クライマックスの様なプロローグ・Ⅰ
新しい物語を始めます。最後までお付き合い頂けたなら幸いです。
クライマックスの様なプロローグ
遂に、彼らの眼前にその巨大な扉が姿を現した。それを飾る意匠は禍々しいもので、黒山羊の群れが夥しい、人のものらしき頭蓋骨を踏み潰さんばかりに、楽しげに飛び跳ねているのだった。その黒山羊達は、彼らの敵である魔族の象徴だった。その禍々しく暴虐なる異形の侵略者達は三年余り前、約百年ぶりにいずこからとも知れず襲来した。伝承によれば、それは数千年以上も前から不定期に、やはりいずこからとも知れず地上に湧出し、まるで蟻を踏み躙るが如く人の世に跳梁跋扈した。身体能力、魔力共に人を凌駕し、知力も備えた脅威に、しかし人は苦境に立たされつつも神器を授かりし英雄達を中心に、いかなる諍いも乗り越え一致協力し、これに対処し生き残ってきたのだった。そして百年後、今まさに現在の英雄譚に、最後の一頁が書き加えられようとしていた。知らぬ間に築き上げられていた魔王城、その最深部たる玉座の間に、四人の英雄達は辿り着いたのだった。城内は静寂に包まれ、さしたる抵抗もなかった。そう、その為にこそ、今もなお城門の外では十万を超える人族の諸国連合軍が、拮抗する魔王軍と阿鼻叫喚の巷を展開しているのだ。彼らはただ、扉の前に佇む四人の英雄達をそこへ送る為だけに命を懸け、異形の者共に相対しているのだ。
レリーフを確かめる様に、剣士レイモンドは右手を伸ばした。実際には、それは彫刻ではなく絵で、巧みな陰影で立体感を表現していたが、よく見ればそれは常時変化しており、頭蓋骨の数が増加している様だった。今こうしている間にも、斃れゆく者達が追加されているのだろう。
「へっ、スコアのつもりか!?悪趣味だぜ!」
扉を軽く叩きつつ、斥候役のカークが毒づいた。
「無駄口はいいから、カーク。罠はない?」
魔術師のアニーが、少々苛立たしげに声を掛けた。生真面目な彼女は、斥候役のこの若者に苛立つ事が度々あった。彼が悪意からなどでなく、むしろパーティーの精神衛生に配慮しての事とは承知していたが、この期に及んでも慣れる事はなかった。
「へいへい。暫しお待ちを」
おどけた口調はそのままに芝居がかった仕草で会釈をした後、カークは罠探知、解除の為の準備を始めた。ポーチから様々な魔道具を取り出してゆく。
「…これで、終わる?」
手にした強弓の弦の張り具合を確かめていた狩人のサンドラが、誰に訊ねるともなく問うた。立つ事を覚える頃には、既に弓を手に取っていたという彼女は、スレンダーなその体型に似合わず男顔負けの強弓を用い、五十メートル先の蝶を射貫くと言われていた。振り返ったレイモンドは、少し躊躇してから口を開いた。
「…そうだな、これで終りに出来なければ、我々の終りだろう。我々と、この戦いに臨む兵達が潰走すれば、もはや体勢を立て直す暇もなく、世界が魔王軍に蹂躙され尽くすのは目に見えているからな」
「その為に、私達は聖別された神器を授かってここへ来たのでしょう?」
右手の杖を掲げてみせるアニー。それは膨大な魔力の貯蔵、増幅と共に、複雑且つ大掛かりな魔術の術式を多数記録し、迅速な行使を可能としていた。彼女のみならず、他の三人にもそれは授けられていた。わけても、レイモンドが腰に帯びた長剣こそ、正しく最後の切り札と言えた。そっと左手で柄を握り締める。
「なぁに、百年前のご先祖様達だって、どうにかしたんだ…大丈夫だ、開けようぜ」
罠の類がないのを確認し、カークは店仕舞いを始める。
「文献にはそうある様だが、首尾良く行くかな?神官長の神託が、それほど信頼出来るのか?」
