09.Flower.
その日は春雨だった。
「『ぶー!』」
「何だ、車椅子に豚がいるぞ」
絆が傘を差して、前かがみになってその中に入りながら車椅子を押す。傘にはいくつもの水滴が落ちて、アトランダムなテンポを紡いでいる。
本当なら僕が差せばいいのだけれど、残念ながら車椅子を押しながら傘は差せない。なので必然的に差してもらうこととなるのだが、そうなると僕を入れようと天高く掲げなければならなくなる。
そこで浮上するのは、横からの雨粒が絆にかかってしまう問題。これではとても傘を差す意味が無くなってしまうので、腰を痛めながらこうして不恰好なスタイルと相成っている。
そういう意味じゃ、僕は雨の日が嫌いだ。
余談だが、二人別々に差せば効率的では、と言う提案をしたところ「『それじゃ相合傘にならないじゃん!』『アーイアイ!』」と却下された。
「『見損なったよ繋』『寝入ったボクに黙ってケーキを食べちゃうなんて!』」
そして絆は朝からずっとご立腹である。その理由は、僕が「絆」の下にケーキを届けたことで本来食べられたはずの個数に満たっていなかったからだ。
本来シェアするために一人二個と言う制約を課して四つ購入したのだが、どうやら僕のチョイスが悪かったらしく、あのショートケーキは『絆』が一番楽しみにしていた物だった。
二人共好き嫌いが似通ってるものだから困ったものだ、「絆」のために持っていたケーキが『絆』を怒らせる要因になるとは。
ともかく、絆はこうして登校してる最中まで怒り通しだ。
「食べてはないんだけどね……」
「『ケーキが勝手に消えるわけないでしょ!』」
んー、ごもっともではあるが……僕がケーキを食べないことを絆は怒りのあまり忘れているな。けどケーキのことを知っているのは僕だけとしか認識していない絆には、どうしたって僕を怒る以外に選択肢がない。
参ったな、このまま怒らせておくのは望ましくないから何とか機嫌を直して貰いたい。だがまたケーキを買いに行くのも憚られるわけで。
朝食と一緒に食べたチョコレートケーキを除いて、まだ二つもケーキが残っている。一個はパイだけど、ここへ来てさらに購入なんて勿体無いだろう。
食欲の湧かない僕ではあるが、お金を出して買ったものを食べ切れずに捨てる、ともなれば話しは別だ。ケーキみたいに期限の短いものであれば殊更にだ。
かと言って絆が全部食べきれるかと言えばそうでもない、楽しみを最後に取っておくタイプのこの子が先にケーキなんて言う贅沢を先に済ましてくれるわけがない。使用人さんにあげたらあげたで、また同じことの繰り返しになるし……。
「ふぅ……ねぇ絆、僕はどうすれば許されるのさ」
しかし一向に名案の浮かばない僕は白旗を振る。これはもう、本人の納得する方法に賭ける他ない。
「『頭を撫でて』『三回回って「はぁはぁ絆たんマジ天使」って言った後』『ボクをデートに誘ってくれたら考えなくもない!』」
んー、途中のが無ければ僕としても考えたんだけどなー。
と言うわけで息を乱しながらマジ天使って下りはカットして、車椅子を一度止める。頭を撫でてあげながら、咳払いを挟んで一言。
「あー……今度デートしようか」
「『違う!』」
デートしようかって誘いに対して違うと返すのは、些かオノマトペがおかしくないかね絆ちゃんや。
何が違うのさと視線を落とすと、すぐ近くに絆の顔があった。この距離だと首をこちらに捻るだけでそれなりに近くなるのは厄介と言うか、有り体に言って恥ずかしい。
雨独特の冷たい空気に混じって、ラベンダーの香りが絆の匂いとしてふわりと鼻腔をくすぐりながら。
「『もっとロマンチックに誘って!』」
なんて言う無理難題を繰り出す。それ、突然面白い話ししてって言うのと同じくらい難易度高いことだって分かってる?
