第二章 Ⅷ
××2087/04/25××
毛布も掛けずベッドに横になったまま、窓から差し込む朝日が机の上に落ちる様を一也は眺めていた。彼には睡眠は不要な様で、まんじりともせずにただ横たわったまま、今後の事について考えていた。これから、自分はこの世界の住人として暮らして行く事になる。その為に必要な事を、学校という場所で学ぶ事になるらしい。となれば、ひとまずはそこへ行くとしよう。転生の目的、自分について知る為に学べるのは好都合だ。そこでしかし、と思う。学ぶ場に通う為に、前もって学んでおかなければならない、というのはどういう事だろうか?
宿舎内にラッパ音が鳴り響く。と突然、机上にモニタが出現した。あの文鎮の様な機械(クライアントシステム、などと呼ばれる)の上蓋が開き、幅五十センチ、高さ三十センチ程の針金細工の様な枠が立ち上がると、その中央に大きく時刻が表示される。枠の上部にはカメラとレーザー発振器が設置されており、机上にレーザーでキーボードが描出された。起床ラッパなど知る由もない一也だが、ベッドに腰掛けると周辺を窺う。そのまま床に降りようとして、靴を履かねばならない事を思い出した。昨日の事を思い出し、慣れない手つきで履き始めた。靴紐はなく、足を入れるとズボンのベルトの様に、何本かのベルトを締め具で締め付ける。ベルトにある程度の伸縮性があり、歩行に合わせ足にフィットさせる仕組みだった。
「ふむ」
床に降り立ち、足首を回しつつ靴の具合を確かめた。と、そこへノックの音が。入室許可を求める音だと、久音から聞いていた。
「どうぞ」
返答すると、一拍置いて扉が開かれる。姿を現したのは軍服姿の女性下士官だった。左手にタッチパッドを持ち、直立している。スラリとした長身の美女だ。ファッションモデルと言われても、疑われる事はないだろう。むしろ軍服がコスプレと思われるだろうか。一也が近付いて行くと。
「城田一也さんですか?」
優しげな微笑で訊ねてくる美女に。
「そうだが?」
特に興味なさげに答える。というより、本当に美醜に興味はないのだ。女性下士官の右眉がピクン、と震えた。
「…自分は朝霞基地総務部一課所属、美森 鈴子二等軍曹です。本日より貴方の学習指導をさせて頂きます」
ニコリ、微笑んでみせるが。
「そうか。必要な物はあるか?」
一也はあくまで不動だった。右眉が更にピクン、となる鈴子だった。思春期の少年の、初々しさの欠片もない反応が、少々癪に障った。
「…いえ、こちらで全て用意致しますので」
気を取り直し返答するが。
「そうか」
相も変わらぬ素っ気なさ。本当に、可愛げのないガキだわ、と内心毒づきつつ。
「では、ご同道願います」
回れ右をし、鈴子は歩き出した。一也はその後を付いていった。
彼が連れて行かれたのは座学室の一つだった。学校の教室の様に、教壇と相対して幾つもの机が並んでいる。鈴子は間近な後方の席に彼を誘い、彼が着席するとその隣に着席した。タッチパッドの保護用マットを開き、画面を操作しつつ彼女は話し始めた。
「まずは、現状の学習状況を確認させて頂きます」
不意に、一也の机の上で金属の枠が展開し始めた。あのクライアントシステムが起動したのだ。縦横の枠内に埋め込まれた無数の三色レーザーで画面を描出し、画面に触れるとレーザーが遮断された事でその位置を検出、操作が可能となる。更には机上に描出されたキーボードでの操作も可能だった。久音の部屋にもあったが、操作するのは初めてとなる。いま画面上には、ただ『数学』とだけ表示されている。鈴子がタッチパッドの画面をタップすると、文字列が表示され始める。二次方程式を因数分解せよ、という問題だった。元魔王ヴォイドには意味も解法も五里霧中な文章だったが。不意に、数式が思い浮かんでくる。しかし、まだ問題があった。
「これを、どうするのだ?」
「キーボードで入力して下さい」
「入力?この、思い浮かんだものを?」
鈴子の表情が、奇怪な物を見た時の様に歪んだ。
「判らない、のですか?まさか、端末を、利用した事がないと?」
信じられない、とばかりに一つずつ確認する様に区切って疑問を言葉にする。
「そうだが…ああ、こうか?」
少し遅れて、映像が。キーボードを打つ両手のものだった。この調子で先程の数式を入力しろ、という事なのだろう。それに従い、一つずつキーを確認しつつ机を叩く様に打ち込んでゆくと、モニタに数式が少しずつ姿を現した。なるほどこういう事か、と、彼は理解した。リターンキーを押すと、その入力内容が鈴子の手元にも表示される。間もなく赤い丸が表示された。
