な車輌を除き、国民の殆どが中学校で簡単な運転教習を受講する事になっているのだ。

 信号は赤に変わろうとしていた。鎖が姿を現す。しかし、そんな事を気にしていられる彼女ではなかった。公道を走行出来る車輌ならば、全周をモニタ出来るだけのカメラを設置している筈で、それが捕捉した対象が、衝突の危険性があれば自動的にブレーキが掛かる仕組みになっている。信号が変わったばかりで速度が出ていなければ、上手く走り抜けられるだろう。彼女のその計算は、あながち無謀とも言えなかった。ただ不幸だったのは、彼女が運動が苦手だった事と、停止線の先頭で待っていたのが大型バスだった事だ。張られた鎖を軽やかに跳び越そうとした彼女の左の爪先が、鎖に引っ掛かってしまった。ヘッドスライディングする様に、彼女は車道に跳び出した。停止線からバンパーが突き出した大型バスは、しかし停車する事はなかった。前方の高い位置にあるカメラは、その死角に入った彼女を捉えられなかった。それは運転手(搭乗が義務付けられている)も同様で、辛うじて両手で顔面にダメージを追う事を回避した彼女は、しかし三秒と経たずバスに頭部を轢かれ、即死していただろう。疾風の如く、彼女の上を跳び越える一也の姿がなければ。

 一也はその一部始終を数メートル後方から観測していた。非常にまずい状況なのは一目瞭然だった。

『吸収、全身』

胸中で呟きつつ、三段跳びならぬ二段跳びで、一気に道路に躍り出る。突如目前に出現した彼にバスの急ブレーキが作動するが、もはや遅い。彼は右手をバスに向かい差し出した。彼の霊性外殻に触れたバスの運動エネルギーが悉く吸収される。しかしそれは、バス及びバス内に固定された物に関してのみで、運転手や乗客は慣性の影響を受ける。それでもまだ速度が出ていなかったのが幸いだった。転倒等による負傷者はなかったのだ。バス後続の車両も、即座に停止する。事故にはならなかった。

「何をしているのだ?」

その声に、彼女を咎める様な響きはなかった。恐る恐る、彼女が顔を上げると、無表情の一也が右手を差し出してきた。

「おい、君!」

運転席を降りてきた大型バスの運転手が、亜矢の姿に気付く。危うく自分の足元で彼女の命を奪いかけていた事に思い至り、絶句してしまう。一也は丁寧に会釈をした。と、視線を亜矢に戻す。

「立つのだ、ここを去る」

彼の視線に射竦められ、考える余地もなく彼女は手を取った。と、想像以上の力強さで立ち上がらされる。

「どこか、話の出来る場所はあるか?」

訊ねられ、観念した様に頷くと、亜矢は道を引き返していった。居合わせた人々が騒ぎ始めるなか、二人はまるで無関係とばかりにその場を離れたのだった。

 十数分後、二人は彼女が仕事で利用した事のある喫茶店に腰を落ち着けていた。二人掛けのテーブルに視線を据えつつ、向かいの一也の言葉を戦々恐々と待っていた。果たしてこの編入生は何を言い出すのか?金銭や、あるいは性交渉を要求されるのか?もしそうなら先程と何も変わらない。むしろバスに轢かれていた方がマシだったのかも知れない。やはり自分で…再び破滅の袋小路へと思考を驀進させる彼女をよそに、一也は適当にオーダーを済ませたタッチパネルを置き、彼女を見た。

「ふむ。さっきは仕事中だったか?そうならば悪い事をした」

言って頭を下げる。その言葉に、ホテルの前で声を掛けられた時の情景が甦る、その時の感情と共に。彼女は怒りに紅潮した面を上げた。

「仕事ですって、ふざけないで!」

思わず声が大きくなり、周囲の視線を集めたのに気付き、しゅん、となる。

「違うのか?」

「そうよ、あれは…脅されて」

「脅された?なぜだ?」

当然の質問。それに答えれば、自分の弱味を晒す事になる。しかし。今の自分は充分に惨めで窮地に陥っている。話そうと話すまいと、大した違いはない…彼女は覚悟を決めた。

「…私の仕事のせいよ。あ、でも、本当に、さっきみたいな事はしてないから!」

声量に気を付けながら、執拗に念を押す。一也は一つ、頷いたのみだった。

「その、私のしているバイトの中に、ちょっと特殊な接客業があって。登録している会社から派遣されて、他人の話を三十分程聞く、っていうもので」

言い切り、一也をチラリ、窺う。軽蔑する様な視線でも向けてくるかと思ったが。彼は相変わらずの無表情だった。彼女の告白の意味が、それがどういう仕事なのか判らないのだ。

「その仕事に、何か問題があるのか?」

その問いに暫しポカン、としたあと、亜矢は無理に笑顔を作り、首を振った。

「ううん、それ自体に問題はないわ。私の場合は絶対に!」

「そうか?では何が問題なのだ?」

「え?うーん、あのね、そういう仕事って、社会的に良く思われていない、って事かな?」

常識的な事を知らないのに少々驚きながら、亜矢が答える。

「そうなのか?」

「うん…仕事だから、私達はお金を貰って相手の話を聞くんだけれど、場合によって、その、別の提案をされる事があるの。もっとお金をあげるから、別の事をしないか、って」

「別の事、とは?」

「ええと、色々あると思う。私は絶対受けないけれど、ただ、こういうものの中には、違法なものもありうるのね。それが、登録している会社がやらせていたりした例が、過去に幾つもあったの。違法なんだから摘発されたのね。だから、そういう仕事には負のイメージがつきまとって、学校に知られたら、退学になりかねないの!」

テーブルの上に一粒、二粒、生温かい水滴が落ちる。涙で籠絡しようなどと言う狡猾さの代物ではない。そもそも、彼にそんなものは通用しない。

「そうか」

「あの人、私が話を聞いた人の一人で、なぜか私について良く知っていて。それで、学校に知らされたくなかったら、って…どうしたらいいの?」

頭を抱えてしまう。

「そうだな。その仕事は辞める事だ」

事もなげに言い放つ一也に、亜矢は腹が立った。

「!でも!私にはまだまだお金が必要なの!」

「そうなのか?それならば…ところで、その仕事はどれ程の時間でどれ程の収入があるのだ?」

「え。私の場合は、週一回三十分で八千円位だけれど」

会社側も同程度の金額を得ている筈だった。

「そうか。ならば、その金は我が出しても良い」

彼には使う予定のないアルバイトの給与が、その口座に積み上がってゆくのだ。欲しい物も特にない彼にとって(それを探す為に転生したともいえる)、現状唯一のお金の使い途となるだろう。

「え、本当?」

「ふむ。ただし、条件が二つある」

亜矢の面に、警戒の色が浮かぶ。何か、卑猥な事でもさせられるのではないか、と。

「…その条件、って?」

「そうだな。一つは、その仕事を辞める事。もう一つは、次の定期試験の勉強会に必ず出席する事」

二つ目の条件に、彼女は口を半開きにしたまま固まったのだった。


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