第二章 Ⅶ
一也が案内されたのは、宿舎のとある一室だった。憲兵は何度か扉をノックし、暫く待ったのち。
「中尉は不在の様です」
そう説明しつつ腰から下げたハンディターミナルをドアノブの下に当てた。何桁かの数字が表示され、解錠を告げる電子音が鳴る。マスターキーだった。ノブを下げ、扉を開いた。
「中に入ってお待ち下さい」
右手で入室を促す。一也は入っていった。
「ドアを閉めますと、施錠されるので」
その言葉の後半は、自動的に閉じられた扉でくぐもった。施錠を告げる電子音が鳴る。憲兵と紗智、二人分の足音が遠ざかって行くのが微かに聞こえた。一也は室内を見回した。六畳ほどの個室だった。左側に簡素なシングルベッド、奥には事務机が置かれ、右側にはロッカーと、必要最低限の物のみ置かれている。きちんとベッドメイクされており、足元には布団と枕が整頓され置かれている。
「随分と、違う様だ」
彼の目覚めた病室と比較しての言葉。当然ながら広さも内装も違う。それでも士官である久音に個室が与えられているのは一兵卒に比べ恵まれているという事実を、もちろん彼が知る由もない。ここで一人待て、と言われても、何をしていれば良いのか判らない。ひとまず、眼前の事務机へと歩み寄る。机上には文鎮の様な細長い機械以外、特に何もない。右端の方に親指大の窪みのある装置が設置されている。指紋読み取り装置であり、机の引き出しの鍵だった。引き手を右手で引いてみるが開かない。病室のドアノブの様に力任せで開く事も出来なくはなさそうだが、何かまずそうな気がして手を離した。それもまた、一也の記憶の影響だろうか?そこで今更ながら、自分は初めて紗智に声を掛けられた時から、どうやら会話が出来ている、という事に思いが至った。この世界では自分が知っているのと同じ言語が用いられているのか?実際には彼の魂が無意識に翻訳を行なっているだけなのだが。つまり、彼が発する日本語は、思い浮かべた台詞と発声の意思を読み取った無意識部が、肉体の保持する記憶を元に日本語として発声しており、聴いた日本語はやはり無意識部が記憶を元に翻訳、意識に上らせている。つまり、記憶にない言葉、会話は翻訳、理解は出来ないが、一度入力された情報として復唱は可能だった。もちろん、そこまでの事を彼は知らないが。
何の変哲もないオフィスチェアを引き、腰掛ける。ひとまず、ここまでに得られたこの世界の情報を整理しだした。少なくともこの周辺に、自分の脅威となりうる様な存在は見当たらなかった。この世界の住人は、バグスと呼ばれるゴーレムを脅威と見なし、それに対処する為の魔道具たる鎧を纏った者達によって駆逐している様だ。そして、その鎧はここに存在するという。住人達が魔力を持ち、その魔道具の使用に消費しているとすれば、当然自分にも使用は可能だろう。魔術を何一つ行使出来ない現状で、もし自分が身一つでは対処困難なゴーレムと対峙せざるを得ない状況が発生した時、是非とも欲しい魔道具ではあった。ここで、彼には一つ、重要な視点が欠けていた。それは、そもそも彼がそれをせねばならないのかどうか、というものだ。魔王軍はその構成員全てが戦闘員であり非戦闘員、すなわち戦いに加わらない者は存在しなかったのだ。ならば、自分が戦闘の場に身を置くのは当然、という発想しか彼にはない。それ故か、自分自身を知るという目的の為には、それを阻む者あらば排除すべく躊躇なく己の力を振るう、それで足りなければ他者の手をも借りる、という発想だった。無理からぬ事とはいえ、それが日本国内はおろか国際的なルールに抵触しうる事など、この時点で微塵も考慮出来ていない。しかし、ともかく今は基地司令の言う事に従うのが得策だった。何しろ自分の目的に叶う提案を向こうから切り出して来たのだから。
一也が思索を巡らしている間に、扉が開いた。レーションパックを二つ、左手に持ち久音が入って来た。紗智達もそうだが、彼女も夕食は摂っていなかった。大隊デブリーフィングの場で、彼女は一也について説明をする必要があった。これから二週間近く、基地内で彼の面倒を見なければならない上に、B.E.の測定をしなければならないのだ、と。当然ながら、我々の詰め所に出入りする事になるだろう。その点について、大隊内で情報共有しておかなければならない、と。ひとまず魔王云々の話は抜きにして、弟が入院していた病院で手術を受け寛解し、リハビリ中にミサイルが病院に命中したため一時的に基地内で保護し、リハビリの過程で彼に高いB.E.適正があるらしい事が判明した、という情報を入手し、なぜ男性に高い適性が認められたのか調査のため基地で本格的な検査を行なう事になったと、スーザンと申し合わせた経過報告を行なった。B.E.適合検査を受けるのは、P.E.