分かってないでしょ?
「えっと……今日は星が綺麗だね。だけど君の方が美しい、だから今度デートに行かないか?」
「『行く!』」
えっ、何こいつチョロ。
我ながら意味不明な文脈で誘ったのに、良く噛み砕くことなくデートと言う部分だけを都合よく切り取った返答により、どうにか許しをもらえたことに安堵しながら登校を再開する。
僕らのやり取りに静謐な時間は訪れない。常に絆が喋り、押し黙ることなく僕が相槌を打つ。これで「絆」と話す時は立場が変わるのだから中々どうして面白い……面白いか?
普通に篠崎姉妹に振り回されてるようにしか見えないな……『絆』に関しては完全な自業自得だけれど。
「『まぁその話しは今夜詰めるとして』『繋』『今日の予定は?』」
「特にないかな。逆に絆の方は何かないの?」
「『うーん』『特にはないかな……』『あっ!』『そう言えばセンセイが今度面談に来いって言ってたよ!』」
「……面談? センセイが?」
自分の顔が夏休みに追試地獄を賜ったように露骨な変化を見せたけれど、絆はそのまま気にすることなく続けた。
「『うん』『瀬能センセイがそろそろ三者面談の時期だから声掛けとけってさー』『一応繋の都合が良い時を教えてよ』『瀬能センセイに伝えておくから』」
三者面談って春にあるものだっけ……ない、よね……?
「悪いが僕の予定は絆で埋まってるから行けないと伝えておいてくれ」
「『や』『やだ繋ったら』『突然何言い出すのさ……』」
誤魔化す僕を余所に絆は傘を肩で支えながらパペットと手櫛で髪を整え、カーディガンから手鏡を取り出して色んな角度から身だしなみを確認し始めた。
ここで嘘だとネタバレをすればまたぞろぷんすこしてしまうだけでなく、最悪瀬能さんに会わなければならなくなるので言わないけれど。
ともあれ少なくともこの数日は逃れられるだろう、あの人も中々多忙な人らしいし、そう簡単に時間は割けないはずだ。僕の予定を聞けと指令を出したのも自分のスケジュールを調整するためだろうが、これまで同じことをしてまともにかち合った試しがない。
無駄に勝ち誇っていると、絆が手を挙げて左右に振り乱した。もうガッコウに着いたのか、やけに早いじゃないか。
センセイに手を振っているであろう絆の手が傘に当たり、ぼそっと「『いって……』」と呟いたのを聞きながら傘を少しズラすと。
「『噂をすれば何とやら』『瀬能センセイ!』」
僕が浸っていた勝利の余韻が掻き消された。
「これは珍しい。篠崎くんに……おやおや、やたらと顔の引きつった藍原くん、おはよう」
OLかとツッコミを入れたくなる正装で傘を差し、怪しく笑う顔のまま春風に煽られたなびく黒髪。
絆が数いるセンセイの中でもっとも信頼を寄せているお方と遭遇してしまい、先ほどの会話を思い出しさらに頬が引きつるのを感じた。
「おやどうした藍原くん。露骨で無骨な表情を保つ藍原くん、返事がないな。私に挨拶をすると良い藍原くん」
促すような口振りで言われるものだから、釣られるように会釈。
「合格点には程遠いものではあるが、まぁ及第点と言うところか。それに引き換え篠崎くんは偉いなぁ、ちゃんと挨拶が出来て」