考え深げに顎をさすりつつレイモンド。有史以来、魔王と呼ばれる存在は幾度となく現出していた事が、古い文献や遺跡の碑文などに散見された。それらには、神器と神託が選ばれし英雄達を導き、これを打ち倒した、とある。彼にはそれが何とも都合良さ過ぎ、胡散臭く思えた。
「それじゃ、いいぞ」
カークの声が、彼のそんな思考を断ち切った。たとえ胡散臭かろうと、我々はやるしかないのだ。やらない、あるいは出来ないならば、人類は滅亡するよりないのだから。顔を上げ、動き出す。
観音開きの右側の扉にカークとレイモンドは並び、両手を添えた。横目で合図を交し、力を込めてゆく。ゆっくりと、扉は開き始めた。
人一人が通れるほどに扉を開くと、剣を抜いたレイモンドを先頭に足を踏み入れてゆく。と、光源は判らないが暗闇だったその空間に光明が宿った。
「うわぁっ」
カークが低く声を発した。そこは、外観からは信じ難いほど広かった。優にサッカーフィールド程はあるだろう。玉座の間、という事で、多勢の魔王軍が待ち構えている事は予測していたが。
「逃げたか?」
そこには、何者の姿もなかった。周辺に等間隔で配置された飾り気のない二十本を超える柱と、その間に渡された真紅の緞帳。その奥、数段上がったところにある、人骨を寄せ集めた様な玉座。それはどこかの王城を真似た様だった(もちろん玉座は除く)。その柱や緞帳の陰にも、何の気配も感じられない。アニーが常時発動している気配感知魔術を誤魔化せるとも思えないが。
「ちっ、もぬけの殻かよ」
手近な緞帳の陰を覗き込んでいたカークが毒づいた。現状の戦況で、魔王が逐電するとは考えていなかった。
「油断するな。どこかから奇襲を」
同様に物陰を確認しつつレイモンドが注意を促すや、不意に膨大な魔力が出現した。目には見えないそれを、彼らは感じ取れた。
「転移魔術!?」
その声に、二人はアニーを見た。その視線を追い、玉座に顔を向ける。
「どこを見ておる?」
揶揄する様な声が投げ掛けられた。未だ若々しい男性の声。しかし、胆の冷える様な、冷徹さを湛えていた。漆黒のローブに身を包んだその青年は、長い足を組み、左肘を悪趣味な玉座の肘掛けについて、彼らを見下ろしていた。
「貴様が、魔王か?」
声が掠れがちになる。汗が噴き出すのを留められない。相手はただ、静かに着席した美青年の様に見えて、魔力を感じ取れるものには痛みすら覚える程までに常時、それを発散させていた。一見人の形をした、その実人とは一線を画す存在と知れた。
「いかにも。我が名はヴォイド。貴様らを屠る者の名、魂に刻みつけるが良い」
脚を解き、立ち上がる。玉座を、ゆっくりと降りてきた。
「魔王ヴォイド。貴様を今、ここで斃し、戦いを終息させて貰う!」
「ほう?我に勝つつもりとは!この痴れ者が!」
小馬鹿にした様に言いつつ、右手を左腰の柄に伸ばす。あらゆる光を拒否するかの様な漆黒の剣を抜き放ち、振りかざした。
「何事が起ころう
とも、貴様らの敗死は変わらん!」
「ふん、私達が恐れているのは、貴方の圧倒的魔力による大規模汚染呪術よ!その心配が消え、なおかつ統制力も失われれば、後はどうとでもなるわ!」
アニーが反論する。かつて穀倉地帯を猛毒などで長期間汚染する様な呪術を使用した魔王が存在し、それを斃した後も長らく人は窮地に陥った事があったと、とある文献にあった。幸い、と言うべきか、今回の魔王は軍団による力押しに固執している様だったが。魔王は僅かばかり口角を上げた。
「ほう?我は興を覚えなかったが、貴様らが恐れるというならば、いずれ行なってみるも良かろう」
