世直し、世直し
「これってまだ食べれるじゃん」
「クゥオルァー!」
私の左下段回し蹴りは、ちょっとばかり不自然な弧を描いて、冷蔵庫をあさっていた健ちゃんの右足に直撃した。
「何すんだよ!」
理不尽な衝撃に急遽ご立腹の健ちゃんは、今にも私につかみかからんばかりの勢いだ。手に持った百円シュークリームはすでに握りつぶされている。
「『食べれる』じゃないだろ。『食べられる』と言え」
私は静かに諭した。健ちゃんの怒りはごもっともだ。けれども、確実に、非は健ちゃんにある。大学生にもなって、乱れた日本語を使うなど、こちらが恥ずかしくなる。同じ大学の同じ回生の友達としては、正さないわけにはいかないだろう。
「分かったけどよ。何も蹴らなくてもいいじゃんか」
健ちゃんの主張はもっともである。しかし、現代の言葉の乱れの惨状は、すでにショック療法が必要な段階に入っているのだ。美しい日本語がこのまま乱れていけば、未来の人々に申し訳が立たない。身長二メートル五センチ、体重百十キロ、空手八段、柔道五段、テコンドー六段、ブラジリアン柔術二段の私は、言葉の乱れを正すために、今、立ち上がった。
「さぁ、行こう。健ちゃん」
私はアパートを飛び出した。遊びに来ていた健ちゃんを巻き込んで、世直しに出かけるのだ。やはり言葉の乱れは正さなければならない。言葉の乱れを許容すれば曖昧な言葉が氾濫し、人々の思考は曖昧になり、曖昧さに起因する多種多様な思考が認められるようになれば、現代社会はそれこそ何でもありの金網デスマッチと化してしまう。
勢いよく飛び出した私は、大学のキャンパスに向かった。ちょうど昼休み。キャンパスのメイン通りは学生たちでごった返す。少し、いつもと異なる混雑であった。何かを中心に人だかりができているようだ。私はおかまいなしに人ごみを掻き分けながら、不届きものが発する乱れた日本語が耳に入り次第、制裁を加えていった。
「全然、オッケーだよ」
「クゥオルァー!」
「ちょーウゼー」
「クゥオルァー!」
「では今日のところは、このあたりでドロンさせていただきます」
「クゥオルァー!」
誰一人としてまともな言葉をしゃべるやつがいない。私は次々に制裁を加え、なおも進んでいった。
「ちょっ、まじっすか?」
「クゥオルァー!」
「きっもー」
「クゥオルァー!」
「まじやべぇよ」
「クゥオルァー!」
いつしか私は人だかりの中心部まで到達していた。そこには、浪人風の男が立っていた。浪人といっても大学受験浪人ではない。頭には月代があり、色あせた長着に身を包み、草履を履き、腰には古びた日本刀を下げている。男は誰にともなく口をひらいた。
「言葉が乱れきっておる・・・」
おぉ、なんと。少々風体はイッているが、男も乱れた日本語を憂慮していたのだ。
「そうですよね!現代の日本語は非常に乱れています!一緒に世直しをしましょう!」
私は彼の言葉に賛同して、思わず語りかけてしまった。そしてハッとした。自分の過ちに気がついたのだ。けれどもすでに遅かった。浪人風の男は、怒りに染まった先ほどまでの私と同種の表情で、刀の柄に手をかけた。
「チェストー!」
私が最期に見たのは、彼が目にも留まらぬ速さで引き抜いた日本刀の閃光であった。