第一章 Ⅹ
車の往来も途絶えた道路。目の前を数人のスーツ姿の男女が、何かを見詰めつつ小走りに過ぎ去ってゆく。その様を、彼は狭い路地に身を隠しつつ見送った。先程からその様な光景に幾度となく遭遇し、どうやら彼らは何かから逃げているらしい、と彼は推測した。実際には地対地ミサイル着弾による、病院を中心とする半径五百メートル以上の避難指示発令に従い、シェルターへと急ぐ者達だった。既に病院周辺の道路封鎖は行なわれており、流入してくる車輌は軍や警察関係を除き基本的にない筈だった。それは、彼にとっては幸運な状態と言えた。実際には存在しないが、彼の正体に気付く者を警戒し、こうして人の魔力を知覚する毎に物陰に隠れていた。そして気付いたのは、この世界の住人で自分の魔力を知覚出来そうな者は、少なくとも希少らしい、という事だった。彼がやり過ごした者達はみな、彼に一瞥もくれずいずこかへと去っていったのだ(彼と同等の『視力』を持つならば、建物を透過して彼の魔力を視られる筈なのだ)。あるいは気付いていながら、戦闘を回避するため無視したのかも知れなかったが。
「何があるというのだ?」
横道から姿を現した彼は、周囲を見回しつつ呟いた。道路の両端には、乱雑に車やバイク、トライク等が停められ、中には衝突しているものさえあった。避難指示発令により自動運転が解除され、慌てたドライバが乱暴な停車をしたのだが、もちろん彼の知るところではない。が、彼にもそれらの運転者が慌てていただろう事は推測出来た。彼は先程の男女がやってきた方向へと、足を向けた。彼らが向かった方向には、当然この世界の住人達が大勢いる筈だから。もちろん、そちらへ向かえば彼らが逃げざるを得ない原因と遭遇する事になるだろうが、それは彼にとってむしろ望むところだった。彼らの脅威となる存在が判れば、彼らの戦闘力が推測出来るだろう。その脅威に自分が比肩しうるかは判然としないが、曲がりなりにも霊性外殻が健在な限り、最悪でも逃走する程度の余裕はあるだろう。
道路に出て左側間近に丁字路があった。この付近には低層の建物が多く、それらの間に間にリニアコミュータの駅が見える。昔ながらの線路は、日本国中でも一部軌道を残すのみとなっている。広い道路には閉鎖のため警察の装甲車が二台、ボンネットを付き合わせる様に停車していた。その陰に隠れ、二人のL.E.E.姿の機動警察隊員が単発式グレネードランチャを構え、射撃のタイミングを計っていた。装甲車の向こうで一塊のけたたましい銃声が轟き、一旦途切れると一人が陰から半身を乗り出し、グレネードランチャを発射する。装甲車の向こうで爆発音と共に光が弾け、薄暮を暫し、照らした。とたん、二人は立ち上がった。P.A.W.W.に比べ小型のプラズマスラスタ二機を駆動させ、装甲車の向こうへと飛び出していった。その一部始終を見届けた彼はそれらを黒色の、飛行魔術を付与した魔道具装備の金属鎧を装着した騎士、という風に解釈したが、それは全くの見当外れとも言えなかった。再びの銃声。あのグレネードランチャに一塊の銃声が重なり、やがて静寂が訪れた。
「?どうしたのだ?」
彼は二人の機動警察隊員達の魔力が見えていた。体中を巡る魔力は、大きく三ヶ所に集束していた。一つ目は頭部、二つ目は胸部、そして三つめは下腹部。それらを、一本の魔力の帯が結んでおり、そのうち胸部の魔力が大きく膨張した直後、彼らは飛び出したのだった。それは、背中の何かへと吸収されている様だった。魔力を人体より吸収する魔道具が、飛行魔術を付与した魔道具へと供給しているのか、と彼は解釈した。
静まり返った道路、装甲車の向こうからやがて低い機械音と、人のものと思われない足音が聞こえてきた。彼は装甲車越しに道路を見た。横たわった二人分の魔力が視える。どの様なものか判然としないが、攻撃を受けたのだろうと彼は判断した。その攻撃をした者について、知っておかなければ。銃声は初耳だったが、どの様な魔物か、あるいは魔術兵器か?危険な存在に関する情報収集(今の彼にとっては普通の市民も危険な存在だが)という大義名分もあるが、その実単純な興味というものを覚えたのだ。それは彼が記憶している限り未体験の感覚だった。この世界に転生して、さっそく自分は変化し始めているのか、それともこの世界の住人の肉体を得たからか?その疑問はひとまず置き、彼は装甲車の方へと歩き出した。数歩踏み出したとき。
「城田さーん、何をしているの!?」
忙しない足音と共に、女性の声が聴こえてきた。確実に近付いてくるが、彼は最初、それが誰に向けられたものか判らなかった。が、それが人の声で、何か有意な事を喋っているのは理解出来た。これは、この肉体の記憶によるものなのか?それを裏付ける様に、城田、と聞いて、不意に女性の姿が思い浮かんだ。彼、元魔王ヴォイドの記憶にはない人物が。その魂が、無意識下で肉体の記憶を検索しているのだろう。彼自身には理解出来ない仕組みで。一時立ち止まるが、再び歩き出そうとして背後から両肩を掴まれた。
「ちょっと、城田さん、病院を抜け出して!そんな格好で、こんな所で何をしてるんですか!?」
振り返った彼へ、息を切らしながら紗智が詰問してくる。また不意に、彼の意識にその女性の記憶と名が浮かび上がった。やはり、この肉体のものなのだろう。