えへへ、と照れながら喜ぶ無駄に器用な絆の前にいた歩調をズラして横に並ぶ瀬能さんは、覗き込むように僕を見るので思わず顔を逸らす。
「それで? 噂とは何の話しだ? 私は今盛大にわくわくしているから、是非とも語ると良い」
「やだなぁ、絆はウワッサンって言ったんですよ。ウワッサンって何だよ、それを言うならクロワッサンだろと言ってたところに瀬能さんが現れただけですって、やだなぁもう」
「藍原くん、君に一つ示そう。人と話す時は、ちゃんと顔と顔を合わせるのが常識だ。そんな道端に、私はいないぞ」
「地に足付けて生きてるんですから、存外我々人間は道端に転がってるようなものでしょう」
「いやいや、それは違うぞ藍原くん。私たちは転がってなぞいない、立っているんだ。何とまぁ二足歩行の生き物である以上その解釈には異議申し立てを唱えたい」
あぁ言えばfor you瀬能さん。これなら泣いてばかりいる子猫ちゃんの方が数倍マシだ。
「まぁ何となく察しはついてるさ。さしづめ私との面談を拒否していた真っ最中なのだろう? つれないなぁ、藍原くん。君は本当に私が嫌いなようだ」
「……嫌いじゃないですよ」
実際、もっと早く産まれていれば、多分僕は瀬能 椛と言う美形なお姉さまにゾッコンだった自信がある。
お世辞にも絆は美人とは言い難い、どちらかと言えば小動物系の、保護欲を掻き立てるようなタイプだから尚更瀬能さんはそのギャップによる魅力で二割り増しに映るまである。
嫌いではない、ただちょっと苦手なだけ。
信用は出来ないけど、信頼は出来る。ただそれだけ。
「『繋!』『それは聞き捨てならないよ!』『ボクと言うものがありながらセンセイを口説くなんて』『お天道様が許しても!』『篠崎絆がそれを許しはしない!』」
僕と瀬能さんの間に割って入るのは、絆のパペット。見れば絆の眉間には皺が寄っており、並々ならぬ思いを胸に発言したとお見受けするが、勘違いにも程がある。
嫌いじゃないと言う言葉が、必ずしも好きだ、となるわけじゃない。遠巻きに好きと言うほどじゃないが嫌いでもない、可もなく不可もない関係性を示すものであることを彼女は悟れなかったようだ。
「ほう、私は今、口説かれたのか」
「いやいやいや……瀬能さんも乗っからないで下さいよ」
ちゃんと意味を分かってるはずの人まで悪ノリされちゃ溜まったものじゃない。ましてや意地の悪い笑みに指を添えているのだから、無駄に色っぽいし。
赤いルージュが婀娜を強調する瀬能さんは、耐え切れなくなったのか薄く笑い声を上げた。
「まぁ、私に捕まったが最後、観念すると良い。今日の夕方、急ではあるが三者面談を実施する。来なきゃ殺す、来なくても……ウフフ……」
「来なかったらどうなるんでしょう、その微笑の裏にどんな秘め事を納めているのか是非知りたいのですが……」
「(๑・̑◡・̑๑)」
「そんな日本昔話の龍に跨った坊やみたいな顔されましてもね……」
「なに、悪いようにはしない。ただ少し……ウフフ……」
だから怖ぇよ!
もう笑みに影が混じってるじゃんか!
僕今日ガッコウに行ったら何されるんだよ!
