第三章 Ⅷ
野球で言うならば二回の表。しかし生田にとっては事実上九回の裏だった。彼女の先攻で始まった『タッチ・オワ・ドッジ』だったが、三分間を使い切り結局、彼の胸のタッチパネルに触れる事が出来なかった。まるで闘牛士が闘牛を華麗に躱すかの様に、彼女は終始あしらわれ続けた。P.A.W.W.やL.E.E.に準ずる様なP.E.ならば、イクイッパの肉体に繊細に反応する。力みやストレス等によっても動作に支障がで、スムーズに動けなくなったり意図しない動作をしたり、といった事が起こりうる。そういった事態を回避する為に、様々な訓練を何年も積み重ねるのだ。生田も中学一年の一学期にB.E.適合値測定を行なって以来、真摯にそれらの訓練に励んで来た筈だった。なのに。目の前の男子は、まるで生身であるかの様に教官用P.E.を使いこなしたのだ。回避側になればなったで、彼女がまともに対応できない程のスピードで、タッチパネルに触れられた。十秒とは掛かっていなかっただろう。そして再び巡ってきた攻撃側。ここで一ポイントでも取っておかなければ、ストレート負けが確定する。それだけはプライドが許さない。
「…三回戦、攻撃は生田さん、回避は城田君。始め!」
コールをしながら、河澄はこれが最後になるだろう、と予感していた。一也が他と一線を画するイクイッパである事は、先の二ターンで充分に理解出来た。身上書によれば、イクイッパとしての訓練を始めてから一ヶ月と経っていない筈だが、明白にイクイッパ養成課程の標準は超越している。通常ならばB.E.適合値を安定させる為の基礎訓練が終了しているかどうか、という時点だった。彼はそれを一日と掛からず終え、P.E.を装着し始めたのか?とにかく動作に淀みがない。前進や後退、左右への回避、といった個々の動作がシームレスに繋がり、各動作の間に僅かながらタイムラグのある生田を翻弄している。自身の動作をコントロールする為の区切りは、この課程ならば当然あって然るべきだが、特待生の認証を受ける資格を有する者の条件として、一つにその段階を卒業した事が含まれるならば、もちろん一也は文句の付けようのない特待生だった。
「…そこまで!」
結局、生田は一也に指一本触れる事が出来なかった。何事もなかったかの様に立ち尽す一也に対して、生田は床に膝を付いてしまう。バイザーが開放されると、荒い息が聴こえてきた。一也も同様にする。
「…城田君の三本先取により、この模擬戦は城田君の勝ちとする」
河澄の宣言。しかし、周囲のクラスメイト達は困惑の表情を浮かべながら、ひそひそと私語を交わすばかりだった。
「…ふむ。一つ、判った。中学時代からの訓練の成果とはつまりこの程度、という事なのだな?」
その一言に、顔を上げた生田は彼を睨み付けた。しかし言い返す言葉もなく、間もなくその面に悔しさが滲み出し、再び俯いてしまう。
「これで満足か?まだ何か、言う事があるのか?」
勝ち誇った風もなく、淡々と一也が訊ねる。力なく、生田は首を振った。周囲で一部始終を見守っていたクラスメイト達も、目を伏せ気味に周囲を窺っている。
「教官、これで失礼して宜しいですか?」
どこまでも淡々とした一也に、河澄は少々異質なものを感じた。まるで感情がない。ストレート勝ちを誇るでもなく、またそれを抑えているのとも違う。全ては当然の結果で、自慢するに値しない、という事か?先程の発言にしても、生田への侮辱と言うより、単なる技能評価に過ぎなかったか。この編入生に、河澄は底知れぬものを感じた。
「教官?」
反応のない河澄に、一也は改めて声を掛けた。
「…そうだな、解散。城田君、生田さんは装着解除後、シャワー室の使用を許可する。後片付けは私がしておく。以上」
彼女が言い終わるや、クラスメイト達は階段へと、ぞろぞろと歩き出した。その中の一人だった澄玲には、周囲の囁き声が聞こえてきたが、一様に特待生として認める(認めざるを得ない)、という内容だった。
膝を着いたままの生田を残し、一也は自分の『試着室』に向かった。背中から入ると、機体が固定され装甲が開放されるのを待ち、緩やかに外へ出る。インナースーツ姿で河澄に一礼すると、踵を返し更衣室の方へ歩いて行った。その様を不安げな表情で見送ると、河澄は生田の傍らに腰を落とした。
「さあ、解除して退室しなさい」
優しく肩に手を置く。P.E.の装甲は炭素系素材と金属の複合で構成され軽量化と柔軟性の確保にある程度成功しており、冷たい感触もない。
「教官、教えてくれませんか?」
ようやく、生田が口を開いた。酷く苦しげな声。
「何?」
「彼は、あれは、何なのですか?私も、中学時代の評価は常に三分の一以内でした。それでも特待生には届きませんでしたが。生身でならともかく、男子が装着して、あんな…」
「そうね。私にも、よく判らないわ。もはや私達に出来る事は、彼を特待生として迎える事だけ。貴女も、今時点でなら充分優秀よ。地上でああなれるのは、そうね、一年後で早い方かしら?」
それは優しい嘘だった。現在の三年生でも、あれに匹敵するイクイッパはどれ程いるだろうか?
「一年後…」
そう呟く生田の左肩を軽く叩くと、河澄はその右腕を優しく引いた。それに導かれる様に、生田は立ち上がる。
「さ、早く解除しなさい」
「…はい」
力なく頷き、生田は『試着室』を暫し見遣り、小さく溜息をつくと足を動かし始めた。