取扱免許取得を目指す者ならば必須だが、それには教習所に通うなり、国立高等職業訓練学校の様な教育機関を受験するなりの他に、中学からの養成コースに進む道もあった。もちろん連合軍なり警察なりで志願する道もないではないが、個人的素質が大きく関与するため望んだ結果とならない事も多い。そういった道を志す者は、早ければ中学時代から最低限のハードルをクリアしている、というのが常識なのだ。病院でも一部検査システムを導入しているが、保険適用外でもあり検査は高価だった。リハビリの一環として検査を行なう事に疑問を呈する者があっても個人情報という事で誤魔化すつもりだったが、そこまで突っ込んでくる者はなかった。幸い、というべきか、この基地に機動歩兵部隊は彼女達の一個大隊のみだった。そもそも日本全体で北海道、東北、北陸、関東、関西、四国、九州を管轄とする六大隊のみが配備されているのだが。全体でも機動歩兵は三百名に満たない。だから、必要とあれば日本国領土内どこでも支援に迎えるよう専用の輸送ドローンが開発、配備されているのだ。と、それはともかく。久音は机の上に、レーションパックを一つ置いた。
「まだでしょう、食事?」
もう一つのパッケージを破り、ベッドに腰掛け箱を開いた。中にはブロックタイプやゼリータイプの食料、歯磨きを兼ねたガムやキャンディ等が入っている。機動歩兵も参加する五十キロ行軍訓練など、お世話になる場面も多かった。ブロックの包みを取り出し、破くと食べ始めた。囓り、噛み砕き、呑み込む。その一連の動作を眺めながら、一也もそれを取り出したが、どうしたものかと固まってしまった。食欲が湧かないのだ。彼は食事を摂る必要がないのだった。彼の魂は、一也の肉体を修復する際にそれについて構成要素等を解析、必要な物質を魔力を元に合成した。元の世界でも魔力を元に様々な物質を現出させる魔術が存在したが(主として攻撃用に)、それらより遥かに高度な事をやってのけたのだ。さすがは元魔王の魂、と讃えるべきか。もちろん、肉体の維持に必要な物質についても熟知し、こうしている今も生成を継続している。
「どうしたの、食べないの?」
観察する様な視線を投げ掛けてくる久音に。
「いや」
今、姉さんとやらが行なっている行為は、恐らく重要な事なのだ、と一也は考えた。自分が食料を欲していない事は判ったが、これからここで生活して行く為には、これをしなければならないのだ、と。せめて、これを口の中に入れ『分解』しなければ、と考えたその時、口の中に違和感が生じた。辛い物でも口にしたかの様な、ピリピリとした感覚。彼の思考に反応し、口の中で『分解』状態が発現したのだと理解した。しかし、『分解』しただけでは物質は存在する。岩が砂になっただけの様なものだろう。ならばいっそのこと、これを『吸収』出来ないか?とまた、今度は彼の喉の辺りで違和感が生じる。『吸収』は本来、運動エネルギーや魔力に源を発する力を吸収するが、『分解』との複合技で物質も取り込める様だ。大幅な機能拡張が、事もなげに行なわれたのだ。賢明な彼の魂は、更にそれを栄養素に再構成し活用も可能な様になっていた。準備が調った様だと推測した彼は、久音を真似てブロックを口に運び、噛み砕いた。とたん煙状になったのが感じられた。
「ふむ」
不要だが数回、咀嚼の真似事をする。そして嚥下。喉の辺りで泡の弾ける様な感覚が起こる。食物は彼の中に完全に摂取された。それと共に、僅か魔力が回復するのを感じる。実際には、養分を摂取出来た事でその分の養分生成負荷が軽減された、という事なのだろうが。
「…無駄ではない、か」
以後、彼は黙々と食事を摂り続けた。
食事が済むと、久音はゴミを入れた箱をダスターシュートに放り込んだ。ベッドに座り直すと、肘掛けを取り椅子ごと一也を正対させる。
「いい?貴方が基地にいる間、私は部隊詰所に寝泊まりするから。貴方は常にこの部屋にいて。トイレなど外出する必要のある場合以外は。こちらから用があれば、必ず基地の者が来る様になっているの。貴方はその指示に従って」
「判った、銘記しておく」
軽く頷く一也に、久音も頷き返し。
「それと、人に向かって『貴様』は止めた方が良いわ。せめて『貴方』でね」
「そうか」
彼にとってはどうでも良い様な気がしたが、一応頷く。
「この部屋は自由に使って良いわ。ただ、机やロッカーの中には極力触れないで」
「そうか、銘記しておく」
「そう、それでは行くわ。ベッドは使ったら、朝この通りにしておいて」
右手でベッドを一つ、叩いた。
「そうしよう」
一也が頷いてみせると、久音は安堵した様な表情を浮かべた。得体の知れない、この弟の様な何かが意外に素直なのに胸を撫で下ろしたのだ。それならば、と、他に幾つか常識的な注意点を挙げ久音は立ち上がった。部屋を出て行く様を、一也は視線だけで見送ったのだった。