「まぁたまには、不法侵入以外でガッコウへ来ると良い。見るべき場所がないわけではないだろう?」
「『ふほうしんにゅー?』」
「絆、僕今だけお口にチャック出来る子に惚れちゃいそう」
「『んー!』『んふふんんー?』」
これで良い、と言う問いまでは解読出来た。あとは一時期流行ったなめこにしか聞こえないが、このまま話しを逸らせばガッコウに着く頃には忘れてくれているだろう、なんて言ったってチョロいし。
そこから機を図り軽く瀬能さんを睨み上げる、ニヒルな笑みを浮かべたままでいる彼女はわざとらしい大仰なバックステップを踏んだ。
「何だいその目は。私に何かいちゃもんを付けたそうな、キツイ目つきは。いやはや、悲しいねぇ……」
「誰のせいですか。分かりました、分かりましたよ。今日の夕方ですね? 覚悟だけはしておきますよ」
「最初からそうして快諾していれば良かったんだ。まぁ、たまにはセンセイらしくついでに進路指導でもしてやるさ。そろそろ大事な時期だろう?」
絆が頭を突き出して来て、黙っているボクに惚れろ、或いは褒めろと言いたげに自己主張して来る。
そんな彼女の小さな頭を撫でてやり、サラサラな黒髪を堪能しながら言う。
「無難に進学かな、と考えてはいます。就職も考えたんですけど……」
「あぁいや、待て待て。その話しは夕方まで取っておきなさい。折角の楽しみがなくなってしまう、どうか今は胸の内に仕舞っておくと良い」
とんとん、と自分の胸を叩く。倉田に負けず劣らずの乳房が揺れ、視線が釘付けになったのが絆にバレて、春雨に打たれてじとっとした湿り気を帯びた瞳から逃げるように咳払い。
「そういうわけだ。さて、では篠崎くんはこちらで預ろう」
気づけばもう目的地に着いていたようで、絆の持っていた傘を持って僕に渡す。入れ替わりに瀬能さんの差していた傘に絆を入れてやる。
鞄を背負い直し、今日も絆の前に立つ。膝を折って絆の手を撫でて、いってらっしゃいと送り出す。
「……あぁ、絆? もう喋って良いからね?」
「『あ』『そう?』『それじゃ繋!』『また放課後に会おうね!』」
「うん、また後で」
立ち上がり、瀬能さんに一礼。何故かそれを敬礼で返して、僕が押していた車椅子を預かりガッコウへ入って行く。
背中が見えなくなった頃、面倒なことになったなと息を吐き、僕は今日も自分の学校へと踵を返した。
「あぁ、そうだ。藍原くん」
はい、と返事をする前に背後からの声に振り向くと、頭に鈍痛が訪れる。痛みを訴えて患部を抑えていると、雨で濡れたアスファルトに缶コーヒーが落下した。
「ここで会った餞別だ、受け取りたまえ。そして勉学に励むと良い……坊や」
文句を言う暇もなく、院内にいるらしい絆の下へ急ぎ足で向かう瀬能さんと缶コーヒーを交互に見て。
「……はぁ……」
心中にて、礼と溜息を重ねて。
「絆、本当に忘れてる……」
改めて篠崎絆はチョロいと思った。
「『おま言う』」
繋「前回に引き続き、今回もゲスト回なんだって?」
絆「『うん!』『何と今回は』『別作品とのクロスオーバー企画!』『青山さん家のメインヒロイン!』『青山日和さんにお越し頂いたよ!』」
日和「いらっしゃい」
繋「ゲストがパーソナリティを迎え入れた……?」
絆「『お邪魔しまーす!』」
日和「粗茶ですが」
繋「お茶要素微塵もない○ろはすだけどね」
絆「『一応自己紹介オナシャス!』」
日和「全国のロリカッケェ皆さん、コンバトラー。現在更新中『青山さん家』の嫁、青山日和よ。気軽にジェシー青山と呼んでね」
繋「とても乳首を押すとタイガーマスクとか言うキャラには見えないのだが……」
日和「繋、あなたイケメンね」
繋「脈絡の無さは倉田に通ずるものがある」
絆「『おっとぉ?』『いきなりボクの繋を口説き始めたのかい?』『だけど残念!』『繋はボクにメロメロだから諦めてつかぁさい!』」
日和「私の旦那程じゃないけど」
繋「ブース越しの旦那さんと同じ格好してる……恥ずかしいなら顔を手で覆わなきゃ良いのに」
絆「『それにしても旦那さんであるひーくんさん』『繋とさして身長変わらないのに結構がっちりしてるね』『鍛えてるの?』」
日和「私への愛が筋肉に変わったのよ」
繋「愛ゆえに筋肉あり……」
絆「『かく言う繋もボクで構成されてるよね!』『良く体は絆で出来ているって詠唱してるし!』」
日和「ちょっと何言ってるか分かんない」
繋「流石の絆もあなたにだけは言われたくないと思います」