「いずれなど、ない!」
レイモンドが動いた。『瞬歩法』で一気に間合いを詰め、剣を振り下ろそうとする、が。魔王の姿が消えたのに、本能的に剣を背後に構えた。刹那、甲高い音と共に漆黒の剣がこれを打つ。
「ほう、やるではないか?」
一時、二人の動きが止まる。これを見逃さず、サンドラが矢を射掛けた。距離は二十メートル足らず、確実に魔王の背を貫く筈だったが。
「何…」
矢は魔王の肉体に届く事なく、見えざる障壁に弾かれたのだった。
「ふ、我にただの矢が届くか!」
身軽く飛び退き、息つく間もなくレイモンドに斬り掛かる。それを紙一重、といったところで捌くレイモンドの面に、焦りの色が濃くなってゆく。
「ならば!」
アニーが杖を掲げた。嵌め込まれた魔石に魔力を注ぎ込みつつ。
「フレイム、アロー!」
一声叫ぶや、数十という炎の矢が中空に出現する。とうてい並の魔術師には真似の出来ない芸当だった。
「シュート!」
一斉に、炎の矢が魔王へと襲い掛かる。
「ほう?」
魔王と鎬を削っていたレイモンドが瞬時に跳び退く。魔王も回避行動を開始するが、しかし術者に制御された炎の矢は誤たず魔王を追い。命中するや炸裂、眩い火球が玉座の間ほぼ中央に出現する。上級の魔術師やモンスターでも、まず無傷では切り抜けられまい熱量と破壊力。それでも険しい表情で、レイモンド達はその様子を見届け。
「ふむ、なかなかではあるな」
炎の消え去った後には、元のままの魔王が立ち尽していた。髪がチリチリにでもなっていれば、多少なりと可愛げがあったろうが、全く損傷を受けた気配がない。魔王は体中を見回し、感心した様に言った。
「なかなか、我が霊性外殻に負荷を掛けてくれる。褒めてつかわそう」
「ご免こうむるわ!」
再び杖に魔力を注ぎ始める。発動した術式が炎の矢を形成しようとするが。
「消えよ」
魔王が左手を振るや、それらはかき消えた。
「術式をかき消した!?」
「我の魔法干渉力は、貴様より遥かに高い。この様な芸当も出来て当然であろう?」
ニヤニヤと、呆然としたアニーに説明する魔王。魔術一辺倒ではとうてい太刀打ち出来ない、という事なのだ。
「ならば!」
裂帛の気合いと共に、レイモンドが間合いを詰める。常に攻撃を仕掛け続けていれば、魔術妨害は困難ではないか、との判断だった。
「良かろう!」
魔王は楽しげに受けて立つ。彼にとってはこれも余興程度のものなのだろう。両者の剣が響き合い、高速で場所を変えつつ二人が打ち合う毎に、残響が重なった。レイモンドの読み通り、魔術攻撃に魔王は干渉しなかった。目まぐるしく剣が交錯し、その動きが止まるや度々襲い来る炎や氷、光や風などの攻撃魔術をまともに受け(極めて効果は薄そうだったが)、尚もレイモンドとの一騎打ちに集中している様だった。
「ふむ、なかなかに楽しめたぞ!」
鎬を削りながら、魔王は口角を吊り上げた。必死の形相を浮かべるレイモンドを揶揄する様に。
「ならば…終りにする!」
「同感だ」
魔王はレイモンドを軽々と蹴り飛ばした。軽く数メートルも飛ばされ、片膝をついて着地する。さしたるダメージはなさそうだ。
「冥府への餞だ、我の真の姿を目にするが良い!」
魔王は玉座の間ほぼ中央まで跳んだ。仁王立ちとなり、剣を高々と掲げた。
「解放、我が真の力!」
絶叫するや、急速な変化が発生する。剣と、そして衣服から漆黒の煙が漂い始め、それらは形を失っていった。と同時に、煙は魔王を包み込んだ。やがてそれは、見えざる手にこね上げられる粘土細工の如く、巨大な人影を形成していった。