「…新井、紗智」
「そうよ…どうしたの?」
冷めた目で名を呼ばれ、彼女はたじろいだ。彼女の知る少年と、余りに印象が違いすぎるのだ。自分がこんな冷たい目を向けられた事など、彼女の記憶にはなかった。
「城田とは、誰だ?」
「何を言っているの、貴方の名字よ?城田一也が貴方の…まさか、記憶喪失なの?」
あの状況でこれほど無傷というのは信じ難いが、奇跡的に瓦礫の隙間にでも嵌っていたのかも知れない。それでも頭を強打したか、あるいは強力なストレス等から、一時的な記憶の混濁、喪失があるのかも知れない。
「城田、一也。城田、一也…ふむ、銘記しておく」
前に向き直り、彼女の手を振り切る様に再び歩き出す。
「ちょっと!」
再び肩を掴まれると、彼こと城田一也は再び立ち止まる。
「我に何か用か?我には為すべき事があるのだ」
その言葉遣いも完全に違っていた。
「何を言っているの、大丈夫?ここは危険よ!?今ミサイルを解体しているから、病院へ戻りましょう。受け入れ先も直ぐに決まるわ!」
とにかく早急に精密検査が必要な筈だった。
「…ところで、貴様はどうやって我を発見した?」
自分は住人達の目に付かないよう注意を払ってきた筈だ。もしや、探知魔術でも使用したか、と疑うが。
「貴方を見掛けた人が教えてくれたのよ。病院から逃げ出したのだろう、とね」
それでも人目には付いた様だった。病院着に裸足という姿で、防犯カメラ越しに不審者認定されたのだ。誰かを探しているらしい看護師に警備員がその情報をもたらしたとしても、何らおかしくはなかった。
「そうか…」
またも前に向き直り、彼女を振り切る様に歩き出した。彼女は酷く動揺、混乱した。これはただの記憶喪失なのか?完全に人格が入れ替わった様だったが、解離性人格障害、多重人格だった筈はない。あるいは、あの事故によって突発的に発症した、とでもいうのか?そんな思索が頭を駆け巡り動けずにいる紗智を後目に、一也は装甲車へと歩いていった。
「あれは、ゴーレムか?」
元の世界では、ゴーレムといえば人側が石や鉄等で人を象った物に魔術を施し使用していたのだったがここでは違うのか、と彼は興味を惹かれた。
「ゴーレム?あれはM.D.F.のAI兵器よ。アント、とか言われているわ」
「M.D.F.の?よく判らんが、あれは戦う為の物なのだな?」
肉体の記憶にないのか、『M.D.F.』という言葉では何も浮かんでこない。
「そうだけれど」
紗智の返答を聞きながら、彼はこの先の行動について思案を巡らせた。この世界の住人にとっての脅威が、いま目の前にある。これに乗じ、その住人達と敵対するのか?あるいは・・・。ふと、造物主とやらのアドバイスが甦る。自分の望みが知りたければ、これまでと正反対の事を行ない、どちらが自分にとって好ましいか比べてみれば良い、と。つまり人を滅する者から、人を救う者へと変貌する。ゴーレムの製作者達については現状知識がない様だが、今は目の前の者達をどうにかすべきか。それで何かが判るのか?しかし問題があった。霊性外殻を思う様に展開出来ないのだ。魔王だった頃なら、『吸収』の壁を生成しつつ右手の『分解』で一刀両断、といった方法も可能だったかも知れないが。一也は周辺を見回し、装甲車に立て掛けられた二枚の透明な防弾シールドに気付いた。一枚で優に人一人はカバー出来る。たとえ攻撃魔法が飛来しても充分にカバー出来るだろう。それを両手に一枚ずつ装着した。
「何をするつもりなの!?」
その問いに答えず、一也は胸中にイメージを浮かべていた。霊性外殻が、シールドを呑み込む。自分の手の延長として、シールドを設定した。忠実な霊性外殻は、彼のイメージを具現化した。
『吸収、全身』
胸中の呟きに従い、彼の右目の視界が緑がかる。彼の肉体(足の裏を除く)はいま、あらゆる外力を吸収する様になったのだ。飽和限界については未知数だが、良い経験に出来るだろう。
「あの者達を救う。手を貸せ」
「何を言っているの!?連合軍に任せるべきよ!」
「連合軍?それは何だ?ここに来るのか?」
不意に、先程と同じ女性が脳裏に浮かぶ。一体どの様な関連があるのか、判然としない。
「それは、判らないけど…とにかく、私達には何も出来ないわ!」
「出来る事はある。私が盾になる。その間に、貴様はあの者達を救い出せ」
「ちょっと待って!?そんな盾で銃撃に耐えられるの、死ぬわよ!?」
悲鳴の様な紗智の言葉に耳を貸さず、一也はボンネットの間を擦り抜け前に出た。それを察知し、ガトリングガンの複合サイトシステムがレーザーで彼に照準を定めた。それに怯む様子もなく(というより、実際にはその意味が判らず)一也は両手を精一杯左右に伸ばしつつ、横たわったままの機動警察隊員達の前へと進み出た。二人は防弾シールドと彼の体で、完全に更なる被弾は避けられるだろう。
「ああっ、もうっ!」
余りに非常識な状況に頭が混乱の極地にあった紗智だったが、もはや彼女に一也を制止する術はなかった。ならば、彼の言う通りにしよう。それでもし二人とも死亡したとしても、それはそれで納得出来る様な気がした。自分は狂気に取り憑かれたのだと、彼女は思った。よろよろと立ち上がり、彼の後に続く。