「正解です。次はこれを」
次の数学の問題がモニタに表示される。そして同様に解答の思い浮かんだ一也はそれを入力し、またも正解。この様な調子で、更に国語、英語、化学、生物など試験科目に関する問題が次々と出題されていった。彼が(というより元の一也が)判る問題は、読んで十秒もすれば解答が思い浮かぶが、そうでなければ当然ながら幾ら待っても思い浮かばない。特に英語で思い浮かばない事が多かった。トータルでいえば、元の城田一也は結構勉強が出来た様だった。
「なるほど…判りました」
少々不機嫌そうに鈴子は呟いた。思いのほか好成績だったのが少々癪だったのだ。
「それでは。まずは英語から始めましょう」
言いつつ、再びタッチパッドを操作し始める。
「なぜだ?他の言語が必要か?」
「そんな子供の様な。いいですか」
何かしら説明を始めた鈴子の声は、入ってこなかった。彼には、自分達の使用している以外の言語について、その重要性が判らない。元の世界でも、その住人達は複数の言語を使用していたが魔王だった彼は知らず、また知っていたとしても彼は一つ以外不要と切り捨てただろう。そもそも、ただ屠るだけの相手ならば、英雄達と会話する必要すらなかった筈だが、そういう流れになるよう造物主とやらに仕組まれていたのか。苦々しい思いがこみ上げてくる。
「…という事です…どうかしましたか?」
一也の表情が険しくなってゆくのに、鈴子は説明を止め訊ねた。
「何だ?」
何も聞いていなかったのか、と鈴子が眉根に皺を寄せる。
「ですから、英語の必要性に関してです。英語というのは、人類にとって重要な言語の一つです。AI翻訳で機械越しならまず支障はありませんが、一種の教養として学習するべきものです」
「エーアイ?あのアントとやらと、この言葉で話せるのか?」
紗智との会話の中に確か出て来たと、彼は思い出したのだった。
「いいえ、バグスと話などしません。そんな機能はない筈です。AIというので混同しているかも知れませんが、バグスに搭載されているのは戦闘に特化されたものです。一口にAIと言っても、様々なものがあるのです」
「あなた達も、エーアイとやらを使うのだな?」
「もちろん。ただ、こと戦闘面に限れば、私達連合軍よりM.D.F.の方が依存度は遥かに高いのですが」
「それは何故だ?」
「もちろん人口比の問題です。本拠の火星でさえ人口は二百万人に達しません。いま地球で活躍している者達に到っては、推定で多くても数千人程度でしょう。つまり、自律機械に依存しなければまともに戦闘は出来ないのです。ですから、今日までに私達が得た火星側の捕虜は百名余りです」
「捕虜?あなた達は、敵を生かしておくのか?」
「?もちろんです。国際法規に則って武装解除を行なったのち収容施設で身柄を保護します。交換交渉が調えば捕虜交換も行ないますが?」
さも当然、と言いたげに鈴子。魔王軍には捕虜という概念は存在しなかった。人族とは殺すか殺されるか、以上の関係性はあり得なかったのだから。人族の諍いの場で捕虜が取られる事はあったが、それは普通営利目的であって、身代金と引き替えに帰郷を許される者はまだしも、さもなければ『戦利品』の労働力として売買される身分に落とされるのだ。
「そんな事をしていては、敵を倒せないのではないか?」
「何百年も前なら、そういった戦争もあったでしょうが。私達の常識として、戦争は外交の一種です。根本的に滅ぼす事が目的でなく、外交的主張を押し通す為の一手段なのです。もっとも地球上では五十年近く前にこの手段は放棄されましたが」
「そうなのか?」
これは幾ら何でも世間知らず過ぎないか、と内心鈴子は訝しんだ。それでも丁重に扱う様に、と念を押されていたのだ、疑念は胸の奥深く押し込める。
「はい。ただ、火星は遠すぎます。彼らは地球側の政策に反対し、違法に軍事力を蓄えていました。そして四年余りも前、地球に兵力を送り込み侵攻を開始したのです」
彼女のこの説明は、かなり地球側に傾斜したものだった。
「そうか」
「さぁ、無駄話はここまでです。英語に取り掛かりますよ」
言いつつ、胸の中にこの少年への拭い難い違和感を抱えながらもタッチパッドを操作し始める鈴子だった。




