第四章 Ⅳ
「あぁー、不快だわ!」
ノートパッドを持つ左手を震わせながら、その生徒はきつめな眉を更に吊り上げ言葉を吐き出した。一年一組の空気が、その一言に冷気を帯びる。それほどクラスメイト達は、その生徒に気を遣っていた。かたや隣の一年二組では、一也達がほのぼのとした会話をしている頃だった。
「朱雀院さん、大きな声は出さない方が。皆さん、驚いていますよ?」
隣の席で試験結果を確認していた優しげな顔立ちの生徒が、困った様な微笑を浮かべつつ優しく注意した。教室内の生徒達の中には、チラチラと二人に冷ややかな視線を投げ掛けてくる者が散見された。
「だって!せっかく三和に勉強を付き合って貰ったのに、なのに、十位内に入れなかったのよ!?」
注意が効いたか声のトーンを落としつつ、そう訴えかけつつ目元にうっすら涙を溜めている生徒の名は朱雀院 飛鳥。一年一組の特待生の一人だった。
「でも十一位でしょう?充分ではありませんか?」
慰めの言葉を掛けるこちらは井波 三和。やはりこのクラスの特待生だった。本来ならばどちらかが一年二組に配置される筈だったが、ある事情から二人ともこのクラスで机を並べていた。
「お父様との約束なの!判るでしょう、お父様を落胆させたくないの!」
「それは判りますけれど…この十位の城田一也さんって、一年二組の特待生ですよね?」
「そうよ!男子のくせに、よりによってこの学校に入学したのよ!しかもよ!一ヶ月遅れのくせに、この私の順位を奪うなんて、何か不正があったに違いないわ!」
「そういう言い方は良くないと思いますよ。まだまだB.E.に関しては判らない事も多い様ですし。これまでは、たまたま優秀な男子が見出されなかっただけなのかも知れないのですから」
「そんな事知るものですか!あぁ、お父様に何て言えば良いの!?きっとまた、お姉様には嫌味を言われるわ!」
「功一様なら、きっと『良くやった』と言って下さいますよ。秀美様は、気に掛ける必要はないと思いますが」
そう慰める三和だったが、飛鳥は恨めしげな視線を彼女に投げ掛けてくる。
「貴女は良いわよね、二位だし。昔から何でも上手で、本当に羨ましいわ!」
「いいえ、そんな」
微苦笑を浮かべながら、三和は飛鳥の、兄姉に対するコンプレックスの強さに寂しさを覚えた。飛鳥の父朱雀院 功一は、これまでに二人の妻を迎えた。一人目とは一男一女をもうけ、死別後今の妻との間にもうけたのが飛鳥だった。つまりは腹違いの兄弟姉妹なのだ。彼女は生まれつき、長男長女の目を気にして生きる運命だった。これがごく一般的な家庭ならば、少なくとも世間的な影響は皆無かも知れないが、彼の父は実業家であり、しかもサウザンピークホールディングスの現会長だった。サウザンピークグループは日本で十指に入る新興の企業グループであり、朱雀院家の子供達はその一翼を担うかもしれない存在だったのだ。当家の歴史は平安時代まで遡って辿れるほど古く、戦国時代から幕末ごろまでは零落していたが、明治期に起業し復興の兆しを見せ、その後幾度の浮沈を経験したのち二〇一〇年代、本格的な宇宙開発ブームに乗り一気に規模を拡大してきた。軌道エレベータ用のカーボンナノチューブワイヤで全自動製造ユニット(中継ステーションに搭載するため、様々な厳しい制約を課された)納入に成功したのだ。その技術力をもって、軌道エレベータはもちろんP.E.を含む最先端分野をリードする立場になってゆく。そしていまや、傘下企業は軽く百を超える一大グループに成長したのだった。
「どうせ私には、お兄様やお姉様の様な才能なんてないのよ!名前がなければ、特待生にだってなれなかったわ!」
「そんな事は…」
三和は語尾を濁さざるを得なかった。功一は政財界に顔が広い。それがどこまで飛鳥の入学に影響を与えたかは判らないが、本来ならば別々のクラスになっていただろう二人が今こうして一クラスにいる、というだけでも皆無ではなかっただろう事は想像に難くないのだ。
「もういや。こんな学校、来なければ良かった」
机に突っ伏してしまう。どこまでも感情が負のスパイラルに落ち込んでゆく飛鳥に、三和は胸中で長嘆息した。日頃はやたらと強気で尊大な態度をとるが、それはこの脆弱さを隠す為の鎧なのだ。その事を、古い付き合いの三和はよく判っていた。だからといって、こういった状況で即効性のある処方箋を持っている訳でもない。比較的有効なのは、優しく抱き締めるくらいか。
「朱雀院さん…」
そっと頭を右手で触れると、飛鳥は双眸に涙を溜めた顔を上げた。両肩に手を掛け、三和は飛鳥の上体を起こさせた。
「まだまだ先は長いのです。このまま進みましょう?」
優しい微笑を返す。暫し、暖かな空気が流れ。ホームルームの始まるチャイムが鳴った。
「大丈夫ですから」
耳元で囁くと飛鳥を解放し、三和は自分の席に戻った。




